観客は息を飲んだ。今までこの戦場で見たことのあるどの戦いより、それは激しかった。
ハダレの突き出した拳がウスライの右腕で受けとめられ、引っ込むより先に腕を握って引き寄せる。
そのまま、両腕で絡めとり、関節を取る気だ。
ハダレはそうされる前に腕を反転させ引き抜き、死角から伸びてきた男の足を膝で受けとめた。
足を伸ばしがてら押し返し、反作用で1歩引くのに合わせ、逆に今度は男が踏みこむ。
そして、左手に持ったままの棒で円を描くように、長い腕と棒あわせて半径二メートル近くをなぎ払う。
「うおっ!」
黒い影のようなそれを上体を反らせて避けるハダレ。
ただの棒のようだが、男の体躯と風音の余韻から、あたればあまり面白くないことになるのは想像に難くなかった。
風切る音の余韻が鼓膜を震わせる。
だがその類のものを味わう間もなく、ハダレは正面を見据えるために姿勢を制御し、元の立ち居に戻っている。
瞬間、腕を振り切った男と目が合う。
――今度はこっちが攻撃してやるよ。
少しずつ興奮の度合いを増していく思いのたけを、瞳から読み取れそうなほどあふれ出させて、ハダレが笑んだ。
男が反応して身を引く前に、すっと身をかがませて懐に飛び込んだ。それほど高くない身長が、こういう時役立つ。
この瞬間、長い腕と棒が仇となって左が空いている。
それを狙って、ガード不可な右ストレートを放った!
「…………っ…!」
ボゴッ、という含むような音が両者の骨肉を伝わる。
「……ッぐ…!」
うめき声を上げたのはハダレだった。顔を男の膝と引き戻された腕に挟まれ、その声はくぐもっている。
右の拳は体をひねった男のせいで、中途半端に抉っただけにとどまった。
「一手分甘い」
言葉と共に髪を掴まれ、頭を引き上げられる。――もう一度やる気だ。
「放……せっ!」
ハダレは眼前に迫った男の膝の下――脛、それを余った左拳で狙った。
ぶちっと髪が抜ける音がしたが、構わない。大して気を使ってもいない頭など、毟られても別にいい。
「……ち」
「!」
拳が男の脚を側面から急襲する。比較的薄い皮膚越しにある骨同士が触れ合う。
覚悟の甲斐あってか、ぱっと頭を解放され距離を開けられる。先ほどより数歩遠く、ハダレの間合いではない。
相手も警戒したのだろうが、ハダレは隙を狙ってぱっと立ち上がった。血が一滴・二滴滴る。
一歩とびすさり、距離を開けて、改めてお互いを見やった。
ウスライの息は弾んでいたが、さほど辛そうな様子も無い。
「……ハッ」
男が自分についてきていることを見止め、吐息がハダレの口から漏れた。これは――手ごわい。
だが面白い。
ハダレは口の中に溜まった血を唾ごと吐き出し、親指で鼻血を拭った。
「…………高望みだった?」
「いや……」
男は小さく呟いた。わずかに殴られた右足を気にするそぶりを見せながら、
「もう一手ご教授願おうか」
ウスライが肘を突き出す。胸部狙いのそれを受け流しながら、逆にそれを絡めとることを考える。
だが危険だった。敵もそれを読んで、逆の掌底をこちらの腹部に当てる事を狙っている。
どちらを避けるべきか。迷って――ぱっと大きく飛び退く。間を開ける。膝で衝撃を受け流す。
そして間髪いれずに制動をかけ、低い体勢から男の上体を狙って切り裂くような回し蹴りを放つ!
が、縦に構えられた棒――第三の腕のような存在に垂直に受け止められる。
空手の試技のように蹴り砕けるかと思ったら、意外な丈夫さを持っているらしく、棒は折れずに持ちこたえた。
「ち……」
思わぬ棒の耐久性に舌打ちするハダレ。
予定では棒と一緒に男の腕を持っていくつもりだったが、想定外の結果に脚を引き戻しにかかる。
その脚に沿わせるように棒を滑らせ、近づき、振りかぶる。
「……!」
正中線通りに叩き伏せるつもりの一撃に、ハダレは両腕を頭上に重ねて備えた。
「ッ……お、!」
ずし、っと地面に押し込められそうな力が体の芯を貫く。この辺りの筋力は見た目と比例する強さだ。
しかし続く動作――それを引き、棒の反りが上向きになるようにくるりと指先で『反す』動きには、
大胆な身のこなしや背格好からでは想像もできない繊細さがある。
(こいつ……!)
心中で感嘆しながら、ハダレは右斜め下からの掬い上げるような襲撃をつぶすために脚を振り上げた。
だん、と強く真上から踏み潰すように棒を地面に縫いとめる。それを握る腕ごと。
「鼻血の分を返してやるよ」
意外な止め方をされたというような表情を浮かべるウスライに、ハダレは息の合間を縫って告げる。
男ははっと視線を上げる。
――その横面を、右の拳が捉えた。
観客が沸騰したように騒いでいる。一進一退、微妙な均衡を保つ戦いに、誰もが夢中になった。
何百人分もの歓声が棘のように戦場を取り囲み、早く近づいて組み合えと急かす。
二人の戦士は、その茨の『円』に触れてしまったように僅かづつながら血を流していた。
先にそれを拭ったのはハダレだった。
凝固しかけた鼻血を手の甲で拭き、薄く延びて乾いたそれを擦って落とす。
それを見て、ウスライも唇を押さえた。先ほどの右の一撃で、切れていたからだ。
だが、お互い負傷はその程度だ。四肢は健全で、それほど酷く痛めた箇所はない。
――決着がつかない。
「……強いなぁ、あんた」
ハダレが感嘆したように――いや、しながら言った。
この戦場で代理戦争に参加しはじめて数年たつが、最初のころ――ハダレの身体が未熟で経験も無いころを除いて、
こんなにハダレと長く戦えた人間は片手でもあまるほどだ。それも、同じように余裕を残している相手など。
だが、ウスライは無表情に、小さく頷いただけだった。
「あぁ」
それ以上でも、それ以下でもない。ただの現実だというように。
そういう態度は、ハダレの好みだった。
この前まで野良猫の子供のようにびくびくしていたのに一勝したとたんに傲慢になったり、
取り巻きを大勢つれて自分の戦果についてがなりたてるような戦士たちとは、どうにも反りが合わない。
逆にハダレに媚を売ってくるような相手とも、仲良くする気は起きない。だが戦場の『円』周ではそれが大多数だった。
結果として顔見知りは多くても、ビジネスライクな関係や利害をどこかで考えた上での友人が殆どで、
本質的に打ち解けた人間はバーに勤めている数人くらいだ。
だが、目の前の男は戦場の『円』にいるにもかかわらず、どこか異質な雰囲気を持っていた。
――もしも今敵として相対しているのでなければ、話しかけるきっかけを探したくなるほどの。
「本当に強いなぁ。どこかで一回ちゃんと戦い方を習った感じだけど、
習っただけじゃなくて使いどころを知ってる感じがするよ。どう?」
そして相対する今、攻略の糸口を探すために会話したくなるほど。
ウスライはハダレの指摘に答えた。
「……合っている」
「やっぱり?」
男が答えたことそのものと、正解していたことが嬉しくて、僅かにハダレに笑みが宿る。
「いい環境で育ったのか、悪いところで育ったから『そう』なのか分からないけど。
今すごく楽しい」
「…………」
僅かに困惑した色を瞳に浮かべた――それでも、表情そのものは変わらない――ウスライ。
何に戸惑ったのかは、今のハダレには推し量れなかったが。
その会話の間にも、両者は相手の動きを伺っている。
ハダレは、会話の隙を狙ってウスライが襲い掛かってくるのではないかと。
ウスライは、ハダレが会話することでこちらの気を削がせ、そらせようとしているのではないかと。
その気配をさらにお互いに感じながら、一方で言葉を交わす。ある意味で、二重の会話。
殺気を含んだその雰囲気をぎりぎりで保っている、その均衡が肌に心地よい。
そのまま距離をとって、数秒――唐突に、ウスライが声を上げた。
「なぜ笑う?」
「はっ?」
本当に唐突過ぎて、ハダレは一瞬気の抜けた返事を返した。……一瞬後れて、何かの策ではないかと警戒する。
だが、ウスライにはそんなつもりは無かったらしい。続けて質問する。
「お前は今なぜ笑っている?」
「………………楽しい、から?」
「本当にか?」
自信が無い生徒のように、質問に疑問形で返答したハダレに、念を押すようにウスライは訊いた。
「『試合が終わってから、嘔吐するほど自己嫌悪に晒されているのに』?」
かっとハダレの左目が見開かれた。その事を誰かに話した記憶はない。
繰り返すが、ハダレが本当に打ち解けている人間の数はたかが知れているし、それでもその話はしていない。
「……………」
自然に身体が緊張と殺気を増す。この男は、何かを知っている。
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