代理戦争/最下層街編/承・裏切/1


(……オレは、誰だ?)
暗闇に蛍でも現れたかのように、疑問が浮かんできた。目をやらざるを得ないが、不愉快でもない。
その蛍を捕まえようと手を伸ばすと目線が変わり、他にも疑問が見えてきて、それぞれ答えが導き出される。
それを繰り返していると、彼は唐突に悟った。
(オレは…気絶、してんのか)
悟ってしまえば終わりだ。気が付かなかったときは痛まなかった、傷のように。
蛍は消え、暗闇は追いやられて、ハダレは浮上するように意識を取り戻した。

ハダレは穏やかに目覚めた。
何も考えられずに辺りを見まわすと、ロッカーや薄汚れた壁が目に入る。
その中に何となく見覚えのあるしみや落書きを見つけて、今いる場所がどこだかわかった。例の、最奥の控え室だ。
ゆっくり、ハダレは半身を長椅子から起こした。改めてあちこち痛む体が、眠気覚ましになる。
部屋には他に誰もいなかった。
ハダレは痛む箇所を一つ一つ確認していった。
手足に幾つか痣があったが、これはいつもの事なので気にしない。
後頭部の皮膚がひりひりと痛むのは髪をつかまれたせいだろう。幸いにもハゲが出来ているということはない。
逆に顔面はずきずきと火照っていて、鼻には血を吸った紙の栓がねじこまれていた。
(かっこ悪……)
もう血は止まっているようなので、それを引き抜いてゴミ箱に放った。

「……ッ!」
その瞬間、強い痛みが鳩尾と右肩を走り抜けた。
殴られた場所と、かなりぎりぎりまで極められた肩だと気付いた。
忘れていた痛みが、一度思い出したことによってずきずきと疼き始める。
ハダレは誰もいないのでシャツを胸までめくり上げた。鳩尾を見ると、紫色の痣ができている。
(………………そっか…)
その痣を眺めながら、ハダレは初めて試合をしていたことを思い出した。
観客の『円』に取り囲まれ、どこへも逃れる道は無かった。
前後左右から声援の棘で引き裂かれ、殴り合い、こうして痛みが残っている。が、
(……いつもの、あの感覚が無かった……)
相手を引き裂く快感、倒したいと猛烈に欲する興奮はなかった。
その代わり、敗北を知った。

正直に言えば、すこし拍子抜けしていた。
初めて代理戦争に出た時から妄想していた悪夢のような敗北は、全く訪れなかった。安心していないといえば嘘だ。
それにいつにない後味のよさがここちよかった。
かといって、彼の『無敗』の王権を奪われたことに対して悲しみや悔しさがないわけではない。
複雑な気持ちだった。

ハダレは気絶する前のこと――それまでの一手一手を思い出して、たどった。
(……ウスライだったっけ。
 そう、あいつすっげぇ強くて。いつ振りだろ、こんなにガンガン殴りあったの……)
様々な事が無意味に過ぎてゆき――ある一点でぴたっと止まる。
(オレの事を「『異』だな」とか言って……ああ、それで殴られて肘固められたんだっけ)
何となく痣を撫でながら、ハダレはふと疑問を感じた。
(……何で、バレたんだ?)
ハダレが『異』の保持者であるという噂はいくらでもある。しかし証拠を掴ませたものはいない。
それに代理戦争の規約で『異』は武器と分類されているが、管理機構には申請してあるし、
武器を使用しないルールの試合には出ないので違反ではない。噂は噂でしかない……はずだ。
だが、あの男は何かを知っている目をしていた。
そして何かを知っている口ぶりで、告げてきた。

(そんで、何か言ってきた…裏切られるとか誰も信じるなとか………それでいて「俺を頼って欲しい」か)
それを言っていた時の男の顔を思い出す。
涙目になった横目で見上げたその男の顔は無表情で、加虐者の浮かべるそれとはかけ離れていた。
瞳にその影が浮かぶ事すらない、完璧に統制、あるいは抑圧された感情群。
静まった湖面を乱さない、凹凸の少ない端整な顔立ち。あるいは平坦でぼそぼそする、しかし確かな声。

気にする理由も義理も意味もない。言葉に信じられる端など微塵も見られない。だが。

「オレを負けさせた」
呆然としたような、空虚な脳が勝手に囁いた。
「オレに勝った」
一変して、さっきの悲しいようなホッとしたような、複雑な気持ちがそれを囁かせた。
「オレに……」
ハダレは顔に手を当てた。手のひらはのっぺりとした表情しか感じ取れなかった。あの男と同じ。
だがあの男の無表情は、あの男自身が作ったものだ。ハダレは、自分のそれは全く違うのだと思った。
どういう表情をすればいいのか分からない。だが、何か表情を浮かべていなければ負けのような気がする。

「ウスライ」
もう一度、舌の上でその名前を転がす。その名に対する怨みや憎しみや戸惑いは不思議と無かった。
不思議だが、理解は出来た。ハダレにはあの完璧さや強さが無い。無いからこそ――認め、憧れる。
その感覚を、ハダレは相手を賞賛する言葉で表現した。
「………格好いい」

相手を認めてしまうと、負けたと言う事実はそこまで辛くは無かった。
この代理戦争のせいで大きなものを失ったことは事実だ。だがそれは埋め合わせようとすればまだどうにかなる。
今までは代理戦争の管理機構外では、A社のグループが戸籍を持たないハダレの身分証明をしてくれたが、
A社との暗黙の了解で、『無敗』のプレミアがついての待遇だったので、
暫くは格段に待遇が悪くなることも覚悟せねばならない。A社以外の仕事も積極的に請け負うべきだろう。
観客もがっかりしただろうし、これで調子に乗った挑戦者が増えて面倒になる事も予想できる。
だが、挽回する事はまだできる。落ち込んでさえいなければ。
それよりも体だ。
負傷したこの体を、次までに癒さなければ。
――それなりに前向きに考えていたハダレの思考は、ドアを開く音で遮られた。

「……ハダレっち、起きてたの」
「ついさっき、な」
なぜかハダレの何倍も陰鬱そうなコモリが、そうっと部屋に入ってきた。
「……あんま暗そうじゃないし。負けちゃったんだよ?どうしたんだっつの」
コモリの怪訝な声音に、ハダレは理解した。
彼は自分を慰めようとして、それで陰鬱そうにしていたのではないだろうか。
気を使ってくれるのは嬉しいが、ばかばかしい話だ。
「なんか……オレが負けるのがあたり前っぽい感じがして、納得しちゃってさ。
 まぁ、負けを取り戻すつもりでこれから頑張ろーかと、人生設計してた」
コモリは拍子抜けしたような表情で言った。
「…はぁ……さっきA社の人が…いや、多分A社の人が来てさ。
 ハダレっちは今負傷していて話せませんって言ったら、
 『身分保証に関する事で話し合いたいと伝えてくれ』って意味深に言ってきたから、
 そりゃあ重大な事態なんだと思ってたんだけど」
「いや、重大っちゃ重大だけど……負けたのはどうしようもないし。
 オレが調子に乗りすぎないための薬だと思って、次から活かしていけばいいことじゃん?」
ハダレ自身、拍子抜けしすぎて逆にどうすべきか良く分からなかったが、とりあえずもっともらしい事を言っておく。
長椅子から脚を下ろしながら、今度は逆に問いかける。
「それよりさ……あのウスライって人、次試合ある?」
「はぁ?」
コモリは頓狂な声をあげて聞き返した。
「も……もうリベンジ考えてんの?つか、早すぎない?とりあえず、向こう1週間は無いと思うけど」
「いや、流石にそこまで考えてないけど……」
ハダレは靴をはくと、立ちあがった。身体を動かすと肩と胴が鈍く痛むが、歩けないほどではない。
その様子に、コモリが矢継ぎ早に問いを浴びせる。
「え。どっかいくの?ケガしてんのに?まさか負けたからどっか行くっつうわけじゃないよね?
 店長は気にしないで泊まってていいって言ってたけど?」
答えずに荷物を拾い、パーカーを羽織る。また右眼に意味もなく触れる。
――どういう表情をしたらいいか分からない。だが何か顔を繕わなければ、それは負けなのだ。
なぜなら、そうしなければ自分はきっと『円』の内側にとどまれないから。
心配されて甘えるのは、きっと許されないから。
振りかえって答える。
「負けた日くらい気にさせてくれって。……でもまた帰ってくるんだろうな」
いつもの屈託の無い笑い顔で、青年は今日の別れを告げた。

一人残されたコモリは、溜息をついた。
仕方ないなあといわんばかりに、長椅子の位置を直し、ごみを拾って控え室を整える。
――そうやって時間を稼ぎ、ハダレが戻ってくる気配が無いことを確かめたコモリは、
前掛けの下から通信機を取り出した。指定の相手につなげ、耳に当てる。

一時期発達した携帯電話は、戦争時の爆撃であらかたの基地をやられ、今は無線のようなものしか使えない。
だがそれでじゅうぶんだ。
近距離で相手を追い込むための通信など。
「……こちらコモリです。ハダレがもう動きました。
 ええ、当てが外れちゃって、えぇ、『戦場』を離れて……そのつもりなら、誰かつけてください」
短く通信を終える。
そしてコモリは通信機をポケットにしまうと、今日の業務は終わりだとばかりに、ロッカーへ急いだ。



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