第二撃は、外れた柵が落ちた音が響くよりも、早く来た。
「待て――」
ウスライが制止するが、空気がすっぱりと薄切りにされたような異音をたてる拳は止まることがない。
仕方なく、ウスライは開いた掌でそれを受けとめようと左手を伸ばした。
たった一回の拍手のような破裂音がして、それは成された。
だがつい数時間前の試合では受け止められたと言うのに、たった今受けた一撃は左腕を肘まで貫通する痺れを与えた。
「っ……!」
受けとめたまま掴もうと思っていた拳が、鈍った指の間から抜け出てしまう。また2人に距離が開く。
そしてウスライの思惑としては、ハダレがこちらに気付いて攻撃を止める事を狙っていたのだが、
全くその兆候は見られない。むしろ、次の攻撃を進んで加えてくる。
ほんの少しだけ開いた距離を鋭い踏み込みに使い、ハダレの第三撃が加えられる。
それを腕で受け流してやりすごし、後に大きく飛ぶ。そして声を張り上げて告げる。
「ハダレ。俺はお前と争わない」
追撃しようというのか、追いすがるハダレに対して声を上げる。
だが、聞こえていないのか、あるいは無視しているのか――ハダレが注意を払う様子はない。
「俺がお前と代理戦争をしたのは、ある目的のためだ。
それはお前の利益にもおそらくなる。それはお前が判断していい。
だがそれにしてもやりようがある。話をさせて欲しい」
相手の青年が聞いているのかいないのか、はたまた理解しているのかは推し量れない。
だがあと数歩で傷つける意思――拳が届くぎりぎりの距離で、ウスライは言った。
傷つける意思が届くならば、傷つけないと言う意思も届くはずだと信じて。
「俺を頼れ、ハダレ」
返答は、凄まじい威力の拳だった。
ウスライが両手で突き出した例の袋詰の棒で受けとめられたその威力は、
黒づくめの黒い影を数歩よろけるように押し返すほどの強さだった。
ウスライは知るよしも無いが、これが先ほどまで緊縛され、尻孔に性器を突き込まれて、
痛みと快感に喘ぎ泣かされていた手負いの青年が放ったものだと知っていれば、
流石に其の無表情にもひびが入っただろうと思わせる。それほどの衝撃が、棒を軋ませる。
だが、かといって続く攻撃にも隙も何も無い。
後退するウスライに、第一撃と同じか、それよりも重い衝撃を伴う拳を突き込む。
だが、どれだけ攻撃されようと、ウスライはハダレを攻撃したくなかった。
力づくで連れて行く事は簡単とは言わないが、手早くことがすむのは間違いない。
だが、その短慮な行いが、のちのち自分が放つであろう言葉の全ての信憑性を失わせる。
ウスライは重い衝撃を、棒で受けた。衝撃が息を詰まらせる。
咽喉に詰まった空気を無理に押し出しながら、ウスライはハダレを見詰めて言った。
「攻撃を止めてくれ。俺は……お前と争うつもりが無い」
ウスライの黒い瞳を、ハダレの青灰色の瞳が見上げる。
体が腕の長さで触れ合う距離だ。顔も必然的に近くなる。どちらの身体からか、僅かに鉄錆の匂いがする。
互いの荒れた息をそのまま吸えそうな距離で、沈黙が続く。
――が、それを破ったのはハダレだった。
「嘘だぁ」
例の笑みの上に、更に嘲るような笑いを上乗せして、否定する。
ウスライの放った、真摯な言葉を真正面から叩き潰す。
まだわずかに荒れた呼吸が、熱くウスライの肌に触れる。溶かされるような錯覚を覚えながら、聞き返す。
「……何が、嘘だ…と?」
「『攻撃を止めてくれ。俺はお前と争うつもりがない』……全部かなぁ?」
子供が揚げ足を取るように、一字一句間違いなく正確に繰り返してから、ハダレはウスライから離れた。
そして、間髪入れずに黒づくめの男の頬を殴り飛ばした。
流石によろけるウスライ。そこに更に攻撃を加えようと拳を振り上げると、彼が顔を上げるのが見えた。
――彼は統制された無表情のままだった。
それが予想通りだったと笑いながら、ハダレはその拳を振り下ろす。
「格好いいなーあんた。昨日?今日だっけ?試合やったときからすげぇカッコイイと思ってたよ。
陳腐な言葉の端から端までキマっちゃってるもん。元が美形だから更にカッコイイし。
でもさ――」
ハダレは哀れむような――ただし、慈悲にしては軽薄な声音で告げながら、何度も殴りかかる。
「あんたの裏側まで視えるオレにとっちゃ、あんたがもっと化け物みたいに視えてくるんだよ」
と、その時、ウスライがやっとハダレを跳ね除けた。
殴っていたハダレからすると存外ダメージが少なそうに、男が立っている。
服に埃がつき、唇に血を滲ませた男はしっかりと立っていた。
だが一歩踏み出そうとする体が左右に大きく揺れたことに、ハダレは気づいていた。嘲る様に笑いながら、語りかける。
「『攻撃を止めてくれ』か……嘘つき。あんたは本当は、そっちのほうが手早いと思ってる。
『争うつもりが無い』ってのも同じか。今オレと争って殺すか連れて行くかすれば、単に都合が悪いから、
そうしたくないだけで。実際は……殴ってオレを連れて行きたいんでしょ」
「何を……」
先ほどまでの無視が嘘のように饒舌になったハダレにか、或いはその話の内容にか、
驚きを内包したウスライが口を開きかける。だが、今度も無視する。
ハダレには、傍目には勝手な憶測で述べているようにしか見えないことが、全て真実だという確信があった。
いや、確信があるどころではない。
これは、『真実をそのまま読みとって』告げているだけなのだから、疑いようなどこれっぽっちもないのだ。
「さてその目的は……へぇ、オレみたいな『異』を組織に渡さないために、保護するんだ。
その為に雇い主も裏切ったのか……大人しそうな顔してやることやるねぇあんた。
お、さらにその背景まで視えそう」
ウスライの滲ませる驚きの雰囲気を楽しむように、次々とその心中を言葉に表現してやる。
まるで心の奥底の欲を覆う衣を、荒っぽく余すことなく剥ぎ取るように。
だが、その荒々しく下品な暴露の後で、ハダレは少し溜息をついた。寂しそうに、
「けど、流石にはっきりとは『視えない』か。残念だな。オレは不完全な力しかないから」
その言い回しに、ウスライははっとした。
「力…『視る』……そういうことか…」
心中を踏み荒らされた事よりも、やっとハダレの言う事に合点がいったと言うようにウスライが呟く。
ハダレは右眼を輝かせ、やっとわかったかと言うようにいたずらっぽく笑った。
そして、やはり待っていたと言うように、ウスライに蹴りを見舞った。
(心を読む……それが、お前の『異』)
ウスライは思い浮かべながら、棒で攻撃を受けた。拳の時よりも格段に威力が大きい。そして正確だ。
(俺の動く先まで視えるということか……道理で、代理戦争のときとは異なるわけだ)
棒が軋んで撓むほどのそれを、まともに受けたらどうなってしまうのだろう。
隣のビルで見た死体のように、粉微塵の五臓を曝け出して死ぬのだろうか?
「そーだね。あんたが見たやつらは、そういう風に殺したっけ」
ハダレがウスライの思考に割り込むように声を上げる。
ひゃっと楽しげに声を漏らすさまは、どう見ても正気ではない。
――だが、その楽しげな吐息の分息を吸い込む瞬間、ハダレの顔がふと冷たく翳った。
「オレはオレの『円』に土足で踏み込むやつらは許さない。
オレは許せないやつらを一人でも減らすために、オレなりに努力してる。
だから、それを踏みにじってまで入り込んでくるやつらに容赦することはないと思ってる」
ぼそぼそと、分かるような分からないようなことをもらし、青年は顔を上げた。まるで、同意を求めるように。
それに対してウスライが疑問を瞳に浮かべると、途端にハダレは落胆した様子で表情を崩した。
――そして、元の微笑に戻り、再び攻撃を加えてきた。
防がれた蹴りをひっこめ、軸足を素早く入れ替えて同じ様な蹴りを放ってくる!
ウスライはその行動と感情の起伏の落差に、一瞬ついていけなかった。
棒でその一撃を受け止めたはいいが、先ほど打撃を受けた身体はそれ以上の動きができない。
そのまま、棒ごと一歩二歩と押し下げられ、ふらりと壁側に背をつく。
バランスを崩した彼に、悪魔の笑みを浮かべたハダレが拳を振り上げる。まるで、さようならと手を振るように。
赤い雫が別れの涙のように滴った。
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