代理戦争/最下層街編/転・対面/2


「目覚めたか」

降ってきたその声に本気で驚いて、ハダレは後ずさろうとした――実際は、激痛でもがいただけだったが。
声がしたほうを見る。いや、見上げる。
そこには黒髪黒目黒尽くめの男、ウスライがこちらを見下ろすように立っていた。
「お前と俺があの廃ビルで戦ってから三日過ぎた。
 その間身じろぎもしなかったから頭でも打ったかと思ったが、平気なようだな」
そう言う男の表情は動いていない。ハダレが頭をかち割っていても平然としていそうなほど。
それをなんとなく悔しく思いながら、ハダレは相手の観察を続けた。
「ここは『倉庫』だ。あの場所から近くはないが、お前の方が位置は分かるだろう?
 お前が落ちたあと俺が独断でお前を連れてここに来た。だから、お前が逃げようと思えばいつでも逃げられる」
男は美形で、背が高くて、理知的で自制に満ち溢れていた。数日前見たとおりに。
代理戦争をした相手でもあったし、廃ビルで殺し殺されかけた相手でもあった。間違いない。
――そして、どちらの戦いでも負けてしまった。間違いない。
「だがお前の体は、重症だ。今逃げても追っ手に簡単に捕まる」
「……あん、たが……付けた傷も、ある、よな?」
自分だけがぼろぼろなのにプライドが刺激され、つい皮肉げに言ってしまう。
が、その言葉を聴いた瞬間鉄面皮だと思っていた男の表情に、ほんのわずか影がさした。
「……医者に見せて、処置はさせた。そのことについては詫びる。申し訳ない。
 それに俺の目的のために身勝手にお前を拘束したことについても、そう思う。だが、これが……最善だった」
そうやって見つめているハダレに、訴えかけるような切実な雰囲気が伝わる。『感じ』られる。
「お前が俺の話を聞いて、やはりいやだと思えば強制はしない。
 だが今俺はお前を組織に渡したくない。一方今お前は組織に狙われながらも、抵抗力が不足している」
「…………」
「利害は一致している。
 悪いようにはしない――俺に、お前を護らせて欲しい」
ハダレは無言だった。いやな表情をするでもなく、かといってすぐに了承するわけでもない。
男も、ハダレの反応がないので無言で見つめるだけだ。

たっぷり一分はたってから、ハダレが口を開いた。
「……オレの、こと、わかって言ってる?」
「?」
「オレは…『異』だよ。あんたが、ビルで言ったとおり。
 あんたが、心のどっかでものすごく抵抗とか、イヤな気持ちを感じる『異』って存在だ……」
その言葉で、ウスライの表情が訝しげなものから厳しいものへと変わった。
先ほどの影が、退いたというよりむしろ覆いつくしたために一枚の表情を作り出す。
同時に、ハダレも熱で充血した瞳に、鋭い一条の光を得ている。
「媒体器官は右眼。つまり、『視覚』がお前とチガウ。
 どう違うかっていうのは、簡単に言えば――お前の考えていることが、分かる」
ハダレはゆっくりと瞬きした。ウスライと視線を合わせたまま。
「仕組みは……オレも話半分の知識だし個人差があるみたいだけど。
 お前の身体中に通ってる弱い電流――神経で伝達されてる情報そのものを、昔の機械みたいに読み取る。
 神経が今どこで興奮しているか。どこにその興奮が伝わって、どういう情報を引き出すか。
 つまり、お前が今何を考えているか、何を次にするか、その根拠や理由は何か、
 言葉にしてわざわざ曖昧にするまでもなく全部分かる」
今、あんたがオレに対して緊張と畏怖と不快感を味わっていることも。ハダレはあえてそれを言葉にしなかった。
「もちろん、できないこともある。
 あんたとオレの間に、紙や布一枚でも仕切りがあればもう『視え』ない。
 視線があわなくてもダメ。映像とかでもダメ。今現在リアルタイムで考えてること以外はダメ。
 もちろん媒体器官が傷ついたらオレは『異』を失う」
ハダレはそこまで話すと、すっと眼を細めた。まるで、『もっとよく視よう』とするように。
それは一種の意思表示だった。そして確認であり、挑戦だった。それでも近づくのか、という。

ウスライは、ハダレから目をそらしたい誘惑を感じた。それすら読み取られているというのは恐怖だった。
だが、ウスライは踏みとどまった。逆にそれ以上踏み込むこともなかった。
かすかに喉仏を上下させ、唾液を嚥下すると、無表情な瞳でしかと見つめ返す。
心中は穏やかではない。ハダレに対して抱いている負の感情を完全に隠すなど、不可能だった。
それでもウスライはハダレの問いに対しての答えを思い浮かべた。そして視線を結んだ。

――しばらく無言の時が過ぎた。それを破ったのは熱にかすれた声だった。
「…………名前」
いぶかしげな――意図が分からないと言った意味で、男が眉をかすかに寄せる。
名前なら代理戦争のときに散々呼ばれたし、知っているはずだろうという様子に、ハダレが言い添える。
「……これから、一緒に動くんだから……自己、紹介くらい、しろよ……」
言い切ってから、喉が乾燥したとでも言うように咳き込むハダレ。風邪ではないのだから、咳など出るはずがない。
照れているのかもしれないハダレに向かって、男は真摯な黒い瞳を向けて、初めて名乗った。
「俺は……ウスライ、だ」
「ん。オレは…ハダレ。短い間だろーけど、よろしく」
そう言って寝転がったまま差し出す手を、ウスライが握った。
ハダレは、ウスライの手が思ったよりも温かいことを知って、少し面白く感じた。
ウスライは、ハダレの手の甲が身体と同じように傷だらけなのを知った。
何を思ったのか反芻するより前に、咄嗟にハダレのほうを見ると、
握られた手の向こうで、心まで見透かすという右眼がウスライを視てかすかに笑っていた。
熱のせいでぼやけ、潤んだ瞳は穏やかそのものだった。
瞳そのものはあの廃ビルで出会った時と変わっているわけがない。
だが、なぜかその時ウスライは畏怖より先に違うものを感じて、そっと目線をはずした。




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