「…………?」
ふと、ソウジョウが腰を止めて怪訝な顔をした。
「おい、変な音が……しなかったか?」
「は?」
ハダレにフェラチオさせていたコモリが険悪に聞き返した。一応、耳を済ませる様子は見せたが。
「……別にしないけど?」
「いや、絶対した」
ソウジョウは天井の方を見上げるように視線をさ迷わせて、唸るように呟いた。
気分を害された様子で、コモリが溜息をついて応える。
「気にするなよ」
「気になるんだよ」
なおも注意深げに辺りを見まわすソウジョウに、気勢を削がれたとでもいいたげにするコモリ。
立ちあがり、身支度をしながらドアのほうに向かう。
「分かったよ、一応見まわってくる……だけどオレの分は残しておいてよ」
「あーわかったわかったはいはい」
ぞんざいな返事で頷くソウジョウにさらに気を悪くした様子で、コモリが立ち去る。
暫くして、階段を上っていく音が聞こえた。階上から見まわるつもりなのだろう。
そして帰ってきたら、また「オレ」は犯される…………
ハダレの僅かな感情の変化に気がつかず、ソウジョウは細い腰を抱えなおした。
前よりも激しく揺さぶりながら、
「さてと……あいつが帰ってくる前に、もう一度イかせてもらうか……」
暫く――といっても、ソウジョウが一度絶頂を迎え、例によってハダレの体内に中出しして、
更に暫くした頃だから、随分時間は経っている。
『うわああああああああああああああああ―――――――――!!』
ぞっとするような大きな叫び声が立体迷路に響いた。
コモリかどうかは咄嗟に判断はしかねたが、ソウジョウの興奮を消し飛ばして警戒させるには充分な声音だった。
立ったままの性器をハダレから抜き出し(一体何回目なのか、またソウジョウはハダレを味わっていた)、
無意味と知りつつも振りかえったり視線をさ迷わせて、青年から数秒目を離した。
ハダレの意識の中に割り込んだ悲鳴が、事態の異常を知らせる。
尋常でない悲鳴。うろついていた黒ずくめ。A社、B社の追っ手。安全とはかけ離れた街。
敗北による人権の喪失、誰も信じるなと言う言葉、そして限界の体。
どうひっくり返っても――有利な状況とは言えまい?
その数秒は、ハダレの性欲を生存欲で飲み込み返すのに充分な時間だった。
振りかえったままのソウジョウの首に何かが絡み付き、突如として万力のように締め上げた。
叫び声を上げさせた元凶がそこにいるとはどう考えても有り得なかったが、
ソウジョウは反射的に体をびくつかせて、自らの首をしめるものを見上げた。
そして、幽霊でも見たかのような、驚愕に満ちた顔で呟いた。
「ぁ、お、……ハ、ダ、れ」
ハダレだった。
ソウジョウの首を、たった今まで犯されて泣き叫んでいたとは思えない力で締め上げているのは、ハダレだった。
繋がれた両手を器用に捻って、掛けている技はチョークスリーパー。
気道ではなく頚動脈を締め、短期決着を狙っているのは、腐っても代理戦争王者と言った所か。
何かの弾みで殺しても構わないとでも言うような、鬼のような形相でソウジョウの抵抗に食い下がっている。
――やがて、ソウジョウがハダレの腕をかきむしる力が弱まって、
「あ、……あ…………ぁ……」
ぐったりと気絶――もしくは死亡するまで、ハダレは力を緩めることは無かった。
ソウジョウの無駄に重い体を放り出すと、ハダレはふらふらとベッドに座り込んだ。
ここで早く逃げることが、自分にとってよいことであることは分かっていた。だが、体が動かない。
いや、体だけでなく頭も動かない。何も考えられない。
眠気は覚えないが、意識が自分の体の中心からふわっと分離して、どこかへ消えていってしまったようだった。
じんわりと身体を包むけだるさと痛みを感じているだけで精一杯だ。
ハダレはそのまま、暫く廃人のように呆然としていた。
だが、いつまでもそうしていて良いわけでもないとも分かっていた。
文字通りぼろぼろの心身を引きずるようにして、ハダレはベッドから降りた。
懐中電灯が少し明るくなったような感じのライトが辺りを照らしていたので、
ハダレが身につけていた衣服が散乱しているのがわかった。点々と、彼らが脱がせた順番に。
眼帯と首輪が一番近くに落ちていた。その下に、無残なぼろくずとなったTシャツ。ジーパン。その先に靴。
一つ一つ掻き集めて、それだけで途方も無い疲労を覚えて暫くぐったりとする。何分か後にまた動き出す。
「……ぅう……!……」
暫くすると、何かを洩らしてしまったような感覚を覚えて、思わずうめいた。
シーツで拭うと、白いどろっとした液体がへばりついていた。ぞっとして、もう一度拭いた。
だが、粘度の高い液体は素直に排泄されず、ハダレの奥深くにべったりと絡み付いている。
1人分でも、2人分でもない。もっと、もっと。
余りにリアルな感触に冷や汗が流れ、竦んだまま動けない。拾った衣服を握り締めて、歯を食いしばった。
だが、このまま全裸でいるのはできないとわかっているから、動き出さなければならなかった。
しかしそれでも自分の中に指を挿入して拭く決心はつかなかった。
諦めてシーツで皮膚が赤くなるほど尻を強く拭い、下着とジーンズを履く。
ジーパンは右腿から下が血で変色し、感触も強張っていた。もう履けないかもしれない。
Tシャツは切り裂かれていて、着られない。雑巾も同然だ。
犯されたことの比ではないが、それなりに気に入っていたものをぼろぼろにされて言いようの無い悔しさがこみ上げる。
放り捨てようとして――ふと思いとどまり、いまだ血の止まったとは言えない腿をきつく縛った。
「……ぐぅっ!」
傷口を刺激するのは、歯を食いしばって身構えても足りないほどの痛みだったが、
これから何があってもおかしくない時に、傷を開きっぱなしにするのは不安だった。
腿のその痛みに多少正気づけられ、ハダレは立ち上がった。
ベルトを締め、情事の跡も生々しい素肌にパーカーを羽織った。
――迷ったが、首輪と眼帯はせずにポケットに突っ込む。
部屋の入り口に落ちていた荷物を拾って、体を引きずりながら部屋を出て、階上を目指す。
出入りする場所は階上にも階下にもあったが、下には黒ずくめ、上にはコモリと遭遇した何者かがいる。
下にいた黒ずくめがウスライなら何か期待してもいい気はする。
だが、どこかの組織の手のものだった瞬間、ハダレは御陀仏だ。
――なら、上にいる、コモリを「害した」『敵』に遭遇する方が、対処法が決まっていていいではないか。
ハダレは階段の手すりについていた、「上から落ちてきた」と思われる血痕を指でなぞった。
乾いて、殆ど粉になったものが指に付着する。だが新しい。
何より生臭い匂いが段を上がるごとに濃くなる。
ハダレは沸きあがる、無駄な欲望を必死に押さえながら、じりじりと階段を上っていった。
一段登るのにも数分要するほど、ハダレは疲労していた。
幸いにも眠気が襲ってくる事は無かったが、少なくともそうなる前に体を休められる場所か、
体が持ってくれるならいつものヤブ医者に罹りたかった。
体中が鈍痛で強張り、失血でくらくらして、そのくせ『異』は冴えて辺りを注意深く探っている。
そのギャップに、じわじわと気力を奪われていく。
耐えられない。
小さく呟いたときだった。
カン、と固い靴底が階段を踏む音がした。続いて、カン、カンと、下ってくる足音がする。
遠くて高い。まだまだ何て事の無い、遥か高い階から誰か降りてくるだけ。
だが、それはきっとコモリをどうにかした人間であり、
コモリを敵にするくらいだからハダレにとっても敵であると分類した方が賢い。
昔の知り合いで、たまたま野宿した廃屋にいた住人に殺されかけた奴というのもいないことは無い。
だから、ハダレはその階――ここは4階だった――に上がり切ると、無理矢理体を奮い立たせて、相手を待った。
カン、カン、カン……
下ってくる足音を余所に、ハダレはこのビルの構造と言うか、部屋の位置を思い出していた。
元は集合住宅だけあって、部屋の数と、それに比例するだけの出入り口――窓や非常階段など――も多い。
中心を吹き抜けにして階段を設え、その周りに部屋が並んでいる、洒落た構造だ。
逃げるなら正直に階段を使うか、幾つかの部屋から隣に飛び移るか。
カン、カン、カン……
足音が――本当に近付いてきた。適当な感覚で、あと1と半分階分、と言った所か。
ライトは消してあったが、吹き抜けの天井はガラス張りだかで、それなりの明るさはある。
勿論夜明け前だから良く見えはしないが、少なくとも相手の輪郭を捉えるのは出来ないくもないはずだ。
そうすれば、後は『異』がなんとかする手だてをくれる。どうにか、なる。
あと、もう少し。
カン、カン…………カン……
「…………お前……」
静かな驚きの声が、暗闇を揺らした。薄暗いこの場所に半分溶けたような、長身で黒ずくめの男。
ウスライ。
彼は階段を降りて、4階に立っているハダレに近付いた。
「…………無事だったのか。お前を、探していた。ハダレ。『異』の……」
『異』の保持者だな。
そう確認しようとしたウスライのすぐ側を――驚くべき速さで放たれた蹴りが通過して、
安全用の柵を紙くずのようにくしゃくしゃにした。そのまま、柵はハデな音を立てて階下に落ちる。
それでも無表情に似た顔を向ける男に向かって、ハダレは生存欲に負けた卑屈な眼を向けて笑った。
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