代理戦争/最下層街編/転・対面/1


きっかけが何かあったわけでもなく、ハダレは覚醒した。 しかし、だからといって普通に朝目覚めるのとはまったく違う覚醒に、違和感を覚える。 こう、普通朝起床したらもっと気分が優れていて、疲れはなくなっていて、
五感から飛び込んでくる様々な情報――雀の声や朝日の眩しさに刺激されて、脳が目覚めていくものだ。
だが、今の自分は違う。 目覚めても爽やかさのひとつもなく、全身がだるくて頭がぽーっとしている。 関節が固まったように動かしにくくて、汗が溜まって気持ちが悪い。そして何より不自然に暑い。 処理能力の落ちた頭で考え、ひとつの結論に至る。
(オレ、熱出してんのか……?)
ここ暫く風邪も怪我もしていなかったから、発熱というのがどういう感覚なのか忘れていたらしい。 そういえば首周りに冷たい物が当たる。氷だろうか、すぐに温む事がなくて気持ちいい。 体をずり下げて、火照った頬をそれに当てた。
ほおの皮膚越しに氷を舌で弄んでいると、ふと疑問が浮かんだ。
(……何でオレ、熱出してんの?)
ぼんやり考えて、ふと経緯を思い出した瞬間――
「!」
寝ている場合ではないと思い出し、思わず飛び起きようと全身に力がこもる。 が、
「ッ…あ゛っ…!」
とたんに全身から予告のない激痛が襲ってきて悶絶する。
刺された鋭い痛みや、酷い筋肉痛、打撲や爪がはがれた指先の疼痛。そして口に出せない箇所の痛み。
(くそ……覚えてないとこまで滅茶苦茶痛い………)
それでも何とか立って、ここはどこなのか、安全なのかを確認したかったが、 全身くまなくおおう痛みと熱にどうしても抗えず、仕方なくハダレは座ることも断念した。 涙目になりながら、そろそろと身体を元の姿勢に戻す。 それすら痛みを誘発し、長い時間を必要とした。
ハダレが寝ているのは、ベッドではなくソファーだった。 カバーは荒い素材だが素材は柔らかく、面積もなかなか広い。例のベンチよりずっと居心地は良かった。 ハダレはゆっくりと全身を動かし、寝心地いい姿勢を見つけると、毛布にすっぽりと包まった。 そしてぼーっと部屋の中を見つめる。
確かにその部屋は見知らぬ場所だが、ハダレからみえるそこここに生活臭がする。 犯罪組織が人身売買用の奴隷を捕まえておくような場所に、おたまが突っ込まれた鍋があるとは思えない。 偏見かもしれないが、きっとそういう奴らは奴隷をコンクリート打ちっぱなしの部屋とかに捕まえておいて、 捕まった人間が目覚めたころに悠々と登場して「目覚めたか」とかいいながら嘲笑を――……
(…………それはどうでもいいや)
妙な方向に走りはじめた思考をそこでとどめ、ハダレはぐるりと視線だけを巡らせた。

今自分のいる部屋には窓と扉がみっつある。 施錠はされているようだが、内側から難なく開くつくりだ。逃げようと思えば逃げられる程度には。
それを見て何となくほっとした。 窓にはカーテンが引かれているが、僅かな隙間から見慣れた最下層街のビル群が見える。
そこから視線を部屋全体に移す。 ハダレが寝ているソファー以外にある家具といえばテーブルと椅子二脚、そして古ぼけたガス台だけだった。 先ほど目に入った鍋はガス台の上に乗っていた。 誰かが調理したのだろう。作り置きか、片づけしていないだけかはわからないが。
その『誰か』は今いないらしい。ハダレは独りだった。

それを自覚した瞬間、ハダレの中で何かが壊れるような音がした。 昏々と眠り続けていたせいで途切れていた時間が、廃ビルでの時間とつながったような感覚だった。 さきほどまで痛みという結果でしかなかったものが、突如として暴行や戦いの産物としての傷として認識された。
「…………」
そろそろと息を吐きながら、ハダレは最も激しく痛む右の腿に触れてみた。
「…、…ぅッ……」
包帯とガーゼの上からほんの掠める程度に撫でただけだが、それでも寝ぼけた身体には十分な刺激だった。 ひきつるような感触から、何針か縫ったのではないかと推測する。 だが、痛みを感じるだけましだった。神経を傷つけられることに比べれば。
――そう、ハダレは無理矢理自分を納得させようと努めた。
だが。

「…………」
右腿の鋭い痛みに混じって、自分の鼓動に一拍おくれて静かに疼く場所が、集中をかき乱す。 痛みそのものはそれほど酷くない。 だが、それだけに物事を考える余裕が出てきてしまう。連想してしまう。 気色の悪い舌に何回も舐めまわされ、くわえられ、容赦なく指を突っ込まれ、最後には――
「…………、…!」
ぞっとした。
された行為にも、した二人組みにも、途中一瞬なりと欲望に飲まれた自分にも。 初めてではなかった。これよりも屈辱的、一方的な行為は何度も――というより、そういった事ばかりだった。 だが、程度の問題ではなかった。された。そしてそれが傷として、記憶として残っていることが問題だった。 ハダレは身体に手を回して、脚を引っ込めて縮こまった。 その上から改めて毛布を被りなおし、じっと息を潜めた。目を瞑ると思い出してしまうので、目を開けたまま。 誰が襲ってくるわけでもない。たとえ襲われても応戦などしようがない。
だが、そうしていなければ過去からにじり寄る誰かにさえ、自分が強奪されてしまいそうな気がする。
柄ではないと思ったが、ハダレはぎゅっと自分を抱いた。 爪のはがれた指先が弱々しく自分の腕をつかんだのを感じる。
確かに自分には大それた価値はない。 多少腕が立って、鬱屈した人々へ勝利という形の娯楽をもたらすくらいしかできない。 それですら、他人の存在を踏みにじっているという大前提がある。 どんなにおまけを加えても、うっかり発揮したら人を容易に死に至らしめる力くらいなものだ。
だが、それでも奪われたくなかった。触れて欲しくなかった。 本当に「これ」しか持ち物のない自分から、最後のひとつまで取らないで欲しかった。 また、過大な影響力を持つおまけで人を傷つけないように自分で描いたひとすじの『円』に、踏み込まないで欲しかった。 今はそれを声高に叫ぶ気力も、拳で訴える体力もなかった。
その代わりに自分を抱きしめた。熱のせいもあって、不必要なくらい温かく、安心した。
そうやって、ハダレは自分の周りになけなしの『円』を描いた。
気を緩めたら涙がこぼれそうだった。
だが、泣くべきではなかった。自分が生き残るためにしたことを思えば、そうすべきではなかった。 だが、泣きそうだった。屈辱と、恐怖と、あとは何にも分類できそうに無い感情が溢れそうだった。

温かさに安心したせいか、眠気を覚えてハダレは目を閉じかけた。
指先の力が緩み、するりとほどける。それを引き寄せ、本格的に眠ろうと身じろぎしていると――

「目覚めたか」

声が降って来た。




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