代理戦争/最下層街編/承・不審/2


――昨日は明け方近くまでこき使われ、睡眠も朝食も無しの出勤となった。 1週間前からの新しい店員であるコモリは欠伸をしながら店の戸を開けた。途端、
「欠伸してるんじゃないわよ」
「うひゃッ……すみません」
女性に頭を小突かれて、肩を竦めた。細い若者で愛嬌があるが、れっきとした元チンピラだ。
「ひゃぁ、すごいですね。昨日の盛りあがりったら、正にツワモノどもがなんとやらーって」
確かに、店の内装は今まで彼が見たことの無いほど乱れていた。 酒ビンは転がったままで、椅子はひっくり返っているし、忘れ物までそのままだ。
「あの子が試合するといつもこうなのよ」
「はぁ……じゃあ、その元凶を起こして手伝わせましょっか」
「お願い」
店員の提案に、女性がゴミをひろい、溜息をつきながら答えた。

最奥の控え室にそっと入ったコモリは、まずは声だけをかけた。
「ハーダ―レーっちぃー。起きて」
…………全く起きないので、声をかけながら近寄って揺さぶる。
身じろぎはするが、眼が開こうとしないハダレの様子に、コモリが溜息をついた。 傍らに腰掛けて揺さぶりながら、せっかくだからと百戦錬磨の戦士を真近で観察する。
長椅子からこぼれた右足は細いのに筋肉が目立ち、傷痕が幾つか見られる。いかにもそれっぽい。 一方毛布から覗く寝顔は、あどけないとすら言える。 整っただとか美形という言葉とは縁遠いが、欠点のある顔立ちではない。
(こいつ本当に昨日、あんな顔した奴なのかね?)
彼は店のスタッフとして、清掃や人員整理の為に試合中の会場で彼を見ていた。 その時の人相はこの世のあらゆる欲望を剥き出しにしたような、酷薄な顔をしていた、筈だ。
(信じられねぇよ……)
なおも眺めていると、彼は違和感を感じて――納得した。 ハダレの右眼が眼帯に覆われていなかったためだ。傷の無い、滑らかな瞼がぴくぴくと動いている。
(何だ……なんでもないじゃん右眼。何でこんな仰々しいものやってんだっつの)
何となくほっとしたような心地を抱いて、体を起こす。――起こす?
コモリはそうして初めて、ハダレの寝息が聞こえそうな距離で観察していたことに気がついた。 いや、実際聞こえていた。時々漏らす、鼻にかかったような声まで。

何故かは分からないが気恥ずかしくなって――思わず、長椅子をひっくり返していた。 不意を突かれたハダレは成す術もなく転倒し、素早く辺りを見まわす。
「おはよーハダレっち」
「は、……お前か!あーもー、何すんだよ……ふざけんな!」
しどけなく全身を放りだして噛み付くハダレの双眸を、コモリはじっと見ていた。 それは左右で何の変哲も無い。ただ引きこまれるようにじっと眺めてしまうのは、相手が彼だからなのだろうか?
「コモリ?…………ぁ」
返答の無いコモリの顔を覗きこもうとして――ハダレは初めて視界の変化に気がついた。 ぱっと顔の右半分を手で覆い、慌てたように辺りを見まわして眼帯を探す。 どこか不機嫌そうに、急いでそれをつけるハダレに男は言った。しごく、申し訳なさそうに。
「……なぁ、俺、お前のそれ、筋モンのおっさんと同じ理由だと思ってたのよ。 見せなくない傷か何かがあるのかって……でもお前、眼ぇ何でも無いじゃん」
ハダレは立ちあがって毛布を畳み、椅子を直した。まだ眠い。背を向けて、カバンを拾う、その背中に問われる。
「ハダレっち、お前、何をそんなに見せたくないのよ」
――たっぷり数秒を待って、ハダレは振りかえった。まだ寝ぼけたような雰囲気をまといながら、
「……別に。見たくないだけ」
それだけ言うと、部屋を出ていった。
意味不明の言葉に、コモリは唇をまげて佇んだ。

コモリが掃除を終えて戻ってきた頃には、ハダレは女性と話しながら朝食(昨日の残り物だ)をとっていた。 だがいつもの和やかさは無い。コモリは自然に聞き耳を立てる。
「んで、話をまとめると……そいつは昨日、オレを観てた。 そいつが言うには、そいつ自身はとっても強くて、オレに勝つ自信があると。……ふーん」
「あんたそっくりよ。自分の事強いなんて、普通言えないでしょう」
女性がさも当然のように言うと、ハダレは反抗する様に肩を竦めた。
「みんな言うよ。逆に代理戦争に出る奴が「オレは弱いです」って言えるか。
 魚屋が『うちの品物は腐ってます』って看板出すのと同じじゃんそれ」
「なに、ついにハダレっちが負けるって?」
コモリがゴミ袋を下ろしながら口を挟む。迂闊にも。――とたんに2人に睨まれて、明後日の方を向く。
「縁起でもないわね。本当に負けたら給料下げるわよ」
「えー!勘弁してくださいよぉ、もぉ先週皿割った分でマイナスになりそうなんですから」

2人のコメディのような会話を聞きながら、ハダレは一人心中で苦くうめいた。負ける。 ハダレも最初は強制的に、負ける事を前提にして試合に出させられていた。 自分でもそれは妥当だと思っていた。――ただ、近い将来リングの上で与えられる苦痛が恐ろしかった。 しかし、代理戦争の『円』から外れることも恐ろしかった。どうしようもなかった。勝つしか。
だから彼は死に物狂いで戦った。
その事は誰に責められてもおかしくない一方で、誰も責めることが出来ない事だ。 だれもが、ここでは似たようなことをしているのだから。だが――
ハダレは右眼を押さえた。胸の底が酸っぱくなるような感覚を覚えて、立ち上がる。
「……出かけるの?」
女性の声は穏やかで優しかった。彼を言外に、声音で気にかけていることを表す、それに感謝する。 ハダレはにこっと笑った。また普通に笑えることもありがたい事だと思う。
「その『強い奴』のこと調べに行ってくる。…………負けないように、さ」


A社からの依頼が来る前に、ハダレは出来る限りの人脈を辿り情報収集に当たった。 だが目当ての『敵』の映像やデータはおろか、名前も手に入らない。
奇妙なことだった。
たいてい、自分の戦歴を自慢するくらいの戦士であれば、ちょっと調べれば名前くらいはすぐ分かる。 だが、何一つ情報は入らない。
「おっちゃん出し惜しみすんなよー、ハダレさんが負けてもいいのかよー」
流石に3日目、10軒目ともなると焦ってきた。ハダレが唇を尖らせて言う。
「お前さんに賭けてりゃ勝手に金が増えるんだぜ?潰してたまるかってんだ……ええい、ちょっと待ってろ」
煙草に燻製にされた狭い部屋をひっくりかえす主人に、ハダレは溜息をついた。
「相手だってオレのこと調べてるんだろーから、顔合わせたかも知れないんだけど。自称『凄腕情報屋』さんー?」
それを聞きとがめたのか、
「うるせぇ。ふらっと来てすぐ出せって、無理に決まってんだろぉがそもそも。 今探してっから………………………………………………くそ、ランキング表はどこいった!?」
「…………また来るよ。連絡して。じゃ」
崩れてきた資料から首だけ突き出して叫ぶ主人を置き去りにして、ハダレは部屋を出た。 終戦後、補強もされていないアパートの2階から降り、次の目的地へと足を向ける。

――ふりをして、後をつけてきた者の方へ向き直って襲いかかる。 その辺を歩いていそうな格好の若者が、驚愕の表情で逃げ出す。 見間違いではない。何度も後ろを確認したが、ずっとつけられていた。その距離、20メートル弱。
「待て――」
ありきたりな台詞を吐きながら、ハダレは殆ど全速力で追いかけた。だが、追いつけない。 素人臭い表情とは裏腹に、その逃げ方はいかにも濃慣れたものだった。 大通りに出る前に差は広がりきって、結局若者は逃げていった。 溜息と深呼吸を兼ねた、深い吐息で呼吸を静めた。肩も沈み、気持ちも沈むようだ。
「…………何なんだよもー……意味深なことするなら、ノされて全部白状するくらいしろっての……」
無茶苦茶な事を言う。呼吸を静める。そして次の目的地に向かう。 ハダレに出来る事は、起こっている異常に対してあまりに少なかった。


――プツ、と小さな音がして映像が再生され始める。室内は暗い。
「えぇ、それは次、貴方に戦っていただく戦士の映像記録です。全てお渡しします」
目で問う黒ずくめの男――そして、それに答える先日の叱られ男。顔色は、いまだ青ざめている。
「他に入用なものも何でも。この部屋も御気に召さなければ、余所に手配致しますが」
早口にまくし立てる男の声を、黒ずくめの男――ハダレを観ていた男は半ば聞き流していた。
始終辺りのやくざ者達が気になって仕方ないが、映像の再生に専用の機器が必要だ。
ここを出て行く事はデメリットにしかならない。
「……失われた信用は……償うしかないのですよ…………上回る商品で…………」
しかし、あまり積極的に世話になろうとも思えなかった。
「昨日の敵は今日の友」という言葉があるが――逆に言えば、「昨日の友は今日の敵」もあるからだ。
「…………惜しいとは思いますがしかし…………ねぇ」
呼びかけられ、黒ずくめは顔を上げた。それを興味と勘違いしたのか、男はさらに早くまくし立てる。
「…………で、……なもので…………えぇ、貴方は勝つだけでいいのです。鉄壁の王者、ハダレに」
黒ずくめの男はそこで頷いて見せた。わかっているというように。相手がほっとしたように頷き返す。
「…………といってもですね、王者とは言えど年も若いし、我流ですし……そうそう、」
「悪いが」
無駄話に入った事を察知した黒ずくめが平坦な声音で遮った。だが、それは突きつけられた刃のように鋭い。 叱られ男はまた死人のような顔色になった。
「私は一切の油断をしたくない。なんのかんの言ったところで、彼は他を寄せ付けぬ力を持っているのでしょう。 ならばその寄せ付けぬ力がどれほどか」
黒ずくめは先ほど渡された映像を指し、
「見ておくことが先決なのでは?」
「しっ………………失礼しました」
叱られ男はばたばたと慌てて出ていった。逆に失礼なほどに手早く。 黒ずくめは無関心そうに、視線を試合の映像記録へ戻した。 その無表情な黒瞳には一切の淀みが無かった。何にも期待せず、何の感情も写さず、ただ目に映るものを写す。
まるで春先にやっと薄らいだ、湖面の氷のように。そういった『円』を持つ男。



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