代理戦争/最下層街編/承・欲望/4


ハダレはコモリに支えられながら、階上へと向かった。一段登るのにも、相当の気力が要る。
登り切ると、沢山並んだアパートのドアの一つを開いてコモリが手招きをした。そこからまた隣に乗り移るのだと。
殆ど何も考えずにそれについていく。
コモリに先導される形で入った部屋は、先ほどの部屋よりも広くて、誰かが持ち込んだベッドがあった。
真正面にある窓には、鏡のようにハダレの姿が映っている。
疲れ切って、それでも立っていようとする生存への欲求がそのまま映し出されたような酷い姿だ。思わず苦笑――

――苦笑は出来なかった。何処かへ続くはずの窓が、閉じられている。向こうには壁が透けて見えた。
ハダレは俊敏な動作で振り返り、いつのまにか後ろにいた者に肘を叩きこんだ。
コモリが何か叫び、飛び付いてくる。やめろとか、そんな事をいっていたと思う。
不意をつかれたその者がよろけるのに合わせ、もう一度、今度は拳をたたきこもうとする。
だが、それは出来なかった。
熱い感覚がハダレの右腿に走った。表面だけでなく、身体の奥深くに到達する不自然な熱さを。
一瞬遅れて、熱いものが流れ出す感覚も。
ぞっとして見下ろすと、ジーンズ越しに何か鋭利な物が太股の筋肉を掻き分けて、血管を傷つけていた。
ナイフだ、と思った瞬間、その持ち主がわかった。

「……コモリ……!」
特別な驚きはなかったが、コモリの「大それた事をやってのけたぞ」と言った表情が憤怒に繋がった。
握った拳の裏をコモリの顔面に当ててやると、哀れなほど簡単にひっくり返った。
だがそこまでだった。
後ろにいた何者かが、ハダレのその隙を見逃さずに襲いかかってきた。
振り返りかけた側頭部を殴られ、それ以上何も言えずにハダレは倒れこむ。
朦朧とする。疲労の所為かもしれないし、脳震盪かもしれないし、あるいは出血かもしれない。
受身も取れずにコンクリートの固い床に叩きつけられ、ハダレは意識をその手から取りこぼした。

「コモリ、お前武器もっててそれか。チンピラやる資格ないんじゃないか?」
何者か――金髪の、それなりに体格のいい(モウジの半分もないが)男が揶揄するように言った。
対して、コモリは鼻を押さえながらうめく。
「お、お前だって殴られたじゃん!人の事言えるかっつの!ソウジョウ!」
ソウジョウというらしい男は、鼻で笑いながらハダレを抱き上げた。お、と意外な声を上げる。
「おいコモリ、こいつやばい軽い。多分オレの女より軽いんじゃないか」
嬉嬉として、ハダレの体をベッドに上げるソウジョウに、コモリは鼻血を拭きながら不機嫌に答える。
「知らねぇっつの。それよりおい、何だ、オレのアフターケアはないのかっつの」
「それこそ知るかよ」
ソウジョウはぐったりとした青年を良く眺めた。
特別色気があるわけでも、遊んでいる雰囲気でもない。
太っているより痩せている方がいい、それくらいの理由しか彼を狙う理由がないような気がする。
「……とりあえず血を拭かないと、気持ち悪いだけだ」
ソウジョウは馬鹿にした口調でコモリに水くみを命じ、自分は青年の服を取り除き始めた。
まずパーカーを剥がしてその辺りに放る。
ジーンズと下着も同様にする。
Tシャツは面倒くさいので、ハダレを刺したばかりのナイフで切り裂いて捨てた。
どうせ、返り血がべったりとついていて着られそうになかった。
残ったのは首輪と眼帯だが、顔を拭くのに邪魔だから眼帯はむしって放り投げた。
鼻歌でも歌いたいような気分で、ソウジョウは青年の両手を縛った。
それとは別の紐を両手の間に通し、ベッドの頭の方に繋ぐ。
両足はベッドの足の方にそれぞれ括り付ける。右足からまだ出血しているが加減はせずに。
そうこうしているうちに、コモリがバケツ片手に戻ってきた。
「何、もう脱がせちゃったの?オレが帰ってくるまで待っててくれたっていいじゃん」
コモリが不平を漏らすと、ソウジョウはにまっと笑った。
「下ごしらえしてやったようなもんじゃないか。
 実際に煮るなり焼くなりするのはお前じゃないのか、コモリ」
「そりゃあそうだけど……邪魔して欲しくないっつか……」
コモリは何か府に落ちないといった様子で、タオルを水につけている。軽く絞って、水気を残す。
そして、青年の肌にそれを触れさせる。
「ッ……」
沁みたのか、冷たいだけか、ハダレがかすかに身動ぎする。
「まずは顔拭くか」
コモリは濡れた布をハダレの顔に這わせた。固まりかけた髪にも水を与え、血を流し取る。
「ああ、ほんとにケガしてないっつか、これ返り血だったのか」
「みたいだな」
コモリは感想を漏らしながら、更にその布を下に向けた。
首筋を通り、胸板を通り、鳩尾まで拭いたところで、鳩尾辺りにある痣に気がついた。
「こんな所に痣があるし。うわ、痛そー」
更にその下まで布は通り過ぎ、右腿を拭っている所でハダレの意識が戻った。
「ッ……ぁ……?」
出血と言うより流血しているそこを、清潔とは言い切れないタオルでぞんざいに拭かれて、痛みで目を覚ます。
「あ、ハダレっち、起きた?」
すると、ついさっきまで心配していたといっていた人間が、自分を裸にして拘束していた。
共犯者と思われる男と親しく会話している所を見ると、もうなにも疑う余地もない。
涙も出ない。
(…………これが……裏切りってことか……?誰も信じるなって……このことなのか?)
ぼんやりと考えると、ウスライの言っている事は当たっている気がしてきた。
急に、さっき彼を罵倒した事が申し訳なく思われて、ハダレは唇を噛んだ。

その顎を掬われて、口付けられた。
驚きで目を見開くハダレを挑発的に見下ろし、下手人が口を開いた。
「キスするときくらい、目ぇ閉じなっつの」
その言葉にさらに驚愕する――彼の両眼は、はっきりと像を結んでいる。右眼が見えている!
反射的に手で覆い隠そうとか、右をむいて隠そうとするが、それは敵わなかった。
コモリの両手が包み込むようにハダレの頬を支え、じっくりと覗きこんでくる。
「へぇ……いい色してんじゃん。灰色っぽい……いや、なんか暗くて良くわかんないけど」
「……やめろ……見んな…………ッう」
コモリは必死に拒絶するハダレの瞳を、眼を見開いてながめながら再び口付けた。
「ッ……ん…」
残念ながら余りに抵抗が激しく、舌をいれようものなら噛まれそうだったので唇を食む程度だったが、
それでもコモリは満足だった。
――そもそも、ハダレを陥れるために店に勤め出した男には。



>>NEXT

<<BACK


創作物へ戻る