――時間というのは無慈悲だし、慈悲に溢れてもいる。
夏休みの宿題を最終日にする子供達にとって、残された時間は1日だ。が、急に1時間後になったりもしない。
同じだ。
ハダレにとっても、敵にとっても、今日が今日であることに変わりはない。
結局、ハダレは敵の情報を得られずに終わった。
敵が自分の実績を誇張して吹聴していると情報がひっかからないことがあるのだが、今回もそんな事だろう――
各種の情報屋はそう言ってハダレを送り出した。だが妙に引っかかる。
前回の試合の怪しい客や、跡をつけられていたという異変があったから、過敏になっているだけかもしれないが。
何も知らされず、いいように行動させられる事への不安な不愉快さは、昔は試合のたびに味わっていた。だが、
「……まさかここまで来てまたこーなるとは……」
ハダレは深い溜息をついた。不安でたまらない。恐怖が緊張に変わり、胸を突き上げる痺れに変わる。
ハダレは右眼を押さえた。殆ど無意識に。その時、
「ハダレっち。…………時間」
コモリが言いづらそうに呼びに来る。
「…………ハダレっちは負けないでしょ。ガンバレ」
明らかにフォローされている自分に苦笑しながら、ハダレは控え室を出た。
出た瞬間から、ハダレは王者になる。豪華なマントも、宝石のついた玉座も用意されていない。
ただ重たい「無敗」の銘の冠を被せられ、戦場に居場所を持ち、帰り道は血染めの絨毯が敷かれた王に。
涙することも、自分と同心の『円』の内側に誰かを置くことも許されない、鉄壁の王者に。
『れでぃーっす、あーんど、じぇんとるめん!!』
今日も会場は辟易するほどに混雑していた。
客は半ば勝手に盛りあがり、実況は自身と共に会場のボルテージを上げ、
バーは賑わい、女性は忙しく歩き回り、全くいつものように。
『今宵もこの戦場を壊さないよう、十分に注意して盛りあがってくれたまえ!
……それではいつものように、王様の試合から始めさせてもらうぜ。選手入場ーー!』
……実はその後まだ実況は喋っていたのだが、拍手と歓声に、残りはかき消されて聞こえなかった。
これもいつものことだ。では、いつもと違うことは?
ハダレは唇を舐めて舞台に上がった。緊張で舐めすぎた上唇がひりひりしていた。
いつものように、気負い無く相手を見据える事が出来ない。握り締めた掌がいつもより汗ばんでいる。
なぜだか、ハダレ自身にもよく分からない。
ただ、何かの予感がする。
胸を突き上げる緊張はいつものように興奮に変わらずに、そのまま心臓を揺さぶる。どくどくと。
『東軍は誰もが知ってる王者、ハダレ!彼の不敗神話を止められる奴は最早存在するのか――!? 一方西軍――』
そこで実況はちょっと驚いたような声で紹介した。
『おお、なんと――こんな事がありうるのか!?西軍のその男も勝率100%、つまり無敗の王者!』
ハダレは反射的に顔を上げていた。出来なかったのが嘘のように。
その男を見つめ、脳に実況の意味をゆっくりと浸透させる。
『試合数はハダレより少ないが、最下層街の各地で五年の間不敗を保ってきた脅威の男がついに現れた!
要するに――今日負けた方が自分の神話を失うってことだ!
近年希に見る大注目の一戦、果たしてその足で最後まで立っているのはどちらか―――……』
実況や歓声はうるさいはずなのに、ハダレには最早聞こえなかった。目の前の男が全てで。
その男は黒ずくめで、髪や瞳も漆黒だった。
髪が少し長くて陰気に見えそうだったが、凛とした涼しい顔立ちは無表情以上でも以下でもない。
背は高いが、それだけでは生み出せない威圧感を感じる。――まるで、鍛えられた刃物を突きつけられたような。
ぼそっとした声が、何故かハダレの耳に届いた。届いてから、男が言ったのだと知る。
「素手か。情報通りだな」
そして肩に担いでいたものを見やる。――革の長い鞄というか、袋に入ったなにか棒状のものを。何かの武器だ。
ハダレはその視線の意味を考え、ああと思いついた。
「オレが素手ってのが気になる?」
男も相応の手管らしい。しかし、今まで武器を持たない相手と戦ったことがないので戸惑っているのかもしれない。
小首をかしげながら尋ねると、男がかすかに頷く。
「気にしないで。コレがオレの武器だから」
合点したとばかりに、ハダレは両の拳をぱきぽきと鳴らして、相手にアピールする。
――すでに、『武装』していると。
「…………分かった」
男は肩からするりと袋を下ろした。納得したかどうかは、無表情ゆえに読み取れない。
が、その袋から男が取り出したものはハダレは見たことが無かったが、明らかに武器の様相を呈していた。
これまた黒い、すこし反り気味の長い棒。
それが何だかわからずハダレが眉根を寄せると、ウスライがぼそりと呟いた。
「鉄壁の王者。無敵の戦士か。俺はそういう浮ついた評価以上にお前は素晴らしいと思う。
だが、それはお前の戦い方をよく知っているということだ。
――それでも俺にお前を舐めさせるなというのは高望みか?」
『――西軍の男、その名はウスライ!』
その男――ウスライの双眸がちらりと揺れた。だが、感情らしい感情は表情に表れていない。
なんというか、熱気に押されて波紋の『円』を描いた 水面のごとく、ただあるものを映しているかのように。
だが、逆に会場の熱気に押されるだけの何かがあると予感させる。
敵のそういったものに屈服する結末は恐ろしかった。だがここまで来て、ハダレは同じ様なものが生まれるのを感じた。
ハダレは小さく、舌先でその男の名を転がした。ウスライ。
――そして、その男に向かっていった。
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