翌々日の夕方。応援に出かけたものの、甲子園から一度戻ってきていた門脇の母から、
駅まで門脇を迎えに行くから荷物持ちをしてくれないかと誘われた。
結局足の怪我はスパイクで切っただけで骨折はないものの、十六針も縫う事になった上に
酷い捻挫をしていたから、大事を取って休ませる事になったのだと言う。
ある程度回復するまでは自宅で治療を、という事になったと、おばさんはどこか嬉しそうに告げた。
いくら才能のある息子とはいえ、県外へ出てしまうとやはり寂しかったのだろう。
「あの時は心臓が止まるかと思うたんよ」
おばさんは明るく話しかけてきた。適当に相づちを打ちながら、瑞垣は門脇の心情を思う。
あいつは負けず嫌いじゃから、この状況は悔しくてたまらんじゃろうな。
チーム自体は勝ち進んだものの、今日の第一試合でサヨナラ負けを喫してしまった。
門脇はホテルでその様子を鑑賞していたという。三年はこれで引退だ。
一年生レギュラーとしてはやりやすくなるだろうが、門脇はそういう風に言い聞かせて自分を満足させられる程器用な性格はしていない。
……オレと違って。
陽が翳ってきたというのに気温は一向に下がる気配がなかった。
車を降りると湿気を含んだ熱が身体にじっとりと絡み付く。
今年は少なめだという話だったが、油蝉の突き刺さるような悲鳴が耳についた。
ふと、鍛え上げた青年の身体が陽光を遮る。
「秀吾!……どうね、痛まんね?」
おばさんが駆け寄って、ホテルから直行してきたらしい門脇の大荷物を慌てて受け取った。
大丈夫じゃ、大げさにしとるだけじゃ。実際は大したことないが……と苦笑する門脇の右足は固定され、松葉杖を一本だけ持っていた。
ジャージのスリットが開けられ、ふくらはぎから下は包帯でぐるぐる巻きにされている。
背負った青いリュックとショルダーバッグは荷物が詰まっているようで窮屈そうだった。
少し離れた所からその光景を眺めていた瑞垣に門脇が気づく。
目があった途端緊張の糸が解れたのか、安心した表情を浮かべた。
「俊……来てくれたんか。ほんまに、ありがとな」
一瞬反応に躊躇してしまった瑞垣を目指して、ひょこひょこと近寄ってくる。
躊躇やぎこちなさは全くない。
意識し過ぎるくらいしていた瑞垣が馬鹿馬鹿しくなるくらい、門脇の表情は自然だった。
「アホが! 無理して動くな」
我に返って慌てて駆け寄る瑞垣に向けて、門脇はにやり、と笑いかけた。
「心配して来てくれたんじゃな。……サンキュー」
「甲子園まで行って怪我して帰ってきた、間抜けな英雄の顔を見に来たんじゃ」
内心を見透かされるのが嫌で憎まれ口をたたくと、意外にも門脇は全くだ、と言って笑うだけだった。
怒るかと思っていたのに。
……中学時代の門脇だったら、下手したらキレていただろうに。
門脇の荷物を持ってやりながら、瑞垣は時間の流れを痛感した。隣に来た門脇の肩の位置が、以前よりも高い所にある。
自分が伸びた背丈以上に、彼の身長は伸びていたのだ。
たった数ヶ月が、遠い。
門脇の仕草一つ、言葉一つに酷く動揺する。
……オレは思春期の少女かよ。
自分の動揺っぷりが馬鹿馬鹿しくなる。
ふう、と溜まっていた息を吐き出し、瑞垣は思考を意識の隅に追いやった。
*
手伝ってくれたお礼にと、おばさんはしこたまマヨコロッケを作ってくれた。
しかし、ここの所食が細くなってしまって、以前の量の半分程で胸がつかえてしまう。
門脇はそんなに痩せて大丈夫なんか? と言いながら、瑞垣の分までコロッケを平らげてしまった。
「秀吾、いくらなんでも食べ過ぎじゃ。運動出来んのじゃから、少しは我慢せんと、太るが」
「久しぶりなんじゃからええじゃろ。向こうに戻ったらまた食えなくなるんじゃから」
半年前には日常の風景の一つだった、親子の他愛ない会話。
この親子ならば何年経っても変わらずにいられるだろう。
でも、オレは。門脇へ向かう感情が、以前とは方向の違っている事に気づいてしまったオレは、この風景には場違いなんじゃないのか。
一口分だけ残ってしまったマヨコロッケを突きながら、瑞垣は空転する思考を持て余していた。
「俊、部屋に戻るから、肩貸してくれ」
門脇の言葉で我に返る。本当は部屋に入りたくなかった。
夢のように体を重ねたあの日を、淫らがましい自分が期待してしまうから。
「……俊?」
怪訝そうな表情を瑞垣に投げかける。
「……お前、重いから嫌じゃ」と軽口を叩いて、瑞垣は門脇の腕を担ぎ上げた。
食事の前に母親に介助してもらってシャワーを浴びていた門脇から、石鹸の柔らかな匂いがする。
「ああ、俊ちゃん、後でお風呂入っていきなさいよ。暑かったでしょう? 遠慮せんでええからね」
背後からおばさんの無邪気な声が投げかけられた。
……冗談じゃない。そんなの、期待しとるみたいじゃないか。
丁重に断ろうとする瑞垣を、門脇がにやり、と笑って制した。
「ほんまじゃ。俺も色々と愚痴を聞いて欲しいし、折角だから泊まってけよ。お前が風呂入ってる間に、連絡しとくから」
そういって瑞垣の瞳を覗き込む門脇には、有無を言わせぬ威圧感が漂っていた。
瑞垣は、自らの負けを認めざるを得なかった。
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駅まで門脇を迎えに行くから荷物持ちをしてくれないかと誘われた。
結局足の怪我はスパイクで切っただけで骨折はないものの、十六針も縫う事になった上に
酷い捻挫をしていたから、大事を取って休ませる事になったのだと言う。
ある程度回復するまでは自宅で治療を、という事になったと、おばさんはどこか嬉しそうに告げた。
いくら才能のある息子とはいえ、県外へ出てしまうとやはり寂しかったのだろう。
「あの時は心臓が止まるかと思うたんよ」
おばさんは明るく話しかけてきた。適当に相づちを打ちながら、瑞垣は門脇の心情を思う。
あいつは負けず嫌いじゃから、この状況は悔しくてたまらんじゃろうな。
チーム自体は勝ち進んだものの、今日の第一試合でサヨナラ負けを喫してしまった。
門脇はホテルでその様子を鑑賞していたという。三年はこれで引退だ。
一年生レギュラーとしてはやりやすくなるだろうが、門脇はそういう風に言い聞かせて自分を満足させられる程器用な性格はしていない。
……オレと違って。
陽が翳ってきたというのに気温は一向に下がる気配がなかった。
車を降りると湿気を含んだ熱が身体にじっとりと絡み付く。
今年は少なめだという話だったが、油蝉の突き刺さるような悲鳴が耳についた。
ふと、鍛え上げた青年の身体が陽光を遮る。
「秀吾!……どうね、痛まんね?」
おばさんが駆け寄って、ホテルから直行してきたらしい門脇の大荷物を慌てて受け取った。
大丈夫じゃ、大げさにしとるだけじゃ。実際は大したことないが……と苦笑する門脇の右足は固定され、松葉杖を一本だけ持っていた。
ジャージのスリットが開けられ、ふくらはぎから下は包帯でぐるぐる巻きにされている。
背負った青いリュックとショルダーバッグは荷物が詰まっているようで窮屈そうだった。
少し離れた所からその光景を眺めていた瑞垣に門脇が気づく。
目があった途端緊張の糸が解れたのか、安心した表情を浮かべた。
「俊……来てくれたんか。ほんまに、ありがとな」
一瞬反応に躊躇してしまった瑞垣を目指して、ひょこひょこと近寄ってくる。
躊躇やぎこちなさは全くない。
意識し過ぎるくらいしていた瑞垣が馬鹿馬鹿しくなるくらい、門脇の表情は自然だった。
「アホが! 無理して動くな」
我に返って慌てて駆け寄る瑞垣に向けて、門脇はにやり、と笑いかけた。
「心配して来てくれたんじゃな。……サンキュー」
「甲子園まで行って怪我して帰ってきた、間抜けな英雄の顔を見に来たんじゃ」
内心を見透かされるのが嫌で憎まれ口をたたくと、意外にも門脇は全くだ、と言って笑うだけだった。
怒るかと思っていたのに。
……中学時代の門脇だったら、下手したらキレていただろうに。
門脇の荷物を持ってやりながら、瑞垣は時間の流れを痛感した。隣に来た門脇の肩の位置が、以前よりも高い所にある。
自分が伸びた背丈以上に、彼の身長は伸びていたのだ。
たった数ヶ月が、遠い。
門脇の仕草一つ、言葉一つに酷く動揺する。
……オレは思春期の少女かよ。
自分の動揺っぷりが馬鹿馬鹿しくなる。
ふう、と溜まっていた息を吐き出し、瑞垣は思考を意識の隅に追いやった。
*
手伝ってくれたお礼にと、おばさんはしこたまマヨコロッケを作ってくれた。
しかし、ここの所食が細くなってしまって、以前の量の半分程で胸がつかえてしまう。
門脇はそんなに痩せて大丈夫なんか? と言いながら、瑞垣の分までコロッケを平らげてしまった。
「秀吾、いくらなんでも食べ過ぎじゃ。運動出来んのじゃから、少しは我慢せんと、太るが」
「久しぶりなんじゃからええじゃろ。向こうに戻ったらまた食えなくなるんじゃから」
半年前には日常の風景の一つだった、親子の他愛ない会話。
この親子ならば何年経っても変わらずにいられるだろう。
でも、オレは。門脇へ向かう感情が、以前とは方向の違っている事に気づいてしまったオレは、この風景には場違いなんじゃないのか。
一口分だけ残ってしまったマヨコロッケを突きながら、瑞垣は空転する思考を持て余していた。
「俊、部屋に戻るから、肩貸してくれ」
門脇の言葉で我に返る。本当は部屋に入りたくなかった。
夢のように体を重ねたあの日を、淫らがましい自分が期待してしまうから。
「……俊?」
怪訝そうな表情を瑞垣に投げかける。
「……お前、重いから嫌じゃ」と軽口を叩いて、瑞垣は門脇の腕を担ぎ上げた。
食事の前に母親に介助してもらってシャワーを浴びていた門脇から、石鹸の柔らかな匂いがする。
「ああ、俊ちゃん、後でお風呂入っていきなさいよ。暑かったでしょう? 遠慮せんでええからね」
背後からおばさんの無邪気な声が投げかけられた。
……冗談じゃない。そんなの、期待しとるみたいじゃないか。
丁重に断ろうとする瑞垣を、門脇がにやり、と笑って制した。
「ほんまじゃ。俺も色々と愚痴を聞いて欲しいし、折角だから泊まってけよ。お前が風呂入ってる間に、連絡しとくから」
そういって瑞垣の瞳を覗き込む門脇には、有無を言わせぬ威圧感が漂っていた。
瑞垣は、自らの負けを認めざるを得なかった。
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