Sweet  Dentist 12月15日(木曜日) 第3話



当時、3歳になったばかりだった俺は、母親にベッタリの甘えん坊だったそうだ。

母がイギリスへ行った1週間の間、日中は祖母が相手をしそれなりに過ごしてはいたが、夜になると母を捜し泣いて父を困らせていたらしい。
毎晩国際電話で母と話をすることで、ようやく大人しく寝付くという日が続いていたそうだ。

最後に電話で話した夜、母は「明日の夜には帰るからね」といつもの優しい声で俺に語りかけた。
明日の夜には、母がお土産を持って帰ってくる。
俺はそれを信じ、大喜びで眠ったのだという。

だが―…

翌日、母の乗った飛行機は消息を絶った。

生存者はいないと報道され、母の名前は死亡者の中に連ねられた。

母が帰ってくると信じていた俺は、理由も解らず突然母が戻って来れなくなった事実にかんしゃくを起こし、父を困らせたらしい。
泣きじゃくり、疲れ果て、このクッションに顔を埋め眠ってしまったのだという。

その後、母が何日も帰らぬことで、俺は精神的に不安定になった。
食事も殆ど受け付けなくなり、入院するに至ったのだそうだ。
父はそんな俺を見て、退院後も母親の死をどうしても告げられなかったのだという。

「俺、ずっと前に親父が酒に酔って、母さんが生きているって洩らしたのを聞いた事があるんだ。あれは…本当なのか?」

俺の問いに父は一瞬息を呑んだ。

「…お前ももう大人だ。…事実を受け入れられる年だし、あの頃のように不安定になることもないな。全部話してやろう。その上で…お前が会いたいのならば会わせてやるよ」

「…会わせて…って、母さんはどこにいるんだ?」

「―…ロンドンだ。俺は明日からアリスに会いに行く」


父が明日から母に会いに行くという事実に衝撃を受けた。
幼い頃から定期的に何処かへ出かけていた父。
それは、母に会いに行っていたのだ。

「―っ!ど…うして? なんで俺に教えてくれなかったんだ? 会えるなら何で死んだなんて…っ!」

「…幼いお前に、今のアリスの状態を受け入れることが出来ないと思ったんだ。それはあまりにも―…残酷すぎるから」

残酷な現実―…

それは…母が生きていても日本へ帰ってくることが出来ない理由でもあった。



事故の後、生存者はいないと報道された。

だが父とて、事故の捜査が早々に打ち切られたこと、
遺体の判別が付かない理由から遺骨を引き取ることも出来ず、母の遺品すら見つからなかった事実に納得していた訳ではない。
憤りを感じながら現地入りした父は、ふとしたことから、ある情報を付近住民から耳にした。
全員死亡と報じられているのはおかしい。救助された女性が地元の病院へ運ばれたはずだというのだ。
彼女が長い金髪の女性だったと聞いた父は、すぐに教えられた病院へと向かい、真偽を確かめた。

残念ながら、それは別の女性だったのだが、父はその時点で何故、生存者の情報が公にならなかったのかを疑問に感じた。
何か深い理由があるのでは、と考えた父は、祖父から受け継いだ財産の全てを投げ打って、独自に捜索を開始したのだ。
もしかしたら、どこかで生きているかもしれない。救いを求めているかもしれない。
そう思ったら、僅かな可能性であっても、賭けてみたかったのだという。

そして捜索を開始してから3ヶ月…
父はある情報を掴み、母が生きていることを突き止めた。

母は実家が派遣した救助隊によって、既に助けられイギリスで手厚い看護を受けていたのだ。
金と権力を使い、娘の生存を隠蔽(いんぺい)し、情報を操作したのは、イギリスの祖父だった。
母が死んだとなれば、父も諦めると思っていたのだろう。

まさか父が財産を投げ打ってまで独自捜索をし、母を探し当てるとは夢にも思っていなかったらしい。
その父の熱意に、ようやく祖父も折れた。
母が希望するならば、日本へ帰っても良いと許しが出たのだ。

ようやく母と再会できることを父は喜んだ。
だが事故により両足と右腕を失った母は、自らの変わり果てた姿を父に見せたくないと再会を拒否し続けた。
何をするにも人の手を借りなければならない苦痛から、自ら死を選ぼうとした事もあったらしい。
日本から通い詰め、何度も再会を試みる献身的な父の姿を見るに見かねた祖母の協力で、ようやく母を説得し再会することができた。
だが美しかった母は、その輝きを失ったかのように表情無くやつれていた。
絶望で染まった瞳で父を見て、殺してくれと哀願したそうだ。

「アリスの気持ちを思うと不憫で涙が止まらなかったよ。俺が逆の立場なら多分同じ事を望んだだろうからな」

父は語りながら瞳を潤ませた。

「死を選ぶのは簡単だ。もしも死を選ぶなら、俺も一緒に逝こうと言ったんだ。だが、俺は彼女にもう一度生きる努力をして欲しかった。だから…響が成人するまではどんな形でもいいから生きて見守ってやって欲しいと頼んだんだ」

根気良く説得を続ける父に、頑なに閉じられていた母の心は徐々に開かれ、少しずつ前向きにリハビリを始めるまでに至ったそうだ。
そして、日本での生活が可能なまでに回復したら帰国して、家族で暮らすことを約束してくれた。

その後、母は約束どおり必死にリハビリをし、車椅子や義手、義足を使い、何とか身の回りの事が少しずつ出来るようになっていった。
医師からも帰国が可能と思われるほどに回復したのは、母が日本を去ってから迎える二度目の雨の季節だった。

「…帰ってくるはずだったなら、どうして? それに何故その時点で俺に何も教えてくれなかったんだ?」

「アリスが帰国できるかどうかは、ギリギリまで分からなかったんだ。既に死亡しているとされた彼女を国外へ出すには、彼女の父親でも相当なコネが必要だったんだ」

なるほど、と今なら納得できる。
だが、幼い俺にはとてもじゃないが、それを理解することは出来なかっただろう。
中途半端に喜ばせて、また希望の芽を摘むようなことを、父はしたくなかったのだと思う。

だから母の帰国が決まった時も、父は俺に何も告げずに、一人でイギリスへ飛んだ。
一緒に迎えに行くことも考えたらしい。
だが、母がいなくなって以来、俺は随分ナーバスな子供になっていた為、再び体調を崩すことを恐れた父は、最後まで内緒にして驚かせようとサプライズを決め込んだのだ。

思えばその頃、俺は幼稚園に入園し、瞳の色が左右違うことでいつも仲間はずれにされていた。
母がいないことを、子供特有の残酷さで「その目が気持ち悪いからだ」と言われ傷ついたこともあった。
自分の居場所を失った俺は、どんどん内向的で話すことの少ない子供になっていったのだ。

父は俺に関心がなく、そんなことに気付かなかったのだと思っていた。
だが本当は、父自身も、俺をどう慰めていいのか分からず、悩んでいたらしい。
人とは違う髪の色も、左右違う瞳も、全ては母から受け継いだもの。
そのことに触れ、俺が不安定になることを何よりも恐れていたのだ。

それも母が帰ってくるまでの僅かの間だと、自分に言い聞かせイギリスへ飛んだ父。

しかし…

イギリスで父を待っていたのは

余りにも哀しく残酷な現実だった。





+++ 12月15日 第4話へ続く +++


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