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翌日。惰眠をむさぼっていた瑞垣を起こしに来たのは、母親ではなく門脇だった。
「おーい、俊。遊びに行こう。俺、買い物行きたいんじゃけど」
眠気に覆われた頭は門脇を認識出来ない。何がなんだかわからなくてぼんやりしている瑞 垣のくるまっている布団をひっぺがし、門脇は激しく瑞垣の体を揺さぶった。
「おばさん達、もう出てしもうたぞ。早く起きんと、朝ご飯作ってくれとるのに」
「……なんで、お前がおるんじゃ、秀吾」
「俺、昨日、こっちに帰省したんじゃ。夜会っとるじゃろ? 相変わらず、寝起きが悪ぃん じゃから」
タンクトップに短パン姿の門脇が、ベッドの端に座って瑞垣を呼ぶ。
「はよう。俺、明後日までしかおられんのじゃから。時間がもったいないで」
ようやく事態が飲み込めてきた瑞垣は、以前もこんな風に起こされていた事を思い出し、 不機嫌極まりない顔をして門脇に背を向けた。
「……お前、高校生じゃろ。眠い友人はそっとしとくのが大人の態度じゃないんか?」
「もう十時じゃが。大人じゃったらはよう起きんと」
馬鹿力で無理やり引きずり起こされた。着ていたトレーナーががずるりと肩から落ちる。
「……オレはお前みたいに体力ないんじゃ。寮でもこんな風にしとるんか?」
「俺はマイペースにやっとるから。お前も体力維持のためになんか部活すればええのに。そ れに、タバコの吸いすぎじゃ」
体育会系らしいごもっともな事をおっしゃる。
起こされた事もあって機嫌最悪の瑞垣は、門脇を押しのけるようにして立ち上がり、適当に服をつかんだ。
それから、不機嫌な表情を隠さずに門脇を睨み付ける。
「なに、秀吾ちゃん、オレのストリップショーでも見たい?」
「……は?」
門脇はきょとんとした目で瑞垣を見ている。
「先に台所に行けよ。メシ、ついだりしてないじゃろ? それくらいは気ぃ利かせろ。お前 が 起こしたんじゃからな」
ああ、と言って門脇は部屋を出ていく。
夕べ自分がしていた事を思うと、ほんの少しだけ後ろめたい気分になった。
あの後シャワーを浴びて服は全て着替えている。けれども、まだ体に残滓が付いているような気がした。
瑞垣は伸びてしまった髪をくしゃくしゃとかき回し、気持ちを切り替えて新しいTシャツ を被った。
ああ、もううんざりだ。早く、土曜日になればいいのに。
のろのろと着替えて台所へ向かうと、門脇は勝手がわからない、という風情で瑞垣を 待っていた。これまでメシをつがせるような事はさせていない。
瑞垣は無言で座るよう促 し、さっさと準備をしてやった。だらだらと過ごすつもりだった休日を何の予告もなしに いきなり邪魔されたのだ。
これくらいの嫌がらせはしても構わないだろう。
門脇は美味そうにメシをかき込み始める。相変わらず、楽しそうにメシを食うやつだ。
小さな頃からこういう所は変わらない。
「……こっちに帰るなら帰るで、先に連絡してくれればよかったのに。お前、何のために 電話があると思っとるんじゃ」
苛立ちのあまりに本音をぶつけてみる。
事前にわかっていれば、予定を入れまくってこいつと会わないように出来たのに。
「一年はこの時期休みが取れるんじゃ。チームはまだ二,三年がメインじゃからな。俺は 今年はレギュラーになれるかどうかまだわからんのじゃ。 三年の先輩とポジション争 いしとるから」
強豪校ともなるとレベルも高いし層も厚い。
流石の門脇でも苦労は多いのだろう。
やつれた面差しと、心なしか筋肉のついた腕や足から想像がつく。
「……野球エリートの門脇様だったら一年レギュラーも目の前でしょう?」
旧友の口から飛び出した明らかに皮肉としか取れない口調に、門脇は顔をしかめる。
「俊……そんな事言わんでくれ。もう、大概の事は言われ尽くしとるが、幼馴染のお前に 言われるのは、こたえる」
門脇は性格的に、人から嫌われる事はまずない。
ただ、全国から優秀な人材が集まる強 豪校でも、門脇のように中学時代から全国に名を馳せるものはそうはいないから、当然の ように風当たりは強いだろう。
新田の原田みたいに自分から敵を作るようなのは論外だが、 それでも降りかかるであろう嫌がらせの数々は予想がつく。
もしかしたら、今の時期に休 みを取るという事自体、門脇は何も言わないが何らかの隠れた意図あっての事なのかもし れない。
原田の入部当初どんな事が起きていたのか、後に瑞垣は海音寺から聞く事になった。
野球というスポーツが孕む闇は案外深い。
だからこそ、自分もそこから離れる事を決めたのだが。
「球場のグラウンドの中には、魔物が住んどる。オレはもう、囚われるのはまっぴらじゃ から、あそこで活躍するのはお前に任せとるんじゃ。弱気になると、ぱくりと食われる ぞ」
囚われる。自分の発言に疑問を抱く。何に囚われていたんだろう。
野球に? 自分に? それとも、こいつに?
答えの出ない問いが頭をかすめる。それをかき消すように、門脇が元気に茶碗を差し出 した。
「俊、メシのおかわり、ついでくれよ」
……朝からようこんなに食う気になるな。
へいへい、とぞんざいに答えて、瑞垣は茶碗を受け取った。