そんなハダレをよそに、ウスライは淡々と言葉を続ける。
「それに、俺などは最下層街を転々としているが、お前はほぼ定住している。
定住のメリットは、決まった組織からの援護を受けられることだが――裏を返せば、
敗北したとたんにそれが打ち切られ、自分の詳細なデータを持った敵が出来上がるわけだ。
それを知ったうえで、自分を脅かす敵に対してスリルや強さを求めるのはなぜだ?」
「………………好きに想像してくれよ。そういう話は無粋だし、皆が退屈する」
話を打ち切ろうと――そして早くウスライを倒してじっくり話を再開しようとするハダレ。
だがそれを無視しているという雰囲気すら感じさせずに、静かにウスライは言葉を紡ぐ。
どこか――どこか、既に定まっているところへ一直線へ向かうように。
「以上の二点を踏まえると、戦士特有の嗜虐心からくる笑みとお前のそれは違うと判断できる。
普段の行動から、戦績を取り立てて周囲に語ることが少ないことも分かっているし、
何より一般的な戦士の嗜虐心は弱く逃げ惑うものに強くそそられる傾向がある」
「面白くない。話を変えるか、襲い掛かるかしてくれ」
前より直接的に話の打ち切りを求めるハダレ。だが、ウスライは止めない。
「余裕やポーズでもないだろう。お前は相当分かりやすいからな。
では、その笑みは何なのか……」
「やめろ……話を、続けるな」
ハダレの拳がぎゅっと握られた。それ以上刺激したら、殴りかかるぞと警告するように。
「嗜虐心が、一時の傲慢でも虚勢でもないもの――その人間の本質からもたらされている。
しかもそれを本人が認めたがらない。俺はその条件を満たす答えを知っている」
ハダレが、足を踏み出した。跳躍といってもいいかもしれない。
瞬間的に間合いを詰め、接近して拳を振りかぶる。
その焦燥に満ちた拳を、例によって棒で受け止めながら。ウスライはハダレの間近で告げた。
「――――お前、『異』だな」
ぼそりとした声に、ハダレの眼が強張る。
…………次の瞬間ハダレの胴に棒の先端が突き刺さり、その体が軽く「飛ん」だ。数メートル離れた床に叩きつけられる。
「かっ……!」
拳よりもはるかに面積の小さな点で突かれ、強い衝撃が腹を貫く。同時に、背面から叩きつけられたせいで息ができない。
苦悶するまもなく、男が近付く。
ハダレは立ちあがれない。吐くような咳を繰り返しながら後ずさろうとするが、意味は無い。
ゆっくりとした男の足取りにもすぐ距離を詰められる。
観客の悲鳴が起こる。あってはならない事態に。
『ああ!どうしたんだ、まるで、まるで悪夢を見ているかのようだ!
我等が王者、鉄壁の王者ハダレがたった一発の打撃で起きあがれないとは――!立て、立つんだ……!』
実況も悲鳴混じりの解説を重ねる。
ウスライはそれらを背に、ハダレの間近まで無造作に近寄った。
「ッぁ……、ぃ……」
しまった、と思う。殴られた事よりも、その隙を作ってしまった事に対して。
――これでは、肯定しているのも同然ではないか!
必死に脅威から逃れようともがくが、男が歩く速度より勿論遅い。簡単に腕をねじり上げられ、のしかかられる。
(犯される……)
今更ながら、ハダレの頭を恐怖がよぎる。初めて代理戦争に出た時から、振り払ってきたおぞましい妄想付きで。
男が他の戦場でどれだけ寛容だったか知らないが、それを避ける道理は無い気がする。
(嫌だ……ふざけるな!)
まだ、まだ終われない!
背中にかかったウスライの重心の位置からその姿勢を予測し、男の左足が床に膝をついていることを考える。
――脚を絡めとり、極められれば――あるいは、バランスを崩させられる程度でいい。そうすれば勝機はまだある。
ハダレが何かしようとしているのをウスライは感じとって、腕をより深く固定した。
「あああ゛ッ!」
青年の口から、初めてに近い苦悶の声が上がる。ごり、ごりっと骨が不自然な悲鳴を上げているのが耳まで伝わってくる。
もう一息で肘が壊れるだろう。
だが――肘だの腕一本の骨折と全人権のどちらが大切だと言うのだ?
ハダレは痛みを迎え撃つ覚悟で、両足を男の左足に絡め、膝を逆に曲げるべく渾身の力を込めた――
――こめる、つもりだった。
ハダレは脚を男の脚に絡めたまま、力は込めずにごくりと唾を飲んだ。
喉仏がわずかに上下する。その拍子に、何か冷たいものに皮膚が触れた。
「……生きるために、この道を選んだお前だ。腕一本で屈するとは思えなかったのでな」
ウスライが微動だにせずに告げた。ハダレもそれ以上なにもできない。
だが視線だけを動かすと、自分の首の左に銀色のもの――突きつけられた刃物が伸びているのが分かった。
「命は奪えないことが分かっている。だが、動けば迷わず俺はお前を斬る。
一歩間違えたら死ぬかもしれない、そういうところを迷わずに。――分かったら、返事をしてくれ」
「…………あぁ」
なんと答えたらいいのか――脅された経験など無いので、何となく躊躇いがちに答える。
命のかかったこの状況で、こんなにのん気に返答を選ぶ意味は無いだろうが。
あるいは、実質的な敗北が差し迫っているからこその絶望、忘我の類の境地にいるからかもしれなかった。
男はそれを見て取り、青年だけに聞こえるように、唇をハダレの耳に寄せた。
ぼそりとした声音と熱い息がハダレの耳殻を舐める。
ハダレの背筋が震えた。
「『謝罪』はするな。伝えなければならない事がある」
「…………?」
「俺と代理戦争をしているという時点で、言うことを聞くとも思えないが。とりあえず聞け。
――お前はもはや裏切られた」
ハダレの左目が揺れた。何を言うのだ、とばかりに。
「お前を――『異』も含めて狙っているものがいる。殺されることはありえないが、
お前に賞金を懸けても惜しくは無い程度の覚悟の追っ手がじきにかかる。全て話す時間は無いし、俺にも把握し切れない所がある。だが伝えた」
ハダレはさっぱりと訳がわからない、と言った顔をしている。
まず話が曖昧すぎる。
またウスライも信用にたる人間ではない。結果、話に意味が見出せない。
それに、頭がぼうっとしすぎていてものを冷静に考えられる状況ではなかった。
試合のとき独特の興奮と、間近に迫った敗北への絶望と――そして、ふと沸き起こったある欲のせいで。
――実の所、別の事が気になっていた。
男の脚に絡めたままの両脚の間が、男の膝によって弱く圧迫されていた。
脇腹の辺りは、触れるか触れないかの距離にウスライの腕がある。呼吸のリズムの違いで、時にその距離は近づき、遠ざかる。
くすぐられるような感覚にぞくぞくする。
さらに先ほどから、殆どゼロ距離で注ぎ込まれる声がハダレの耳を愛撫していた。
だがその赤くなった耳元で、ウスライはぼそぼそと話を続ける。
「お前に俺を頼って欲しい。理由は説明する時間が無いが――少なくとも、お前より強いということは証明できたと思う。
俺の得物は、お前には今以外使わなかったから」
今――ということは、この刃物が彼の武器だったのだろうか。ハダレは視線を下に向け、観察しながら思った。
「だがお前がそうするとも思えないな。つるむのは嫌いだろうから。
アドバイスするとしたらこんな所か――『誰も信じるな』」
ウスライはそこまで言って、やっと囁きを止めた。愛撫のようなそれが止んで、ハダレが改めて男を見上げる――
いや、何故見上げられるのか?
「仰向けにされた」ハダレが完全に疑問を浮かべ終えるより早く、ウスライの拳が叩きこまれていた。
青年の細い体には酷な行為だった――あっけなく気を失う。
実況も、観衆も、店員たちも、何も言えない。恐ろしいほどの静寂。埃の落ちる音さえ聞こえそうな。
――それが、ウスライがもたらした王者陥落の瞬間だった。
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