とっくに日付の変わった街を、人々はさ迷っている。
文字通り行く当ての無い浮浪者もいれば、酒を飲み歩くものもあり、よからぬ事を企んでうろつくものもいる。
その中にウスライの姿があった。
試合の後会場をすばやく抜け出したおかげか、地元新聞社のインタビューにつかまることも、
ハダレのファンに絡まれることもなくここまでこれた。
だが、黒ずくめの姿はことに目立たないようでいて、並程度には目立っている。
たとえば、売春をしている女に呼びとめられるくらいには。
「……ね、遊んでいかない?」
嫌味にならない程度の香水をまとった女は、ありていに言って魅力的な肢体だった。
だが、ウスライは無表情に対応した。
「遠慮しておく」
「えー、そんなぁ……お兄さん、冷たい事言わないでよぅ」
「無理なんだ。他を当たってくれ」
「お兄さんがかっこよくて、気に入ったから声かけたのにぃ……
ね、いいでしょ?これくらいでいいし、ゴムが嫌いならつけなくてもいいわ」
指を三本立てて迫る女を、ウスライは避けるように歩幅を広げた。
「人を捜している。しつこくするな」
「……まさかオンナノコ?お仕事?あら、だったらごめんなさい」
たっぷりとマスカラを施した睫毛を跳ね上げて、女が離れかける。
女か仕事が絡んだ人捜しほど、後の揉め事の種になるものも無い。女は多少は「常識」があるらしい。
――それを信じるわけではないが、ウスライは女に尋ねた。
「ハダレという青年を知らないか」
女は再び目をぱちくりさせた――離れかけた所に話しかけられ、驚いたのだろう。だが、すぐに答える。
「名前は知ってるわよ。代理戦争の有名人でしょ?」
「茶髪で中肉中背の若い男だ。右眼に眼帯をしている。今日、この辺りを通らなかったか」
女はウスライから完全に離れて、暫く考えていたが――やがてああ、と跳ね上がった声を出した。
「通ったと思うわぁ。あっちの方へ……そうね、どの位前かしら……。
1時間は経ってないと思うけど」
「そうか。ありがとう」
ウスライは少し迷って――女に金を握らせた。そして足早に立ち去る。
後ろの方向から、その金額に少し驚いたような女の声が聞こえてきたが気にせずに。
(気にする事はない。ここからが正念場だ。そのくらいの金額で間に合うのなら、安いほうだ)
わざわざ覚悟を決めるように胸中で呟くと、ウスライは早足で歩き出した。
女が指差したほうへ。
――不気味に静まった、廃墟のビル群へ。
その頃ハダレは、とある廃ビルの屋上で暗い空を眺めていた。
ここと階下をつなぐドアは鍵が閉まっていて、隣のビルから飛び移るしか来る方法はない。
最下層街ではそんな建物が縦横にひしめき合い、巨大な立体迷路を構成している。
鍵が閉まっている、窓が破れている、通風孔が抜け道になっている。
そういう裏の道をどれだけ知っているかがいざというとき生き残る道であり、一つのステータスでもあった。
(ここってあんまり皆知らないんだよな。穴場、っていうのかな?
……まぁ、星なんか見たって腹は膨れないんだけど)
青年の見上げた空には、無数の星が光っていた。
ハダレはたまにここに一人きりになりに、来る。
容易に信用を許さない最下層街で、孤独でないことは幸運だが、それでもたまには一人になりたい時がある。
ことに、ハダレのような特殊な者には。
(ハダレさんだってうじうじするんですよー……」
ぐるぐると思考の『円』にはまっていたハダレは、繰り返していた最後の辺りを本当に言葉にしていた。
今日は愚痴モードらしい。
「今日は特に負けちゃったし。人生初の負けですよ負け。黒星」
危険防止の柵にもたれて、止めど無く呟いてみる。
「初めての時からもう死に物狂いで戦ってきて。何度も死ぬかと思って、すっげぇ頑張って勝ちまくって
それで、やっとA社から特別待遇で身分保障してもらって…………」
ハダレは空に向かって喋りつづけた。段々自分が弱気な声になっていくのがわかる。
「……尻とか痛いのヤだから、頑張って……でもそのうち、自分が抑えられなくなってきて……
この間もなんか……おっさん殺しそうだったし……
今日だって本当はもっと悔しがったりしないと……きっとダメで……でも……」
駄目だ、ハダレはそう思って眼帯を外した。これ以上そのままにしておいたら、涙が眼帯を汚してしまう。
でもこぼさない。
じわじわと危ういところで持たせながら、代わりに独り言をもらす。
半泣きで、廃墟の屋上で空に向かって話す自分を見たら、通行人は薬物中毒者か何かだと思うだろう。
だがそれは人込みで黙考するより何倍も楽で、意義のあることだった。
言葉も思考も垂れ流しにして、ぐるぐるとただ同じ場所を巡るばかりだった思考を丁寧に組み立てなおし、
きちんと帰結のある『円』周上に自分をすえてやる事は、ハダレにとってとても重要だった。
大掃除をする時に、部屋のものを全部外に出してから整理するのとおなじことで、
いらないものを自分から掻き出してやらないと、『異』に押しつぶされてしまいそうだ。
だから、ハダレは時々ここで空に愚痴る。
返事は無くても、きらきら光る星空がごまかしてくれる。
――そうしているうちに、敵が接近している事にも気が付かないほど、青年はその行為に熱中していた。
「『異』――@異なること、ちがうこと。A怪しいこと。B妙なもの。C優れていること。D禍。
――転じて、万人と異なる怪しくも優れた感覚を指す」
無表情に、辞書に書かれた言葉を呟く自分を見たら、通行人は薬物中毒者か何かだと思うだろう。
ウスライは女に示された方へ歩いていた。
立体迷路には街灯などなく、暗いが、月と星が奇妙なほど明るいため歩くには充分だった。
「『異』と呼称される能力は遺伝によって伝わる。
だが蔓延を良しとしない者が多いため、それは秘匿されるか、社会との関りを絶つ場合が多い」
ウスライは注意深く辺りを見まわしながら、歩を進めた。
呟きは、人探しによくないのではないかと思ったが、止めない。
これから自分が確保に回るものの本質を口にすることで、危機感を高めたかった。
「殆どの『異』は、大昔から第六感や霊感などと言われたものと同質である――予知夢、千里眼、悟り。
手品まがいのものから、政権を揺るがす力まで様々だが、共通点がある」
ガクン、と何かが倒れる音がして振り返る。
――猫。壊れたゴミバケツから這い出して、一言にゃあと鳴くのを見届けて、ウスライは再び前を向いた。
「其の1、『異』は死亡、またはその力の媒体器官の損傷以外では失われない。
其の2、『異』にも変異や進化がある。既存の力だけが『異』ではない。
其の3――」
ガクン、とさっきより大きな音がして、前方を凝視する。
――人。壊れたゴミバケツから血塗れの四肢を投げ出すのを見届けて、ウスライは頭上を見上げた。
数軒先のビルの屋上で、争う音や声がする。呟きなど関係無いほど大きな。
確信を持って、ウスライは駆け出した。残った言葉を呟きながら。
「其の3、『異』は、俗説を信じるならば、動物的な能力であるために基本的な欲求や欲望を増幅させる。
時に、『異』の保持者の理性的な思考を超越して行動させるほどに」
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