リングを、いやその上の人間を見つめる環状の観客の目は殆どが熱っぽく興奮していた。
だが少数、そうでは無い物もある。代理戦争とは本来興行ではないのだ。
審判は勿論、試合の行方を見ようとする組織や企業、敵対しているそれら、そして選手本人による敵情視察等だ。
今日も次に男と争う予定になっている者が、その姿をバーの席から眺めていた。
青年を犯し、興奮しているその背中を。
歳は未成年と思われた。中肉中背程度で、格好もぼさぼさのファー付パーカーにジーパンという普通の格好だ。
目立つのは右目を覆う布製の眼帯(それで、一時的な怪我などでは無いと思われた)と首に嵌った首輪だが、
そのくらいの格好ならば、やくざ者や品行不良な若者のたむろするここだから、それほど気にされるものではない。
明るい茶色に染められた髪の下で、鋭い瞳がゆるく男を眺めている。
その姿を認めた年増の女性(カウンターの向こうにいて、店の服でないことを見ると、店を仕切る立場なのだろう)が、
ため息をつきながら歩み寄ってきて話しかける。
「……もっと真面目に見てた方が良いんじゃないの」
「ん〜ん?」
声をかけられた青年は気のない様子で視線を上げる。
左目がそちらを向かないと見えないために、普通の人間より少し大きく顔を振り向かせて、目をぱちくりさせる。
「何で?」
「だってあんた、今度あの人と試合するから見に来たでしょうが。
負けたらろくな事にならないって分かってるんだから、ちゃんと見てなさいよ」
「ちゃんとって……」
彼は眉をしかめて、そっと舞台を指さした。
「……あの試合でなんか学ぶ事ってある?」
「……」
女性は彼よりもっと眉をしかめて、リングのほうを一瞥した。
そのまま彼のほうを向かずに視線を落とす。
「素人じゃ分からないことまで見抜くのがプロってもんでしょ。対策とか……」
「そのつもりだったんだけど、全然参考にするところなくって」
何となく会話が止まる。女性は彼の前からは離れなかったが、そのまま手作業を始めてしまう。
彼はもう一度舞台へ視線を戻し、暫くまた気の無い視線を向けていたが、
「大丈夫でしょ」
「……何が?」
唐突に女性に向かって話しかけた。話しかけられた女性は意図が分からず、少し口を曲げて聞き返した。
彼は目の前のコーラの入ったコップに唇をつけて、そのまま上目遣いで女性ににこっと笑いかけた。
「……オレ強いし。それにほら、知ってるでしょ、代理戦争の『原理』」
女性は一瞬視線をめぐらせて考え、ああ、と赤い唇を開いて息を吐いた。全く興味がなさそうに。
もしくは心底馬鹿らしい、けれど仕方が無いと納得しているかのように。
どちらかは分からないが、とりあえず女性は何とやら言う言葉を覚えていたらしい。
「あれでしょう、…あれ『勝者は倒される為に』とかなんとか」
「そーそーそんなの」
一口コーラを飲んで、唇を軽く舐めながら、
「ほら、彼今勝ったから。次は負けるよ」
「何言ってんだか……」
きゅっときつく眉を寄せて、女性は言う。
「そんなこと言うなら、あんたの方がよっぽどヤバいでしょうが。
……だいたい、そういうこと言う前に堅実な道を用意しておかないと、あんたいつか破滅するわよ」
「破滅ねぇ」
青年が気のない呟きをもらす。その口調はいかにも他人事といった様子だ。
「……その時はその時だな」
さらに、彼の指先はコーラのグラスについた結露の雫でテーブルにいたずら書きなどしている。心此処に在らず。
そういった調子の彼に、女性はもう何も言わなかった。言っても無駄だと分かっているのだろう。
この女性、彼とは他の客より少しばかり濃く接しているらしい。
視線の先では、争いがそろそろ終盤にかかろうとしていた。
「ぃい、っあ…あ、やぁッ…だ・・!」
バックから激しく体を揺さぶられて多少正気が戻ったのか、青年が泣きながら拒否を口にする。
頼りない布の口枷は振動でとっくに滑り落ちて、首のあたりで輪になってはたはたと揺れていた。
後ろ手に青年の腕を縛っている方の布の切れ端はしぶとく残っていたが、少しずつゆるみ始めたらしく
両手の間には10センチほどの隙間が空いてきている。
腕の可動範囲が広がったために肩胛骨の浮きは最初ほど目立たないが、
それでも醜い贅肉一つ付かない背筋がライトに映えて、男の目に扇情的に写った。
「…全く…いい商売選んだモン…だよなぁ?」
青年の腰を、指の跡が残るほどきつく掴んで突き上げながら男が言った。
「俺は、わざわざ…お高い女を買うこともねぇ。…お前は負けても金が入って…ッ、」
「ぁあッ、ヒ…ああああ!」
そこまで言ったところで、男自身の先端が青年の感じる場所をえぐったらしい。
青年はきつく身をすくめ、汗を吹き出し、顔をくしゃくしゃにして身悶える。
男も青年の反射的な締め付けに言葉を切り、低い唸り声を漏らす。
つい今し方、指三本を突き込まれてグチャグチャに押し広げられたばかりの穴は
不慣れな刺激に対する堅さを残しつつも柔らかな肉壁で男を刺激する。
「……その上こんな、気持ちよく…なってんだからな…」
言葉の終わりから少しずつ笑いと荒い息が混じり始める。
男は青年の腰に当てていた指を剥がし、今度は青年の性器にまとわりつかせる。
特に刺激しようとしなくとも、男が握っているだけで振動で擦られているようだが、
男は汗と先走りと精液にまみれた指で高速で扱き始めた。
「う、や!ぁあ、う・・やだ、厭だあ・・あ・ああ、あああ、あぁあああ!」
「ッく…」
青年がさっきとうってかわって背を反らして悶える。
男の指と、激しい突き上げから逃げようとでもしているのか、ずるずると前につんのめるように進んでいく。
「んああああ…あああっ!」
「逃げてんじゃねぇ、ほら!」
男は青年の髪を掴み、先程と同じように観客に向けて突き出す。
その顔は先程とは違って、赤みを帯び、唾液にまみれ、洟と涙で汚れてひどく嗜虐心をあおった。客が数名か、生唾を飲む。
青年の性器は目に見えてぱんぱんに腫れ、今にも破裂しそうだ。
それを塞き止めるつもりか、射精を促進するつもりか、きつく握ったまま扱く手を止めない。
もう一方の男の手は髪を掴み上げ、観客に顔を向かせたままだ。
不安定な姿勢だろうが、男の全身の筋肉がそれを支えていて危なげはない。
暫く男は自分の快楽を追って突き上げていたが、ふと思いついたように笑った。
「…そうだ、このまま頭あげといてやるよ、おい」
「ひ、ぁ!な、何、ィ・・ぃ、いああ、あ!?」
男が青年の髪を掴みなおした。青年の自身を掴む手も握りなおし、改めて高速で扱き始める。
「このまま…ぅ、皆さんに…見てもらえよ、いく顔を」
青年がぐちゃぐちゃの顔に一瞬の正気を取り戻す。
「ぃ、ひ、ひど…厭だぁああ、ああッ」
顔を曲げて男の方を見上げようとして、髪を捕まれたままの痛みに顔をゆがめる青年。
男は構わず好き勝手に突き上げながらも、青年の性感を引き出すことも忘れない。
勃起しきった性器を乱暴に、かつ一時も休むことなく的確に扱き続けていると、
青年も残り少なかった気力を使い果たしたのか、正気を戻す前のようにぐったりとなすがままに貫かれ始める。
客は客で、男なりのサービスに預かろうと移動したり出入りをしている。
観客は酒によい、雰囲気によい、試合のもたらす嗜虐心への満足に酔っている。
青年は性感に酔い、苦痛に酔い、屈服される屈辱感に酔っている。
男も快感に酔い、苦痛を与える征服感に酔い、腹の底からの勝利感に酔っている。
酔いに任せた勢いが場を一つにまとめた。
「…そろ、そろ…いくぞ」
「あっ、ああ、い、や、ぁあ」
青年は微かに言葉だけで抵抗しているが、体は抵抗するどころか男に合わせて腰を振っている。
ぐち、ぐちゅ、という音が段々小刻みに早くなり、2人の息が詰めるように早くなっていく…
「あ、あ、あ、…あああああああー!」
青年の背骨が折れてしまうのではないかと思われる程に反り返って、絶頂を極める。
男の指の隙間から濁った白い液体が漏れるように滴り、全身を震わせる。
男は一息遅れて息を詰め、青年の渾身の締め付けを味わってから放った。
青年がビクン、大きく震えて、中にぶちまけられた事が外からでもよくわかった。
観客が二人の絶頂に沸く。
それは何十、何百十に重なっているためにはっきりと何を言っているかはわからないが、
そのほうが会場の興奮がよく伝わってくる。
沸いた声援は、二人の快感の余韻とともに漣のように引いて行く。
だが、その後の興奮の余韻はなかなか冷めずに、その場にわだかまる。
次の試合が始められずに、会場を仕切る係りが困るほどだ。
その一方で、次の試合を待っていた、バーにたまっていた客が舞台のほうへ押し寄せていく。
作業をしていた女性はふと視線を上げて、舞台のほうを見た。
勝利に酔いきった男がなにやら興奮のままに叫び散らしている姿と、
ぐったりとして全く動かない(気絶しているのかもしれない)青年を、会場係が運び出しているところが見える。
熱気になじめずに視線を戻すと、果たして目の前に先ほどの男はいなくなっていた。
ただ、数口分減ったコーラ入りのグラスが、熱気に汗をかいているだけ。
透明な雫が、輪を描いている。直径十センチもない小さな輪は、グラスをどけた時にできたものだろう。
その中に、爪で描いたようないたずら書きがあった。
『Be all alone』=独り、その命令形。誰に命じているのかは不明。或いは、すでに定められている罰則付きの決まりのような。
それを取り囲む水滴の『円』。少しほうっておけば乾いてしまうだろうが、今は一部の隙もなく文字を取り囲んでいる。
女性はグラスを下げながらさっとふきんで拭いた。特に意味のあるいたずら書きとは思えなかった。
ただ、どこか連想させられた――秩序と、それを囲む『円』。中と外に分けられた、全く異なる世界。
或いは隔てるために『円』は描かれる。その一周そのものと、隔てる内外の『異』と、帰結のために。
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