*
その日は結局、1時間ほどで門脇は自宅へ戻っていった。
母親は息子の自慢の幼馴染、と褒めそやし、妹は心なしか嬉しげに門脇を迎えていた。
自分は何もわだかまりがないように見えただろうか。
この期に及んでそんな事を気にしてしまう。
一ヶ月前、門脇が新田を離れる直前の事。新田東との試合の翌日だった。
酷く真剣な顔をした門脇が、朝寝坊している瑞垣の部屋に押しかけてきたのだ。
『お前なんか嫌いじゃ』
と何度言っても、門脇は頑として幼馴染である自分がどれだけ瑞垣を頼りにしていたか、尊敬し ているか、友人として誇りに思っているかを説く事をやめなかった。
そして門脇は、大人へと向かう眼差しに強い意志を込めて、断言した。
『お前は、自分の事を過小評価しすぎじゃ。俺は知っとる。お前がどれだけ出来るやつか。
俺はずっと、お前に寄っかかって甘えて生きてた。だから……これまで、ありがとう。これ からも多分、お前以上の友達はおらんと思う』
余りに強い真摯な言葉に瑞垣は毒気を抜かれてしまい、さらに寝起きだった事もあって、 その時は「ああわかったから」と門脇の言葉をうっかり呑んでしまったのだった。
でも。
「汚れを知らない高校野球界のアイドル、門脇秀吾選手にはわからないじゃろう……?」
あの純粋無垢なヒーローをどん底まで引きずり堕としてやりたい。
「自慢の」幼馴染、秀吾には無垢なままでいて欲しい。
こんな二律背反な考えが頭から離れなくなったのはいつからだっただろう。
今自分が横たわっているベッド。ほんの三十分程前まで、門脇がここに座っていた。
瑞垣はそろり、と下着の中に自分の手を忍ばせる。
女の子を適当につかまえてした方が気持ちはいい。
でも、今はその為に手順を踏むのが面倒臭い。
一人でしていればなんの努力も必要ない。時間もかからないし、手っ取り早くすっきりする。
「……っ」
熱を持つ自分を弄ぶようにして、いつものように昂ぶらせてゆく。
何のことはない単純な排泄行為。
ただ一つ、自らが門脇に触れられている事を想い……感じている事を除けば。
堕としてやりたい。あの野球第一主義野郎がオレを組み敷いて、女にするみたいにオレを 愛撫して、力任せに貫く所を想像しただけで、身体がますます熱を帯びてくるんだ。
あいつの理性を粉々にして、ただ情動だけで動く獣に変えてしまいたい。
そうして、狂乱から醒めた後のあいつの反応が見てみたい。秀吾は……どうするんだろう?
育ちのいいあいつの中の常識をぶち壊してやりたい。オレと同じ所まで墜落してしまえよ。
お前はどうせ、オレの中にあるこんな衝動、考えた事もないんだろうが。
いつからこんな時に門脇の事を想うようになったのか、瑞垣はもう覚えてはいなかった。
ただ、原田との出会いがあってから、こうして自分を追いつめる回数が増えたような気がす る。
本当のケダモノに会って、オレの獣性が解放されたんだろうか? 快楽に融けてゆく身体 の隅で、昂ぶる自分を冷たく観察している理性が僅かに疑問を孕む。
体に与えられる刺激に、そんな考えはすぐに消えてしまうのだが。
『オレのものでドロドロに汚してやるよ。そして……オレに溺れてしまえよ、秀吾。
お前の全てをオレの中に吐きだしてみろよ。
お前だって、オレと同じケダモノなんだって、証明してみせろよ』
瑞垣の心を犯す幻の門脇に、煽る言葉を投げかける。現実の秀吾は絶対に、欲望のままに オレを組み敷く事はないだろう。
そもそも、自分は秀吾の性欲が向かう対象ではあり得ない。そんな事は百も承知だ。
煽る手の動きを早める。呼吸が上がる。いつもより昂ぶるのが早い気がする。
「……っく、しゅ……」
いないはずの門脇の気配に、自分が犯されている気がする。瑞垣は目を閉じ、つかの間の 刺激に溺れた。
オレが、汚してやってるんだ。ざまぁみろ。
とくり、と手のひらに熱いものが弾ける。自分の中の薄汚ない感情が凝り固まってあふれ たみたいだ、と瑞垣はぼんやり思う。
帰ってこなければよかったのに。会わなければ、こんなにイラつくこともなかったのに。
体の内に吹き荒れる嵐は少しずつ収まってゆき、後には寒々しい沈黙が残った。