代理戦争/最下層街編/転・同族/1


※残酷な描写・戦闘描写があります。

「……五分やる。身体を洗って、服を着ろ。その間に俺が荷物をまとめる」
ウスライはハダレに言い放つと、その場に背を向けた。
この場所に加え、次の潜伏予定地ももうばれているだろう。例の殺された男が手配した場所はもう使えない。
となると、何はともあれ移動することが最優先になる。
どこへ行くかなど決まっていなくていい。
移動し続けて、撒くことが重要なのだから。

――誰を?
かすかに脳裏によぎった問いに答えるように、がやがやとした集団の気配が押し寄せてきた。
階段の下。窓の下。あるいは、建物の陰になる位置。
そのくせ、周囲の商店や住民は不自然な沈黙を保っている。巻き込まれるのを恐れたのだろう。
「ハダレ。あと五分といったが話が変わった。急げ」
ハダレの鞄に食料と医療用具を無理やり詰め込む、その耳に強まったシャワーの音が届いた。
豪雨のようなその音が、初めて彼をここに連れてきたときのことを思い出させる。
あの直前も、彼は『異』に支配されていた。
人間の肉体を破壊できるほどの強力な力を持った異様な存在は、
ウスライの前では無力で普通の存在だった。少なくとも、この十日余りは。
熱でだるそうにしたり、眠れないといっては不機嫌にしたり、頭を撫でられて嬉しそうにしたりする懐っこい青年を、
狂人のように変えてしまうその不気味な遺伝子に、ウスライはかつて無いほどの激しい憎悪を抱いた。
だが「かつて『異』を憎んだ理由」と、「今『異』を怨んでいる理由」が僅かに異なっていることに、
ウスライ自身は気が付かないでいた。
シャワーの音が止んだ。タオルで体をこする柔らかい音が忙しく響く。
ちょうどベルトを留める金属音がしたところで、とうとう組織のよこした追っ手だか監視員だかが
階段を上りきったようだった。
薄い鉄板を踏み抜きそうな足音の重奏が、こちらの覚悟を決めさせる。
「……ハダレ」
背後に呼びかけながら、視線は前方に集中。
右肩に背負った袋から抜き出された「棒」は、いまや無骨な手を添えられて武器に羽化するのを待ちかまえる。
空気がひりつき始めた。
扉越しの彼はそれを感じているだろうか。
ささやかな疑問を抱きながら、ウスライは背後に命じた。
「そこで扉を押さえていろ。
 外は俺が片をつける」
答えは無かった。
それを承諾だと受け取り、ウスライはいよいよ迫る気配に意識を集中した。
――先ほど打ち砕かれた扉のせいで、室内と室外の区別はさほど重要なことでもなくなっているが、
それでも部屋の中央に鎮座するテーブルなどは無視することができない。
迫る足音。彼らが室内をのぞくタイミング。こちらがそれを気取るタイミング。

「――いたぞ!奴らだ、ぶっ殺――ああああああぁぁあぁあぁ!」

それらを合わせて――テーブルを蹴りどかせ、最小限の――室内ゆえに――振りで斬った。
コッ、と背後で鞘が落ちる音がした。
血の泡を吹いてのけぞる先頭の男をテーブルと同じように蹴り飛ばし、
視界をふさがれた二人目を同じように排除。三人目の男の足元を払い、見事に転んだところで
咽喉を踏みつけ押さえつけて、胸を渾身の力で突き刺す!
(失われた)
喪失の感覚。――破壊された心臓が、ひときわ大きな鼓動を残して停止する感触が、
単なる手ごたえ以上の意味を持ってウスライの手に伝わった。
(考えるな)
ウスライは男の鼓動に刺激されたかのように跳ね上がる自らの心臓に命じた。
足をかけているものを遺骸と考えないように、貫いたものを心臓と考えないように、
今行ったことを犯罪あるいは同種の尊厳を侵害する行為あるいは生命活動の停止あるいは

あるいは、殺人と考えないように。

「――をよくも殺ってくれたなぁあぁぁあああぁ!」
誰かの名を呼びながら向かってくる四人目に、ウスライは目を遣った。素手ではない。
なにか、武器のようなものを腰だめに構えている。
ウスライは、足をかけたままの男の体から刀を抜き出した。
桃を切り分けるような音とともに、白と赤の刀身が男の眼前に現れる。消える。
右下側から掬い上げる様な仮借ない一撃が、男の指を凪ぎ散らし股間を引き裂いた。
「ぃぎッ!?」
ばらばらと落ちる肉片。それを追いかけるように、戦闘用の尖ったナイフが転がる。
それを視線で追いながらも、男は、指の無い手のひらで股間を押さえた。
「ぎ……」
「邪魔だ、どけ!」
通路側から、仲間の罵声が男に浴びせられる。が、男はショック状態で呆然としている。
――その視線から隠すように、ウスライの足がナイフを踏みつけた。
思わず見上げた男に、ウスライは怜悧な視線を向けた。

「退け」

怯えさせようとした覚えは無い。
が、殺気だった一言は男を戦線離脱させるには十分だった。
股間を押さえたまま、転がるように男が退く。いきなりできた隙間に、数人の男が殺到した。
――殺到して、たたらを踏むような形になった。
ウスライは足で踏みつけていたナイフを素早く拾い上げ、
密集した男たちの顔の下に突っ込み数センチ閃かせる!

「ぎひッ!」
「ぁ…?」

不気味なほどの正確さが、数本の動脈を切り裂いた。
炭酸飲料を開封するときの音を数倍にしたような潰れた音を添え物に、
赤い奔流が玄関先を――ハダレがした以上に――生臭く染め上げ、天井にまで飛び散る。
威嚇の表情を半端に崩した男たちの、あっけに取られたような顔は、
一瞬にして死化粧の紅をさされてくずおれた。
――同様に、ウスライにも。
血霧は端正な顔を染め上げ、艶やかな黒髪をべったりと固まらせた。
黒い服は色合いにこそそれを示さないが、残酷な臭いを漂わせた血染めの装束となる。
(感じるな)
血の臭いを。血の感触を。血の色を。
そして、それらに対しての嫌悪感や罪悪感を。

流石にこの流血劇に度肝を抜かれたらしい後続の暗殺者を、ウスライは次々と屠った。
全身べっとりと血を浴びた長身の男が、無表情に向かってくるというのは相当恐ろしかったらしい。
未だ階段の辺りにいた怠け者たちは、ウスライが一瞥くれて歩み寄るそぶりを見せただけで
逃げようか逃げまいかといった表情を見せた。
思わずつぶやく。

「意気地の無い」

他人を傷つけるために倉庫くんだりまで来たくせに、傷を負う覚悟は無い。
あるいは、いざとなったら傷つける覚悟すらないのかもしれない。
そんな彼らに、ウスライは追撃をかけようと部屋を踏み出しかけた。――かけて、足を止めた。
止めざるを得なかった。
「……!?」
足元に強い束縛を感じて、ウスライは振り返った。
――足首を掴まれていた。あの、股間を切り裂かれた男に。



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