Sweet  Dentist 12月15日(木曜日) 第6話



ママに案内されて客間へやって来た響さんは、シャルルさんがいたことに驚いたようだったけれど、涙目のあたしを見て状況をすぐに悟ったらしい。
あたしの傍に来ると、すぐにパパの説得に掛かろうと体制を整えるのが分かった。

その様子を見て、パパはガックリとうな垂れた。

「…パパ?」

「はぁ…また千茉莉の味方参上かよ? どんなに足掻いても神様が千茉莉に味方しているみたいだよなぁ?」

パパはガシガシと頭を掻いて、暫く頭を抱えるポーズでうな垂れていたけれど、諦めたような大きな溜息を吐いた。

「…分かった。シャルルの元で学びたいならそれは許可しよう。…だが、シャルルも条件を呑め」

「…どんな条件でしょう? 兄の許可が要らず、僕の独断で出来ることであれば何でもしますよ」

「その言葉に二言は無いな?」


パパが顔を上げてニヤリと笑った。
いきなり交換条件に持ち込んだことも驚いたのに、このパパの不敵な笑み。
妙に黒いものを感じて、何だかとんでもないことを言い出すんじゃないかと、危険信号が脳裏を掠めた。

そしてその不安は、見事に現実となった。

「シャルル、お前が日本へ来い。千茉莉は日本で育てるんだ。できるだろう?」

パパの発言に、あたしは耳を疑った。
響さんもあたしの隣で、信じられない要求に言葉を失っている。

確かにフランスで学びたいのではなく、彼の元で学びたいのだとは言った。
だけど、彼ほどのパティシェをあたしだけの為に日本に引き止めるなんて、そんなことできるはず…。

「…いいですよ。そんな事でいいのなら」

とんでもない要求を突きつけられた当の本人は、何でもない事のように、アッサリ了承してしまった。
しかも『そんな事』でいいのなら…って何?
全然、『そんな事』じゃないですってば?
信じられない展開に、頭が真っ白になる。

どのくらい放心していたんだろう。
気がつけば今後の事は、パパとシャルルさんと何故か響さんの三人による話し合いで大方決められてしまっていた。

その内容がまた、更にビックリで…
傍で響さんが支えていてくれなかったら、きっとひっくり返っていたと思う。

あたしの留学の話は、あるといえばある。
だけど、それは当初の数年という期間ではなく、シャルルさんが帰国する時期に合わせた短期間の滞在になるらしい。
パパ曰く、あたしが成人するまでは、長期の海外修行は、やはり許可できないのだそうだ。

…でもそれって、二十歳を過ぎたら自分の意思で行っても良いよってことなんだよね?
それを確認するとまた意地になっちゃいそうだから言わないけれど、パパも本当は、あたしの為に何が大切か解っていてくれるんだって思うと嬉しかった。

まずは3月に学校を卒業したら、専門学校が始まるまでの間、シャルルさんと1ヶ月フランスへ行って勉強できる。
その後、シャルルさんは日本へ来てパパのお店であたしを育てることにしたらしい。

あの、シャルルさんがだよ?
あたしの為に、片田舎の洋菓子店に来るって…そんな事あってもいいの?

余りにも意外で、まるで夢を見ているみたい。

行き詰っていたと思った未来が、少しずつ明るくなっていくようで…

あたしは今なら何でも出来る気がしていた。

自分の事のように喜んでくれる響さんが、あたしの耳元でそっと囁く。

「だから言っただろう? 絶対に大丈夫だって」

本当に…
彼がいるだけで、全てがうまく行くような気がする。
自信過剰で、超俺様。
我が侭の極みじゃないかと思うような発言の連発なのに…

それを全て現実に変えてしまう響さんって…

やっぱり魔法使いかもしれないと、ほんの少しだけ思った。


シャルルさんとパパは、その後暫くジャン・セロンさんの話で盛り上がっていた。
シャルルさんにはジャンさんとトニーさんという二人のお兄さんがいて、一番上のジャンさんはパパと同い年で、修行時代に親友だったらしい。
そして二人の弟も、修行時代から知っていたのだそうだ。
シャルルさんは当時まだ15歳くらいで、兄たちと一緒に修行してもなかなか上達せずいつもべそを掻いていたらしい。
パパは嫌がらせを受けたり、辛い思いをしていただけに、そんなシャルルさんが不憫で、よく裏口で泣いてた彼を励ましてあげていたそうだ。

少々恥ずかしいことをバラされたシャルルさんは、仕返しとばかりに、パパが修行に明け暮れて、日本で待っているママに連絡もしなかった事をバラしてしまった。
更にママが、ある日突然フランスまで押しかけて、結婚するか別れるかの二者択一を迫ったと爆弾発言をしたので、パパは更に真っ赤になった。
その上シャルルさんが、煮え切らないパパにプロポーズをさせる為、セロン三兄弟が色々策を講じた事を暴露したものだから、パパはもう憤死寸前。

でもそこはいつも能天気なママのフォローがあって、上手くパパを丸め込んでしまった。
こういう所は流石だと、いつもは振り回される超マイペースなママの性格に、珍しく感謝してしまった。

だけど、これでようやくパパが響さんに待てるのかと、あれほどしつこく訊いた理由が解った気がする。
響さんをチラッと見ると、多分同じ事を考えていたのか、クスッと笑った。



その後…
パパは、久しぶりの再会にシャルルさんと外食をすることに決めたらしく、遠慮する響さんを拉致する形で連れ出してしまった。

シャルルさんが大好きだと言うお寿司を食べて、日本酒で程よく酔った大人たちは更に盛り上がって次のお店へと移動することに…。
流石に未成年のあたしはそこまで付き合えず、響さんが自宅まで送ってくれることとなった。

「俺達が帰るまで千茉莉を頼むな? 女の子を独りで留守番させて泥棒でも入ったら大変だからな。何だったら千茉莉のベッドで一緒に寝ていっても良いぞ」

後半は笑えない冗談だったけれど、もしかして、パパとママはあたし達に気を遣ってくれたのかな?
そういえば、お寿司屋さんで響さんがパパに、昨日お父さんとお母さんの事について話したと報告していたようだった。
そのことがあったから、 あたし達が二人きりで話せるように、時間をくれたつもりだったのかも知れない。


だけど…


一晩中、お父さんと話をして、朝方2時間ほど仮眠を取っただけで仕事に出かけた響さんにとって、パパに付き合っての日本酒は、かなり効いた様で…
家に着いたとたん凄い睡魔に襲われて、そのままあたしのベッドで寝入ってしまった。

…確かにパパにはあたしのベッドで寝ても良いって言われたけど…
あたしはどこで眠れば良いですか?
響さんの横で眠るわけにもいかず、しょうがないから居間のソファーで毛布に包まって眠ることにした。
ところが、この日はどこまでも眠りと相性が悪い日だったらしく、真夜中3時にヘロヘロに酔っ払って帰ってきた三人にたたき起こされて大変な目に遭った。

まず、客間にシャルルさんのお布団を敷いてあげて、それからパパとママを寝室送りにして…。
一仕事終えた頃にはすっかり目が冴えてしまった。

それ以上寝る気にもなれず、時間をもてあましたあたしは、パパに教えてもらったばかりのレシピを頭の中に広げてみることにした。

それは、彼が唯一口に出来た、お母さんの思い出のクッキー。

キッチンに広がる甘い香りが、 どうか夢の中まで届いて、彼に素敵な夢を見せてくれますように…
そう、祈りを込めて、あたしはクッキーを焼き上げた。



翌朝…
元気だったのは、あたしからベッドを奪った響さんと、酒豪のママだけだった。
響さんはすこぶるご機嫌で、その理由がお母さんの夢を見たからだったと知ったあたしは、あのクッキーが起こした奇跡のような気がしてとても幸せだった。
学校まで送ってくれるという響さんと二人、 二日酔いで唸るパパとシャルルさんに、ワザと大きめの声で「いってきます」と挨拶をして、笑いながら家を出る。
新婚さんの出勤みたいねと冷かすママに背中を押され、あたし達は照れながら車に乗り込んだ。

学校までの車中で、響さんは昨日話すことが出来なかった事について話してくれた。
お母さんがイギリスで生きていた事。
事故の後、お母さんが死亡したとされた理由。
そしてその後のお母さんの容態も、順序立てて話してくれた。
その衝撃的な内容に、お父さんのこれまでのご苦労や、響さんの幼少時代の寂しさを思い、胸が潰れそうだった。

「…お父さんは昨日イギリスに発ったのね。響さんはお母さんに会いに行かないの?」

「…迷っているんだ。会いたい気持ちはあるよ。だけど、たとえ会っても母さんは俺が解らないんだ。そう思ったら…急に怖くなったんだ」

「…怖い?」

「解らないんだ、自分がどうしたいのか。 ようやく母さんの笑顔と、ほんの少しの思い出を手に入れて、幸せだった頃を思い出した。
それが嬉しくて、心地良くて…。もうこれ以上母さんに関する何かを失いたくない。そう思っている自分がいて…会わないほうが良いんじゃないかと思う部分もあるんだ。
そんな事あるはず無い、会わないまま死に別れでもしたらきっと後悔するって、頭では解っていても、実際に目覚めない母さんの姿を目の前に現実として見てしまったら俺はまた大切なものを失ってしまうんじゃないかって凄く怖いんだ」

今までの自信たっぷりの彼からは想像つかない、まるで子供のような不安を抱える響さんに、彼の心の傷の深さを思い知った。
運転に支障の無い程度にそっと寄り添い、左腕に腕を絡めると、大丈夫と言うように、その肩に額を寄せた。

「ねぇ、響さん。きっとお母さんはあなたを待っていると思う」

「…え?」

「植物状態って、脳死とは違って意識が残っているケースがあるって聞いた事があるわ。
眠っているようで意識はちゃんとあって、周囲で起こっていることも、皆が話していることもちゃんと解っている場合もあるんですって。
お母さんだってそうかもしれないのよ?
ねぇ…お母さんは助けた子供を響さんに重ねていたんでしょう?
金髪で同じ年頃の子供が皆響さんに見えるほど、きっと凄くあなたに会いたかったのよ。
眠っている間もずっとずっと…あなたを夢に見続けていると思うの」

響さんは車を近くの建物のパーキングへ寄せ、あたしを抱き寄せた。
突然の行動とその力の強さに驚いて息を呑む。
それでも、彼がそれだけ不安定になっていて支えが必要なのだと思ったら狂おしいほどに愛しくて…
気がついたら彼の唇に自分の唇を重ねていた。

恐れないで…と願いを込めて交わす唇は、祈りにも似て…
傍に居るから…と伝える度に、互いを心の奥深くに刻み込んでいるようだった。

触れた唇から魂が交わるような、神聖な感覚。
神様の前で永遠の誓いを交わすのは、こんな風なのかもしれないと思った。

携帯電話のアラームに現実に引き戻されるまで、あたし達は離れることが出来なかった。
忌々しげに携帯を取り上げると乱暴にアラームを止め、あたしに向き直る響さん。
その瞳には決意が表れていた。

「…俺と一緒にイギリスへ行ってくれないか?」

「もちろん一緒に行くわ。…いつ出発するの?」

「三日後…俺の誕生日に」

何故か驚かなかった。
むしろそれが予め決まっていたことのように、自然に受け止めて答えていた。

「大丈夫。ずっと一緒に居るから…勇気を出してお母さんに会おう?」

あたしの言葉に頷くと、彼はもう一度あたしを引き寄せて


長い長いキスをした。





+++ 12月15日 第7話へ続く +++


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