代理戦争/最下層街編/承・裏切/3


ハダレは立体迷路の中を逃げていた。
屋上でいつものようにやっていたら、突然怪しい男達に襲われた。
殺してやろうという雰囲気ではなかったが、どう見ても友好的ではない相手を返り討ちにしてやると、人数が増えた。
しょうがないので、1人を見せしめに地上に突き落として、相手が動揺した所を突破して逃げた。
そして今、ただひたすら走っている――
(身体痛い……撒くのは難しいかな……でもこんな人数相手できないし……どーしろってんだ)
頭で考えながらも、手足は階段を駆け下り、ドアを破り、パイプを伝って、正確に先へ進んでいく。
だが追っ手も簡単に逃してはくれなそうだ。
何事か連絡を取りながら、じわじわと数を増やしている。
もしかしたら、外からも追いかけられているのかもしれない。
(そもそもなんで今日に限って…………)
息が上がる。自動的に供給される空気の痛みに耐えながら、泣きそうに考える。
(負けたから?あいつに?それとも裏切られる云々ってやつか?
 あのやろう、何時間もしないうちにそうなるって知ってたら、最初からあんたを頼ってたよ!)
……といいつつ、やはり切迫した事態になるまで自分は意地を張っていたかもしれないとも思い直す。
自分の『円』の内側には誰も入れないつもりで生きてきたからだ。
それともそれが裏切られるという事なのだろうか。
額にじわりと浮かぶ汗を払いながら、ハダレはビルの通路を走った。非常階段が隣のビルに近く、乗り移れる。
体当たりするように非常ドアを開け――
「……開か、ない…………のか?」
追いかけてきた男たちの内、リーダー格の男が、息を荒げながらも揶揄するように言った。
「たまに……起こることだ。
 ……おもしろ半分にか…………必要でか……誰かが、……迷路の道を変えちまうことなんて……」
ハダレはドアから手を離して、男たちに向き直った。
動作は緩慢で、疲れ切った瞳が男とかち合った。
(ドアは開かない。相手は……多くて倒せないし、逃げるにも、もう息がもたない……)
はっ、はっと激しい呼吸がハダレの肩を大きく揺らしていた。
汗が髪の生え際から、やたらと熱い雫となって滴る。
たとえドアが破れても、この疲労はごまかせない。すぐに人海戦術でつかまって、ジ・エンドだ。
(……残された、方法は……)
ハダレはじわじわと円周を狭めてくる男たちの『円』の中心から、周囲を睨みすえた。
だが、本当のところあまり気力は無かった。
むしろ、絶望に対する無力感から高じた悔しさが、あふれていた。
絶望とは、つまるところ疲れの極致なのだろう。
何がしか成してきた過去が、現実をどうにもできないことで生まれる疲れに消去されてしまう事。
(今まで……)
荒い息をつきながら、ハダレはへたり込みそうな足を支えて、唇を噛んだ。
(今の今まで、どんな不利も自分で逆転してきたのに、今更『異』に頼るのか!?)
迷いは脹らむ。だが、その間を別の絶望と解釈した男たちは、じりじりと近寄ってくる。
既にハダレの背は建物の薄汚れた壁にくっついている。
逃げ場は無い。
ハダレは顔を覆った。その腕に、リーダー格の男の指先が触れた。
「……多少痛めつけてもいいっていわれてるんだがな……そう言っても、商品だから大破はさせらんねぇ。
 せいぜい優しくしてやる」
紳士的とも言える優しさで引っ張った青年の腕は、細く、存外大人しくついてきた。
それに何を感じ取ったのか、男は青年の顔を覗きこんだ。
――そして、そのまま絶叫した。


その絶叫は、青年の行方を見失っていたウスライにも届いた。
外側からでは立体迷路の全貌は全く把握できない。争う音を頼りにしていたウスライには嬉しい事だった。
だが、その異様な悲鳴は一つでは終わらず――だが、そう長く響かずに絶えた。ふっつりと。
ウスライは慎重に、だが素早くその建物の構造を把握すると、そこへ向かっていった。


興奮は一瞬でハダレを飲み込んだ。
顔を覆った手は眼帯を握っていた。その手が引かれれば、当然眼帯は外れる。眼帯が隠すものは何か。
――それこそが、ハダレが隠しつづけてきた『異』の媒体器官、右眼だったのだ。
最初の男がそれに気が付くより先に、
ハダレは増長させられた「生存への欲求」を彼に叩き付けた。具体的には、拳の形で。
悲鳴も上げられない男の身体の奥深くで、五臓がつぶれる感触がした。
血を吐いて倒れる男に、誰かが連鎖するように悲鳴を上げると、ハダレは「支配への欲求」を感じた。
あとは簡単だ――誰もいなくなり、欲求が消えると同時に青年の理性が戻ってくる。
青年の理性は、『異』の痕跡に耐えられない。
だから、ハダレはそこからも逃げ出した。
ドアを時間をかけて破り、非常階段から隣のビルに乗り移る。
元はアパートだったらしい、おしゃれな窓枠も今はサビだらけだ。
ずるりと引きずった体は、精神と肉体、両方の疲れで重たい。持ち上げる気力もない。
万が一誰か生き残りが追って来たり、仲間が来たらどうしようと思っていたが、どうでもいい。
強い後悔と、いわれのない悲しみと、むなしさがじわりと胸をせりあがってきた。
だがそんなものを感じたところで、『円』の内側には一人しかいない。告白する相手などいるべくもない。
――つまり、全てが無駄なのだ。もういい。
ハダレは床で瞼を閉じかけた。

「ハダレっち!」
突然の声にハッとして、瞼を跳ね上げる。一瞬ののちに上体を、次に全身を。
「ハダレっち、どこにいんの!?女将さんに言われて、捜してて……」
ばたばたと捜しまわる音が段々上がってくる。この階は何階だったか――
「ここに乗り移る所は見たんだから、出てきて――」
ついに、ハダレの目の前のドアが開いた。そこにいるのは、ライトをもった見知った相手だった。
どこか愛嬌のある顔立ちで、バーの前掛けをしたままの男。
「…………コモリ」
あまりの唐突さにハダレは、呆然とその名を呼んだ。
なぜ、お前がここに?
だが、コモリはそれに答えずになぜかうっと息を詰まらせた。
「ハダレっち、……ものすごく血なまぐさいよ。どこか、ケガ、したの?」
コモリは動揺したように近寄ってきた。彼より背の低い青年を心配するように。
ハダレは体を見下ろした。酷い。
実は血のりです。全部ケチャップです。トマトを投げ合う祭に参加していました。
――全部言い訳になりそうにない。
男たちの一部が身体にまとわりついて、異臭を放っていた。まるで、恨みを述べ立てるように。
「…………いや……オレは……してない」
動揺しながらも、無用な心配はさせまいとハダレは告げた。
――じゃあ誰のものかと言われて心配されない保証は無かったが。
だが、幸いにもコモリはさほど言及しなかった。
「そ、そう?本当に?…………とりあえず帰ろう?ふらふらしてる」
コモリは本当にとりあえず、といった感じでハダレの肩を抱いた。
抗う言葉も理由も見つからずに、ハダレはそのまま押し出されるように部屋を出た。
なぜか階上に向かおうとするコモリを不審げに見上げると、彼は外を指した。
「下の入り口の周りに変な黒ずくめの人がいてさ。ヤバイと思ったから、上を伝ってきた。
 疲れてるだろうけどさ、ちょっと我慢してついてきてよ」
黒ずくめ。あの男も、黒ずくめ。
――裏切られるとは、どういうことだ?



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