代理戦争/最下層街編/転・接触/1


話の内容が一段落ついたので、ハダレは思い出したように尋ねてみた。
「そういや……オレのこと、医者に見せたんだって?どうだった?」
「……全治一ヶ月。一番酷いのが右大腿の刺し傷で、8針縫った。
 『素人と言ったら何だが、あまり慣れていないやつがビビりながらやった傷だな』と医者が言っていた。
 抜糸は10日後だそうだ。覚悟をしておくんだな」
「最悪だ……また傷が増えた……」
顔に手をあててぼやくハダレに、さらに畳み掛けるように、
「手足の拘束跡は湿布を当てて大人しくしておけばいいが、勝手なことをするなら縛り付けても安静にさせろと言われた」
「誰に!?」
「無論医者だ。お前のことを知っているようだったが」
ハダレは唸りながら身悶えた。きっとその医者は、自分の知り合いのヤブ医者だ。
代理戦争といわず、あらゆるギャンブルに精通していて、よくあのバーにもやってきてはハダレに賭ける。
選手割引だ、とか言ってハダレにはよくしてくれたが、必要なときにいつも出かけていていないというのも彼だった。
「なんにせよ彼はお前のためを思って言ったんだ。有難く忠告は受け取っておけ。
 ああ、あと手の爪が剥がれたのも化膿させないように注意しろと言っていた。暫く水につけるなと」
ウスライに諭されて、ハダレはむぅと唸った。完全に、子供扱いされたからだ。
そのむくれた様子を見ながら――ウスライは、慎重に口を開いた。
「でだ。それ以外にもう一箇所、処置をしろとしつこく言われた箇所がある」
「まだあんのか……どこ?」
これ以上注意しなければならないことが増えるのか、とうんざりしたような口調。
それに応える。
「肛門だ」

――静寂とは、こういうことを指すのだろう。
昼下がりの――そう、ハダレが目覚めたのは昼食時を過ぎたあたりだった――、やや平穏な街の喧騒。
朝にはいない小鳥がさえずり始め、荷車を押すような音が路地に響き、誰かのどうでもいい世間話さえ聞こえる。
とろんとした日差しが、閉じかけのカーテンをすり抜けているのが眠気を誘う――

「現実逃避するな」
ウスライに指摘されて、仕方なく意識を部屋に戻す。できれば忘れていたかったのに。
傷ついたというより、単純に泣いているところを見られたような恥ずかしさで、頬が熱くなる。
「そうだけど。落ち込んだって良いだろうがよ。
 それにあのヤブ医者に……そんなプライベートな場所を見られてたとか思うと、ちょっと」
あああああ、と唸りながら頭をかくハダレに、さらに追い討ちがかかる。
流石にこれを告げるのには、ウスライにも多少の勇気が必要だった――唾を飲み、一気に言う。

「俺も見た。すまない」

今度こそ、ハダレは暫く現実に立ち返れなかった。
BGMのようなウスライの声のひとつひとつが凶器のようにハダレに突き刺さる……
「勿論悪気があってみたんじゃない。あの医者が介護を請け負う以上は、怪我の全貌を見るべきだと言ったから――
 それに、気絶していたお前には下の世話も必要だったし……
 ああそれに連れてきた日にお前の中に指を突っ込んで洗わせてもらったのも、他意があったわけでは……
 薬を塗布して清潔にしていればすぐに腫れが引くと言っていたが」
「薬……」
ぼんやりとしたまま、両手を顔の近くまで持っていって眺める。
そこには、包帯でぐるぐる巻きにされ、清潔に保てと忠告されたらしい指があった。
これでは薬など塗りようがない……
「これが、さっき視るなと言った事だ」
呆然とするハダレに、心底情けないといった様子でウスライが告げた。

その後は気まずいまま夜を迎えた。
ウスライに卑しい思いがあったわけではなく、ハダレにも恥じる権利があった。
だが、どちらにも罪はなくても言葉が出ないことなど、よくある。
特に、今日はじめて名乗りあったような二人なら。
ハダレはソファーの背に顔を向けて、寝たふりを装って、考え事をしていた。
勿論尻穴を見られた事には憤慨し羞恥を覚えたが、ずっとそればかり考えるほど余裕のある状況ではないし、うぶではない。
かといって完全に無感動でいられるはずもなく、「考え事をしている」と自分に言い聞かせているのかもしれなかったが。
(……ウスライ)
もう何度目なのか、舌先だけでその名前を転がす。
(視た限り、嘘ついてないし筋は通ってるし、信じても損はない。と、思う。
 『異』のオレに勝ったんだから強いんだろうし、こう、正直な奴だし。でもなぁ…)
ハダレは毛布の中にため息を吐き出した。
(何で……護ろうとするんだろうな)
さっきまでの彼の説明で、おおよそのとこは理解した。
ハダレが保護されているのは彼が狙われた『異』だからだ。しかし。
(廃ビルの中で視たとき、あいつ『異』に、憎しみみたいな、良くない思いがあったんだよな。
 それなのに何で、ひょっとしたら自分もやばくなるような事までして護ろうとしてるんだろうな……)
それが、分からなかった。多分それはハダレには視えない、ウスライの過去に根ざしたことがあるのだろうが。
ただ、あの焼ける様な強く鋭い思いを垣間見たものとしては、どうしてもそれを気にしてしまう。
(何でなんだろうな……視ない方がよかったかな)
ハダレはウスライの領域に踏み込んだことを後悔し始めていた。気になって仕方ない。と。

「ハダレ」
突然呼びかけられ見上げると、やはり無表情な男。
その手にあるのは、タオルと洗面器――
「あんな話の後でなんだが、体を拭いた方がいい」


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