12月15日、午後7時30分。
あたしは響さんのお父さんと対面していた。
安原優吾さんは、
響さんが瞳と髪の色を変え20年分、年を取ったような素敵な紳士だった。
響さんは瞳と髪をお母さんから、容姿をお父さんから受け継いだらしい。
パパから聞いていたデコピンおじさんのイメージとはかけ離れたナイスミドルに、あたしはすっかり戸惑ってしまった。
「実は今夜のディナーはちょっと変わった場所を用意しているんだ」
そういってお父さんはあたし達を車で郊外のレストランへ連れ出した。
そこは古い城を改装したホテルの中のレストランだった。
アンティークな調度品と、豪華な佇まいが観る者を圧倒し、その場に漂うクラシカルな雰囲気は、タイムスリップしたような錯覚を起こさせる。
まるで自分がお姫様にでもなったような、優雅な気分になれるのは、この場所が本物の歴史を刻んだ城だからなのだろう。
レストランの雰囲気と、美味しい料理の数々に、あたしはすっかり酔いしれていた。
デザートはもう絶品で、響さんの分まで貰ってその味を舌に記憶したほどだった。
食事が終わってから少し付き合って欲しいといわれ、レストランを出てホテルの庭へと移動する。
美しく紅葉したイングリッシュガーデンがライトアップされる中を歩いて、庭の突き当たりの古いレンガ塀のアーチ型のドアの前へやって来た。
まるでオママゴト部屋の入り口のような小さな木製のドアはツタの葉に隠されるようにしてあった。
古いものらしく、ノッカーのような錆びた取っ手が付いている。
お父さんはそのドアの鍵を開けると、腰をかがめドアの奥へと入っていった。
驚いているあたし達に、付いてくるように告げ、塀の向こう側のもう一つの庭をどんどん歩いていく。
「おぃ、親父、ホテルはあっちだぞ? ここはこの城の持ち主の庭だろう? 不法侵入になるぞ」
「良いんだよ。ここはレクシデュール公爵の城だ。
実は毎年12月15日にはこの城の娘の誕生パーティがそこの温室で行われるんだが、今夜はそれに招待されていてね。二人にも是非来て欲しいと誘われているんだ」
そういうと、お父さんは温室へとあたし達を案内した。
温室の中には色取り取りの花々が咲き乱れている。
お父さんに続いて中に入ると、そこは外の寒さが嘘のように暖かくて、コートを着ていると汗ばむほどだった。
更に温室の奥へと進むと、そこにはこの城の主と思われる見覚えのある瞳をした老人と、その夫人が微笑んでいた。
「響、レクシデュール公爵と公爵夫人だ。…お前のおじいさんとおばあさんだよ」
「―っ! 何だって? じゃあここは…」
「アリスの実家だ」
「…じゃあ母さんはここに? …最初からここへ来るならそうと言えばよかったのに」
「お前はまだアリスに会うことをどこかで迷っていただろう? それなのに今夜いきなりおじいさん達が待っていると言ったら素直について来たか? きっと日を改めてとか何とか言い訳をして先延ばしにしようとしたんじゃないか?」
グッと言葉に詰まった響さん。
お父さんは響さんの中の迷いや不安をお見通しだったらしい。
「母さんの事は受け入れるつもりでイギリスへ来たんだ。それから逃げるつもりは無いさ。…だけど、いきなりおじいさんやおばあさんって言われても…、考えてもみなかったから」
言葉を濁しながらもレクシデュール公爵夫妻と向き合う響さんは、自分と同じオッドアイの祖父に戸惑いの表情を隠しきれない様子だった。
お父さんがお二人にあたし達を紹介すると、公爵と響さんは硬い握手を交わし、公爵夫人は「ずっと会いたかった」と言って響さんを抱きしめ泣き出してしまった。
驚いたように目を見開いて夫人を抱きしめ返した響さんは…
一瞬の間のあと、ゆっくりとその表情を和らげていった。
その表情はとても幸せそうで…
彼が大切な家族の絆をもう一度取り戻しつつある事を感じた。
響さんがゆっくりと家族に馴染んでいく姿に、その場の空気が更に暖かくなった気がして、あたしはとても嬉しかった。
「最初からこんな予定じゃなかったんだぞ? ただ響が誕生日に婚約者を連れて来るから今夜のパーティには遅れると連絡したら、レクシデュール公爵がどうしても一緒にお祝いしてやりたいと言って…」
「一緒にお祝いって…この家の娘さんの誕生パーティなんだろう? 俺のお祝いと一緒にするなんて失礼だろう?」
「いや…むしろお前が居たほうが彼女も喜ぶよ。…お前もアリスの誕生日を祝ってやってくれないか?」
「母さんの…誕生日? 今日が?」
「ああ、お前とアリスは誕生日が同じなんだ。
出産予定日はクリスマスの頃だったんだが、自分の誕生日に産まれたら良いのにって、アリスはずっと言っていたよ。
まさか本当にそうなるとは思ってもみなかったけどな。
アリスの誕生日に陣痛が来た時は、神様が誕生日の贈り物をくれたのだと凄く喜んでいたよ。
だけどお前は夜になってもなかなか生まれようとしなくて、11時を過ぎた時点で医者からは日付の変わる前には産まれないだろうと言われたんだ。だが彼女は諦めなくて絶対に今日のうちに産んでみせるって言い張ったんだよ。
そしたら急にお産が進んでさ、アリスの頑固さに赤ん坊が負けたって医者も笑っていたよ」
お父さんはその時を思い出すようにクスクスと笑った。
「12月15日午後11時58分。本当に日付の変わるギリギリにお前は産まれたんだ。2750グラムの元気な男の子だった。
今でも響はアリスに呼ばれて早く生まれて来たのかもしれないと思うことがあるよ」
お父さんの言葉を聞きながら、あたしは胸を揺さ振られる想いが込み上げてくるのを感じていた。
人は運命によって抗えない力で押し流されるときがある。
それはこの数日間であたし達が強く感じていたことでもあった。
その理由が何なのかこれまで解らなかったけれど…
もしかしたら、あたし達はアリスさんの強い願いに呼び寄せられたのかもしれないと思った。
「母さんは、ここに来るのか?」
俺の声は震えていた。
感情が高ぶって、込み上げてくるものを制御できなかった。
幼い頃から何度も母を求めて伸ばしたその手は、いつも空を掴んでいた。
寂しくて涙を流した幼い日も、優しく抱きしめてくれる腕は無かった。
求めても、求めても、母の姿はどこにもない。
そして…俺はいつしか求めることを止めた。
求めるから失望するのだと気付いたときに、求めるのを止めた。
いや…止めたふりをして自分に忘れたと言い聞かせてきたんだ。
本当はずっと求めてきた。
温かく抱きしめてくれる腕を…
そして…俺は千茉莉に出逢った。
もう母の影を追い求める必要など無くなった…。
それなのに、やはりこんなにも会いたいと思うのは何故だろう。
俺を抱きしめることも、声を掛けることもできない母に…
何故…こんなにも会いたいと思うんだろう。
「もうすぐアンソニーがアリスをここに連れて来る。会ってやってくれるか?」
父の声が妙に大きく聞こえた気がした。
緊張から神経が研ぎ澄まされているのか、自分の声さえも、耳にワンワンと響くようで五月蝿かった。
その時、フワリと左腕が温かくなった。
千茉莉が腕を絡め、俺の不安が和らぐように寄り添ってくれていた。
愛おしいと思った。
母が俺を産んだときも、やはりこんな風に愛おしいと思ってくれたのだろうか?
抱きしめて護りたいと思ってくれたのだろうか?
幸せを願ってくれたのだろうか?
愛していると―…
何度も言ってくれたのだろうか…?
「響さん…大丈夫?」
「千茉莉…お前がいてくれれば大丈夫だ」
「うん、傍にいるよ。…勇気を出して」
ギュッと肩を抱くと、顔を上げ父に向かった。
「母さんに会うよ。…いや…会わせて欲しいんだ」
俺の言葉を待っていたかのように、温室のドアが開いた。
アンソニーと呼ばれた、50歳くらいの金髪の男性が、毛布に包まれた母を抱いて、温室に入ってきた。
両足と片腕を失った母はとても小さくて、まるで小さな子供のようにも見えた。
父はまるでガラス細工でも扱うかのように、彼女を受け取り抱きしめた。
愛する者を抱く、その表情はとても幸せそうで…
それゆえに、切なくて…
目覚めぬ母を想い続ける父に、胸が熱くなった。
+++ 12月10日 第9話へ続く +++
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