長い長い嗚咽――5年分の。あるいは18年分の奔流。
ハダレが恥じて流れをせき止めたり、ウスライが制止することもない。
鉄砲水のようだった。流れ切るまで、自然に任せる。
ただ水の干上がったあとには何かが残るはずだった。
過去から流れてきたものがひっかかったり、地形を変えて流れる先を変えたり。
雲ひとつない空を残すことも含めて。
こち、こちと時計が時を刻む。時折鼻をすする音。
それ以外にはほとんど音もしない病室は、看護婦の付けた灯りひとつで照らされていた。
ベッドに横座りしたウスライと、半身を起してもたれかかったハダレは
言葉も交わさぬまま何時間も同じ姿勢でいた。
ハダレは顔を伏せたまま、ウスライの胸に額を押し当てじっとしている。
時々揺れる頭は撫でると収まることもあったし、逆に再びしゃっくりあげることもあった。
ウスライの胸元をつかむ手は時々疲れて離れた。
暫くするとまた戻ってきた。
互いに何年も味わったことのない充足感を感じていた。
空気から、温かさから。恋愛というには違和感があり、だが友情では足りない。
未知の感覚だった。
――ふと、ウスライが呟く。
「胸が冷たい」
思わずハダレが離れると、ウスライが続けた。
「あたりまえだが」
無表情のままで言うのがあまりにミスマッチで、思わずハダレはふっと息を漏らす。
瞼と鼻回りがありえないくらい腫れているのが自分でもわかった。
ただでさえ狭い視界が一段と狭くなり、
ずいぶん不細工な面をしているのだろうと思うと羞恥を通り越しておかしいほどだった。
あれこれ考えながらウスライを見上げる。
「…………やっと笑ったな」
え、と瞬きをするとウスライのその目が緩んでいた。
「言っただろう。お前を失うんじゃないかと思って……」
「……」
「怖かった」
(なんで?)
ハダレが口の動きで問うと、ウスライの眉が少し動いた。
困ったように感じられる口調で、
「説明するのは難しいな」
言ったきり無言になる。ハダレも多少落胆しながら口を噤んだ。
だがウスライの思うところは別にあったらしく、ハダレを支えたまま右手をのばす。
(……?)
視線で行く先を追うと飲料水のボトルだった。
器用に右手だけでキャップを開け半分ほど一気に飲む。
目の前で上下に動く喉仏が生々しい。美形は水を飲むだけでエロい。
思わず見とれていると、ウスライが視線に気づいた。
「……要るか?」
たぷたぷと水面を揺らして見せる。
だが、ハダレにはその欲求がなかった。拒絶はしていないものの。
首を振ると、ウスライがまた右手だけでボトルのキャップを絞めて見せる。
――そういえば、とハダレはウスライの左手を見下ろした。
数週間前のこととはいえ折られた瞬間のことははっきり覚えている。
あの、ゴキッというくぐもった音のぞっとすることといったら、今でも鳥肌が立ちそうだ。
遠くてよく見えなかったが、刺されてねじ折られたのだから普通の骨折ではない。
何週間も固定して、長いリハビリが必要だろう。
それで……完全に元に戻るのだろうか。
胸が締め付けられるような感覚を覚える。大事なものを失くしたのは自分だけか?
視線をあげる。
(うで)
「腕?」
問い返すウスライに、頷きながら、問いかける。
(ひだりうで。ちゃんと、なおるのか?)
「――ぁあ、これか……」
ウスライは左腕に目を落とした。
「医者いわく、カギロイは綺麗に折ってくれたそうだが。なんとも言えん」
あっさりと答える男に、逆にハダレは不安になる。
自分と同じように、彼は後先考えずに怪我をしたのではないか。
万が一、彼が元のように剣を振れなくなったら――?
不意に恐ろしい予感にとらわれて、ハダレの背筋を冷たいものが駆け降りる。
「右手が器用になるな」
(は?)
「何でも右手でしようとすると、嫌でも慣れてきて。
意外と何でもできるようになる」
ハダレの鼻先でウスライの右手がわきわきと動く。
いかにも繊細な動きができそうな長い指だ。
のんきさに、思わずぽかんとなる。ウスライらしからぬ言動だ。
戸惑って見上げると、
「だが、まあ、ないとなると不便なことは痛感する」
そう言って隣のベッドを指す。そこには、例の刀が、まるで主のように毛布に潜り込んでいる。
「あの刀というものはな、本来手先で振って斬るものじゃない」
ウスライの視線が刀の方を向いているのを見て、ハダレは視線を同じように刀に移す。
長い長い刃物だ。最下層街ではあまり見たことがない。
だが一目見たら忘れられないものでもあった。
「繊細な武器なんだ。
非常に薄く鍛えられた刃を、正確に対象に向け、
全身を使って正しい方向に力を込めないと簡単に刃が駄目になる。
そのためには左手が常に必要だ。右手は支えにすぎない。
だから、左手が使えなくなったらとても困るな」
そこでウスライは言葉を切った。気配を感じて振り仰ぐと、ウスライがこちらを見ている。
"とても困る"――その言葉が、頭の中で鳴り響く。
「だがあの時はどうでもよかった」
柔らかい目で見つめるウスライに、目を丸くするハダレ。
うそだ、と我知らず呟かれた言葉に軽く首をふると、ウスライはこう続けた。
「自分でもらしくないと思う。本来の目標が相手で熱くなっていたのかもしれない。
でも本当に、どうでもよかった。後先なんか考えなかった。ただ――」
ウスライの自由な手がハダレの頭に添えられた。
「……こうして、もう一度ハダレと話すことができて、俺はとてもよかったと思う」
(…………)
与えられた言葉があまりに心地よく、ハダレは返す言葉を失った。
同時に、目の前の男に感謝した。心から。
義務感からではなく、望んで目覚めを待っていてくれたことが言葉から知れて、
再び涙が出てきた。
思わず顔を伏せて目元をこすると、ウスライが何かを手にとって差し出してきた。
「鼻水出てるぞ」
ちり紙だった。
ぐじゃぐじゃと何度涙してもウスライは根気よく背を叩いてくれた。
(……ウスライ)
鼻の下が真っ赤になるまで拭いた後、ハダレがウスライの胸を叩いた。
新しい欲が刺激されていた。
「何だ」
(みず、ほしい)
ウスライは驚いた顔もせず、もう一度片手でキャップを開けてくれた。
もう死にたいなんて思っていられなかった。
まだまだ話したいことが山ほどあるのだ。
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