Sweet  Dentist 12月15日(木曜日) 最終話 響


※ラブシーンが含まれます。小学生の方はご両親に相談してください。

時刻は既に午前2時を回っている。
静かな部屋に聞こえるのは、淡々と時を刻む時計の音と千茉莉のいるバスルームからの水音だけだった。

古い屋敷にしては防音が整っているのか、それとも俺達のいる部屋が離れているのだろうか。
静けさが落ち着かなくてソファーから立ち上がると、部屋に用意された上質の絹のガウンがサラリと衣擦れの音をたてた。
手にしたグラスの中でバーボンの氷がカランと耳に心地良く鳴る。
落ち着かない心を宥めたくて、外気を取り入れようと、 自分の身長の倍はありそうな大きな格子窓を左右に大きく押し開き、冷たい冬の風を感じてみた。

空には雲が多く星は見えなかったが、細い三日月が頼りない光を放っている。
肌を刺すような冷たさに、体温が急速に奪われていった。
それでもまだ母との再会に興奮が冷めない身体は、熱を持ったように火照っていて、寒さも感じなかった。
高ぶった感情は簡単には治まりそうになく、そのままバルコニーに出てグルリと屋敷全体を見渡してみた。

母が目覚めて、今、屋敷内で父と二人でいる。

日本を発つ前までは考えも及ばなかった事が、今現実となっている。

まるで夢を見ているようだった。

バルコニーから階下を見下ろすと、慌しく人の出入りしているのが窺える。

母が目覚めた事ですぐに医師が呼ばれ、屋敷内は慌しくなった。
朝を待って検査をし、今後はゆっくりと経過を診てゆくことになるらしい。

父は母の部屋でずっと付き添っている。
25年ぶりに瞳を交わす二人の間には、言葉が無くても伝わる確かなものがあるのを感じていた。
母が再び眠りについてしまうのではないかと、不安を抱えているのは多分俺だけではない。
明日の朝、病院で本格的な検査を行うまで、安心することはできないのは皆同じで、今夜は誰も眠れそうに無かった。

一旦ホテルに戻り明朝出直そうとした俺達だが、公爵に呼び止められ屋敷の2階の奥の部屋をあてがわれた。
公爵が俺の為に以前から用意していた部屋だと聞かされ驚いたが、一度も会った事のない孫がいつ遊びに来ても良いようにと、色々買い揃えるのが公爵夫人の趣味でもあったらしい。
歴史を感じさせる調度品や、高級感溢れる家具が上品に収められた落ち着いた部屋の大型クローゼットの一つには、夫人が購入したと思われる玩具やスポーツ用品など、30年近くの間に溜め込まれたものが所狭しと詰め込まれていた。
この家に俺の場所があると思うと、他人の家ではないのだとようやく実感が湧いてきて、急に仮住まいのホテルよりずっと快適に思えてくるから不思議だった。



「響さん? どうしたの、風邪引いちゃうよ?」

いつの間にかバスルームから出てきた千茉莉に声を掛けられ驚いて振り返る。
乾いたばかりのまだ少し湿った髪にバスローブ。
こんな格好では風邪を引くのは千茉莉のほうだと、慌てて着ていたガウンを開くと、後ろから抱きしめるようにしてその中に取り込んだ。
千茉莉は二人羽織みたいだと声を立てて笑った。

「ごめん、寒かったな。ちょっと頭を冷やしたくて…。気持ちが高ぶってどうも落ち着かないんだ」

「…解るよ。あたしでさえ興奮気味で寝付けそうに無いんだもの」

「千茉莉は疲れているだろう? 飛行機の中で少し寝ただけなのに、本当に色々な事があったからな」

「うん……長い一日だったね。でも夢みたいに素敵な一日だったわ」

「ああ…そうだな。あそこに母さんがいるって事が信じられないよ。目覚めてくれるなんて…奇跡だとしか言いようが無い。千茉莉のおかげだよ。お前が俺をここまで連れてきてくれなかったら、絶対にこんな幸せは無かった」

「…それを言うなら、響さんだってあたしを励ましてパパを説得してくれて、留学まで出来るようにしてくれたじゃない。 あなたがいてくれなかったらあたしも今、こんなに幸せじゃなかったと思うわ」

俺を見つめ、ゆっくりと空へと視線を移す千茉莉。
頼りない光を放っていた三日月が、先ほどより優しく見えた気がするのは、傍に愛しい者がいてくれるせいだろうか。
俺達は互いを必要としているのだと、今日改めて強く感じた。
父と母が25年ぶりに瞳を交わしたときの強い絆は、俺達の中にもまた存在するのだと心のどこかで確信していた。

「月がさ…凄く不安そうだったんだ。さっき一人で見たとき。でも今はずっと優しく見える。千茉莉が傍にいてくれるからだろうな」

「響さん…」

「千茉莉が傍にいてくれると、それだけで俺は強くなれるよ。不安だなんて言っていられない。俺には護りたい女がいるんだ。もっと強くならなくては、って気持ちになるんだ」

「響さんはいつだって強いよ? あたしの事いつも支えてくれているもん。本物の王子様の血筋だって聞いたときには驚いたけれど、そうだと言われて頷けるものがあったよ」

「クスクス…王子様ねぇ? 暴君って言ったのは誰だっけ?」

「あれはっ…4回もキスをさせられたから…。それにおじい様たちも納得していらしたじゃない」

「うーん…俺は納得いかねぇんだけどな。でも俺が王子様ならお前はお姫様だな」

「クスクスッ。それ、ガラじゃない。いいとこお抱え召使か専属パティシェね。身分違いの恋だわ」

「俺は暴君だからな。身分が違おうが人種が違おうが、誰が何と言ってもお前を手に入れるだろうよ」

千茉莉の肩に顎を乗せ、耳元で囁くように言うとブルッと震える。
寒さからか、それとも別の解釈をしても良いものか…。
とりあえずここは後者としたいところを理性で無理やり前者として、 ほら見た事かと抱きしめる腕に力を込めた。

「ほら、冷えたんだろ? 髪が湿っているから身体が冷えるのも早いんだ。中に入ろう」

「あ…うん。でも響さんが温めてくれているから大丈夫」

「大胆な発言だな。お望みならこのままベッドで身体の芯まで温めてやるけど?」

「へっ? あのっ…いや…ほら…そういう意味じゃなくて」

「じゃあどういう意味? 俺の誕生日に最高のプレゼントを用意してたんだろう? このままバスローブの紐を解けばいい?」

「いやっ、お誕生日はもう過ぎちゃったし、来年って事で…」

「俺への誕生プレゼントは年中無休24時間受付しているからな? 誕生日が過ぎたからって遠慮しているならそんな心配は無用だぞ?」

「べっ、別に遠慮なんてしていないわよ!」

焦る千茉莉に悪戯心が騒ぎ出す。
こうしていることで、先ほどまでの言いようの無い不安も消し飛んでしまうのだから、やはり彼女は俺にとって必要不可欠なのだと思った。
クスクスと笑いながら、千茉莉をフワリと抱き上げると、そのままベッドルームへと連れて行く。

「あ?きゃっ!ちょっ…響さんっ?」

一瞬表情を硬くした千茉莉に「何を考えている?」と耳朶を噛んで囁く。
俺の低音に弱い千茉莉は、真っ赤になって俯いてしまった。

ベッドに下ろすと慌てて腕をすり抜けていく千茉莉。
無理強いするわけではないが、こうあからさまに逃げられると意地悪したくなるのが俺の性格。
両肩を固定するように押さえつけ、覆い被さると、鼻が触れる距離で覗き込みニヤリと一言。

「逃げること無いだろう? 俺達婚約者らしいし?」

「ちょっ…放して。婚約って…別に正式にそんな事してないじゃない」

ちょっと気に入らないその台詞に、ピクと右の眉が上がるのを感じた。
気に入らないときの俺のクセだ。
千茉莉もそれを悟ったらしく、シマッタという顔をしたが、時既に遅し。

「ふーん…。本気だって言っている男の心を弄ぶようなことを言う訳だ。良く解った。お前の場合は既成事実が先のほうがよさそうだな」

そのままバスローブの裾を肌蹴ると、しどけなく投げ出された足に指を滑らせた。

「…やだっ…放してっ! 響センセっ…ダメ」

ピタ☆と手を止め千茉莉を開放する。
クスクスと笑う俺に、ようやくからかわれたと解ったらしく、プウッと膨れた。

「はい、おめでとう。バツゲーム決定な♪」

「は?」

「今、【先生】って呼んだだろう?100回で究極のバツゲームって約束だったよな?」

「そんなのズルイ! ああっ、まさか響さんその為にワザと?」

「ん? まーさか、そんな卑怯なことをこの俺がすると思う?」

「……思う。だってその笑みが黒いもん」

ニッコリと笑う俺にピシャリと言い放つ。
確かにワザとだったのは事実。あと一回でバツゲーム決定なのに、99回目以降は警戒してかなかなか【先生】と言い出さなくなった為、策を講じてみたのだ。
未だに焦った時や怒った時に【先生】が飛び出す確率が高い為、要は軽くパニックにしてやればいいのだが、バレバレだったらしい。

「もおーっ。せっかく心の準備してたのにっ! もう知らないっ」

怒って俺の腕からすり抜けようとする千茉莉を背後から抱きしめる。

「へぇ? 心の準備ができていたんだ? じゃあこのまま押し倒しても良いな?」

「もうダメ、絶対にしないっ!」

「ふーん。まあ良いけど? 代わりに究極のバツゲームをしてもらうからさ」

「いやです〜っ。響センセイの仰ることなんてしませんっ」

「敬語かよ…まあ、そう怒るなって。どう足掻いてもお前に拒否権はねぇの。俺って暴君だもんなぁ? 可哀想だが千茉莉のバツゲームは決定な? 問答無用で俺の言ったとおりにしてもらうぞ?」

「やだーっ、絶対にしません。どうせろくな事じゃないんでしょう? この暴君!ヘンタイ!エロオヤジー!」

「ひでぇ…何をさせられると思っているんだよ? それにもうカウントは止めたから【先生】はオシマイ。それ以上言い続けたらバツゲーム第2弾を発動するぞ?」

「酷いっ!この鬼畜歯医者ぁ」

まだ悪態が飛び出す唇を無理やり奪って言葉を封じ込めた。
唇を通してバンバン文句が伝わってくるがそんなものは無視だ。

「んんーっ!!(訳:イヤー)」

少々長めのキスにようやく抵抗を諦めた事を確認してから唇を離すと、千茉莉は半ばグッタリとして覚悟を決めたように溜息をついた。

「うう〜っ…バツゲームって何するのよぉ?」

もう半泣きだ。勝手な想像は既に妄想の域に達しているらしい。
お前、俺をどんな奴だと思っているんだよ?

「ったく、どんなバツゲームだと思っているんだよ? ヘンタイとかエロとか…変なこと想像してんじゃねぇぞ?」

とんでもない誤解をしているらしいと溜息を一つ。
もう一度軽く唇を奪ってから、一息ついて言葉を繋いだ。





「…究極のバツゲームってのは…俺の最期を看取ることだ」





「……え?」

言葉を失い暫し放心する千茉莉。
予想通りとはいえ、余りにもポカンとしているので、本当に理解できているのか不安になるほどだ。

「だからぁ、聞いてたか? 別に変なことしろなんて言ってねぇだろ? ただ単に俺の最期を看取れって言ってんだよ」

「はあっ? …ちょっ…何よそれ? 最期って…なんで突然そんな事?」

「ん?何でって…俺は一生お前を手放すつもりはないし、別れるなんて絶対にありえないと思う。
だけどさ、何かの事情で俺の両親のように二人が引き裂かれることがあるかもしれないだろう?」

「…ぅ…うん…」

「それでも俺の気持ちは絶対に変わらない。一生お前だけを愛していく。
だから…人生の最期の言葉は、お前への愛の言葉で終えたいんだ。
俺の最期はたとえどんな事があっても傍にいて…絶対に看取ってくれ。…それが究極のバツゲームだ」

誰かが聞いたらプロポーズの言葉にも聞こえたかもしれない。
だけど、12歳の年の差ゆえそれはほぼ確定に近い余りにもリアルな現実だ。
千茉莉にとっては目を背けたい事で、俺にとってはどうしても叶えたい願いだった。

「…や…だ。そんな事言うのやめてよ。響さんを看取るなんて嫌。看取ってなんてあげないから絶対にあたしより長生きしてよ」

「それじゃ俺がバツゲームじゃねぇか。大体、俺はお前より12歳も年上なんだぞ? 日本の平均寿命は女のほうが圧倒的に長いんだし、どう考えても俺のほうが先に逝くんだぞ?」

「響さんは純粋な日本人じゃないもん。それに自信過剰で、我が侭だし。おまけに俺様だし王子様だし…」

「それが関係あるのかよ?」

「だから死神だって避けて行っちゃうもん。日本の平均寿命とかそんなのは当てはまらないし、あたしに看取れなんて言わないで…っ…。ずっと先の事でもそんなの嫌だよ」

「千茉莉…」

「あたしをあげるから…。足りなかったらあたしの寿命を分けてあげる。あたしの人生も全部響さんにあげる。だから…っ…そんな事言わないでっ」

泣きながら縋ってくる千茉莉が愛しくて、強く抱きしめるとそのままベッドに縫いとめた。
そのまま深く口づけて、感情のままに押し流されていく。
今度は千茉莉も逃げようとはしなかった。

「…逃げなくていいのか? このままだと止められなくなるぞ?」

「うん…乳臭いガキだけど…それでもいい?」

「クス…初めての診療のときの事、根に持っているのか? もう乳臭いなんて言わないよ…。俺だけの極上Sweetだ」

「甘いもの嫌いなくせに。…あたしは激甘よ?」

「望むところだね。こういう甘さなら大歓迎だ」

よかった…と、しなやかに伸ばし俺を受け止める細い腕。

バスローブの紐を解くと眩しいほどの白い肌が露になった。

仰け反る白い喉元に唇を滑らせる。

何度も愛の言葉を囁き、頬を伝う涙を唇で追いかける。

唇から唇へ…

肌から肌へ…

心から心へ…

溢れる想いを伝え、魂に刻み込むように抱きしめ合う。

指を絡め…

肌を感じ…

心も身体も一つに溶け合い重なるとき…


俺は天使の愛を手に入れ―…


金色の羽に包まれて夢を見た。





+++ 12月10日 最終話千茉莉へ +++


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