代理戦争/最下層街編/終・静寂/3


唐突に、ラジオからザザッと雑音が鳴り始めた。アンテナがずれたのだろうか。
スイッチを切ろうと、ウスライは右手を伸ばした。と。
「……」
ぎゅっと手を掴まれた。ハダレのはっきりした行動だった。
加減がよく分からなくなっているのか、さきほどのウスライにまして強い力だった。
「痛い」
抗議する。すると、力は緩んだが離さないまま、
「……い、く、な?」
ハダレが唇で伝えてきた。
最下層街でなんとなく身についただけの読唇術ではかなり怪しいところがあったが、
それであっていたらしい。ハダレの頭が縦に揺れた。
ウスライは手と、雑音を出すラジオを交互に見た。
三度見比べた上でため息をつき、椅子に掛け直して手を握り直した。
「分かった。いかない」
ハダレの頭が縦に揺れた。


夕食の時間が過ぎ、回診の時間が過ぎてもハダレとウスライの手はつながったままだった。
核心のことがらに関する言葉はない。ハダレもまた水一滴飲まなかった。
ただ時間が流れていった。
ラジオは看護婦の手によって止められていた。――曰く、電池がもったいない。
もっともな言葉だったが全く無音というのも、傍目にはどこか不自然な空間だ。
かといって片方が言葉も発せないのだから会話も成立しない。
だが、いつかの倉庫のように、無言でも気まずくはなかった。

消灯時間が迫った時、ウスライは口を開いた。時を経ないうちに尋ねたいことがあった。
「ハダレ。…………俺が憎いか?」
半開きの瞼の下で瞳が動いた。ウスライの顔を一瞬見――視線を落とし、さまよう。
「お前の今の居場所も昔の居所も結局奪ったのは俺たちだった。
 もしお前が元気だったら、俺を責めたか?」
(オレ"たち"?)
不審げに見上げると、唇の動きを読んだウスライが頷いた。
「ササメを奴隷にしたのは兄だ。お前を最下層街の王から引きずりおろしたのは俺だ。
 ……お前が軟禁されて育った原因の『異』は東方士族のものだ」
自分と係累が寄ってたかってお前を苦しめた、とウスライはいいたいのだろう。
さらに責められる相手は目の前にいる、彼しかいないと。
――息を吸って、ハダレはしばし考えた。
沈んでいこうとする心とわき上がった激情の両方を、静かに見つめながら、
浮かんできた疑問があった。自分にも覚えがある疑問が。
質問に質問を返すことになるが、口を開く。
同時にウスライが顔を近付け、ひとことひとこと音にしていく。
「せ、め、られ、たら、…らく、に、なれる、か、ら?
 ――お前に責められたら、俺が楽になるから、それを聞くのか……と?」
ハダレが頷く。その答えに、ウスライが沈黙した。
ウスライの中にも、ハダレの中にも、犯した罪と犠牲にした者達への罪悪感がある。
かといって、復讐する者がいてもはいそうですかとやられるわけにいかない。
代理戦争に身を投じた時から連なる終わらない暴力と罪の連鎖に、
馬鹿正直に立ち向かえないからこそウスライは罪悪感を感じないように抑圧してきた。
だが、それをハダレに暴露され、無視できなくなってしまった。
だから――ハダレに目の前で責められたら、贖罪になるのではないか、と。
その意図を踏まえて聞いているのか?とハダレは質問している。
「……駄目だな。俺は……お前や、……いや、何でもない」
何か言いかけたウスライを怪訝な目で見上げる。と、ウスライは目を伏せた。
「お前のように一人で立ち向かえない。弱い人間だな」
触れあうウスライの手の力が抜ける。
突きつけられた、遠まわしなNOという答えに、また心の弱さを暴き出された思いだ。
ふとハダレもカギロイもこのような感じだったのかと場違いなことを考える。
考え方の根幹を突き崩されたときの人の何と弱いことか。
骨抜きにされ、よりどころのない人間は風向きでどこへ行ってしまうか分からない。
カギロイは今や彼岸まで飛ばされて行ってしまった。
――ハダレは、今どこにいる?

ハダレの指先がウスライの指先を叩いた。
伏せていた目をあげ、青年の顔を見るとなにごとか呟いたのが見える。
「……あん、た、も、…おれ、を、せめない、のか?」
ハダレが頷く。
「あんた、の、あに、き、の、こと、とか」
カギロイを殺害した――こと。
ウスライの口から洩れた要約に、ハダレの瞳が陰った。
ハダレも同じような気持ちだった。
目の前の男の責める言葉を嫌になるほど受ければ、少しでも罪を購えた気分になるというのに、
この男は全くその手の言葉を発したことはなかった。
もともと殺さなければならない対象だったとしても、その勝負に割り込んだからという理由でもいい。
とにかく、自分以外の者のために初めて人を殺した罪を激しく糾弾されたかった。
温かく寄り添ってくれるのは嬉しいが、一方で苦しい。
この複雑な気持ちはどうすればいいのか、まったく見当もつかなかった。

「俺はお前を責める理由がない」
ウスライはきっぱりと言った。
「もともと兄は殺害対象だし、俺はお前に命を救われた立場だ。
 兄への思いがないというと嘘だが、お前にはいろいろな意味で感謝している」
ストレートな言葉に、ハダレはさらにどうしたらいいか分からなくなる。
ハダレとしても、ウスライが合理的に判断をした結果、
生きたいという欲望を失い、兄と『異』をなくして現実逃避していることは事実だ。
だが逆に、命だけは守りぬき、今の自分になぜか付き添ってくれているウスライに、
感謝の念があることも事実なのだ。
だんだん、糾弾されたいという気持ちと、感謝されて嬉しいという気持ちと、
ササメの事に関する恨みがましい気持ちが入り混じってきて、
長い間停止していた脳の容量はオーバー寸前だ。

ハダレは軽く頭を振った。情報量が多すぎる。
とりあえず質問にだけ答えたくて、唇を開く。
「おれ、も、あんた、のこと、せめ、られない、
 に、い、ちゃん、の……、は、まだ、わから、ない。――そうか。分かった」
ウスライは唇の動きをなぞると頷いた。
「俺は……お前のまっすぐな所がうらやましい。
 そうやって育ったのも、兄の愛情があったからこそなのだろう」
何か思うところがあったのか、ウスライは瞳を緩ませた。

ハダレが黙っていると、ふと止める間もなくウスライの右手が離れた。
驚くハダレに、すぐウスライは何かを持って戻ってきた。
再び重なった二人の右手の間に、何か冷たいものが触れる。
「……?」
「渡し損ねていたんだが」
ゆっくりと掌をハダレの顔の方に向け、何を握らせたか見えるようにする。
そこにあったのは、小さな金属片。
ねじ切った何かのようにも見えるそれはハダレの身に覚えはなかった。
ウスライを見上げると、彼もよく分からないといった感じでいる。
「何か分かるか」
(か、ぎ……?)
「俺もそう思った。鍵の持ち手をねじ切ったようにも見えるんだが……」
表情を変えず、ウスライはその金属片をハダレの手に握りこませる。
大切なものだから、絶対になくしてはいけない、というように。
「……お前の兄が、首輪の飾りとして付けていたものを俺に預けたんだ。
 『あの子の首輪をはずしてあげてください』という言葉とともにな」


「……ハダレ?」
頭が、まっしろになる。

『――首輪をはずして――』

いつかどこかで見聞きした言葉。二度と聞くことのないと思っていた言葉。
怪訝なウスライの言葉も耳に入らない。
ただただ、涙が溢れた。



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