代理戦争/最下層街編/起・捕食/2


夕刻を過ぎれば、灰色じみていた街も一気に華やぐ。
とりわけ今宵はそこここで人が集まり、まるで大きな祭りを待ちわびているかのような盛り上がりを見せている。
理由はひとつ。
今夜は、代理戦争の開催日。

『れでぃーっす、あーんど、じぇんとるめん!!』
例のバーを会場としておこなわれる代理戦争は、大抵下手くそな外国語の挨拶で始まる。
『今宵も非常に精力的に集まっていただき誠に感激!
 だが精力的すぎて定員オーヴァー、立ち見の人数おおよそンー十人、おんぼろバーにはちときつい!
 興奮しすぎには十分注意してくれたまえ!』
すさまじい悲鳴、いや、歓声が上がる。その大きさは先日の試合とは比べものにならない。
『おおっと、会場係がすでに悲鳴を上げている!このまま焦らすと会場が壊れかねない、
 オーケイ、いきなりメインディッシュいっちまっていいか!?』
メインディッシュ、その言葉に観衆がヒートアップする。
いつも重要な試合や人気の選手の戦う試合は後回しにして焦らして焦らして、興奮をあおるのだが、
今日はもはやそういったレベルではない。 というか、必要ない。
その意を十分にくんだ相槌を付いた解説の男は、興奮に震える喉を開いた。
『オーケイオーケイ、早速始めちまおう、始めてもらおうじゃないか!
 今夜は人気急上昇中のパワー派と、我が戦場が誇る無敗の王者のマジ試合!一瞬足りと見逃すなよ!
 それじゃ選手入場ー、盛大な拍手を頼むぜ!!』
割れるような――実際、ガラス窓の一枚や二枚割れたかもしれない。
そのくらい強力な拍手と、耳の壊れそうな激しい音楽が観衆を灼いた。
灼かれた耳のかわりに眼を頼りに観客が辺りを見回すと、2人の影が舞台を挟んで対極に近寄ってくるのが分かっただろう。
一人は最初の肉厚な体の男。もう一人は…………もう分かっているだろう、例の眼帯コーラ男だった。
2人は気負いのない足取りで舞台に近づいてくる。むしろ、周囲の方が固唾をのみ、緊張していた。

『西軍、豪腕のモウジ!皆知ってるとおり、ここ半年で超!人気急上昇中のナイスガイ!
 その筋肉モリモリの丸木みてぇな豪腕から繰り出される拳は選手の骨肉のみならず、
 舞台装置や客席を何回壊したか!金返せーー!!』
野次の混じった解説に、男はすこし顔ををゆがめた。だが、それは不愉快からではない。
こみ上げる名誉への陶酔が笑いという形で吹き出しそうになって、ごまかしたのだ。
モウジはゆっくりともったいぶるように舞台に上り、相手を待った。

『一方東軍、言わずもがなの鉄壁の王者――――ハダレ!』
その瞬間、モウジへの歓声の数倍にも匹敵する声が上がる。声の円の中心にいるのは、例の青年だった。
彼は飄々としたもので、解説に興味がないのか、客に向かって手を振ったりしていたが。
それよりも客の方が解説に興味があるようで一言一言に過剰なほど反応する。
『誰もが知ってるとおり、この戦場でデビュー以来丸4年間無敗の最強王者!
 しかしてその正体は未だエロ本も法律上は買えない未成年!
 その超スレンダーバディから放たれる多種多様すぎるトリックは今日も敵をマットに沈めるのかー!?』

モウジは実況の間中、ハダレを検分するようにじろじろと眺め回した。
一言で言って、普通の青年だった。背はそう高くない。幅も、むしろ余計なものをざっくりと削ったような細さ。
顔立ちも崩れているわけではないが、特に目を引く美青年でもない。
服装も、ファー付きの着古したパーカーにジーンズにスニーカーと普通。頭もありがちな明るい茶髪。
多少目を引くのは右目を覆う黒い眼帯と、細い首を環状に囲う首輪。途切れた鎖がオプションで付いている。

だが、正直に言えばそんな列強の猛者とは思えない。
興奮し切った実況を聞いていた男は、フンと笑った。その声に青年が振りかえる。
男は小馬鹿にしたような笑いで、丸木のような腕を見せ付けながら言い放つ。
「そんなマメモヤシみてぇな身体で、死んだって笑ってもやらんぞ」
確かに広いリングの上を遠くから見ると、男の身体の厚みばかりが目立って、青年は薄っぺらに見える。
更に青年は右目を眼帯で覆っている。初めて観覧する者には、弱い者いじめに見えるくらいの差だ。
だがハダレは落ち着いたもので、
「……笑えないのはあんたの方だよ」
「あん?」
何か口汚い言葉を返されたと思ったのか、男が鼻白んだ声を出す。が、青年は肩をすくめて
「オレは今日勝ちに来ただけじゃないんだ。
 いらねーサービスして、雇い主の機嫌悪くしたバカのカマ掘りに来てやったんだよ」
男には意味不明だったらしい。ぽかんとしていたが、青年はそれだけ言うと半身の姿勢をとった。
喚声が――聞える。聞える。聞えない。聞えなくなった。

『ファイッ!!』

ただ、実況の声が、微かに耳に響いた。

「らぁっ!」
意外にも先攻したのは、モウジのほうだった。
確かにパワーにあふれた攻撃だ。見掛け倒しの筋肉を着ているわけではなさそうだった。
だからといって破壊力だけに頼んだわけでもなく、技がおろそかになっていることも無い。
なかなか未来のありそうな戦士であることには間違いない。

だがハダレには当たらない。
さっきから顔のすれすれに、何度もリング自体を破壊したようなパンチを通過させながら、
ハダレはそれでも小川の小魚を追いかける子供のように輝く瞳で接敵していく。
「ぅぬん!」
モウジの表情に焦りが浮かぶ。
一発も当たらないくせに攻撃してこない敵と言うのも組み合ったことが無い。
何となく薄気味の悪さを感じた。

「はぁっ!」
もう10はとうに過ぎたパンチを繰り出すと、ハダレは初めて1歩引いて少し左方に顔を振る様にしてそれをよけた。
ハダレの死角が少し増えた。
モウジの頭に、薄気味悪さを晴らすような光が一筋差した。
男は右足を軸として、左足をハダレの右腰に打ちつけようと踏み出した。
からぶったままの右手を引き寄せながら、ハダレの頭が逃げられないように掌を広げる。
そこまで男に準備させてから、初めてハダレの瞳に驚きがうつる、その瞳を見て男の頭に歓喜が沸く。
(やった……)
自分が焦っていたのをごまかそうと沸いてくるのは分かっていたが、止められない。
膝が青年の腰に近付いていくのが、とてつもなくゆっくりとした早さに思えた。その一瞬にさえ焦れる。

「なにィ……」
が、飛んだのは男の身体のほうだった。言葉も愕きのあまり、尻切れになる。
男の身体を、青年が投げ転がしたのだ。その場から身体を引くのではなく、左方に転回して背負い投げるような要領で。
一拍遅れて、男の重い体が背から打ちつけられるだん、という音が会場に響き渡った。
観客にもこの顛末は意外だったらしく、おおっという驚きの声が上がる。
訳がわからず、モウジは一瞬天井を見つめたまま呆けていたが、視界の隅に青年が映ると慌てて起きあがる。
先ほどはむせ返るようにその背中から滲み出ていた自信は、霞のようにさっぱり消えていた。
だが、男は再び、吼えながらハダレに向かっていくしかなかった。

既に何回投げられ、倒されただろうか。決定打はなかったが、試合はハダレの優勢に明らかに傾いていた。
じっとりとしたいやな汗の浮かぶ、男のその背に向けて、呑気な客から酷い野次が飛ぶ。
「とっとと犯しちまえこの野郎!!」
(うるさい、やれるもんならお前がやってみやがれってんだ!)
――同じだけの雑言を目の前に言う度胸は、モウジにはもう湧いてこなかった。
試合前にモヤシのようにしか見えなかった細い身体が、今は鋭く薄い刃のように見える。
だが、それでも負けるわけにはいかない。名誉も、金も、力も、今もっている自分が全て否定されてしまう。
負けないためには勝つためしかなく、勝つためには相手を倒さなければならず、相手を倒すためには――
「うぉおお!」
モウジは半ばやけのようにハダレに向かっていった。負けないためには攻撃するしかない。
鋭い渾身の拳が突き出され、それがよけられる。
鋭い渾身の拳が突き出され、それがよけられる。
鋭い渾身の拳が突き出され、それは避けられずに受け流され、青年が一歩踏み込む。
モウジがハッとした時には、ハダレの肘がその身体にめり込んでいた。
驚くように目を見開いたモウジは、五臓が衝撃に貫かれるような錯覚を覚えて唸り声を上げた。
が、その苦悶の声が上がりきる前に、 男の身体は二度の奇妙な震えを見せて後ろへ傾ぐ。
一度目は顎に、二度目は肋骨に蹴りを喰らったため。

ず、ずずっと引きずる音を立てそうな緩慢さで、モウジの巨体が倒れた。
「ぉっ……お……う」
「ふぅっ」
強烈な吐き気と呼吸困難と、更に平衡感覚の麻痺によってのた打ち回る肉厚な身体を前に、
少し乱れた息を吐きながらハダレは笑った。
この間、バーの女将に見せた無垢な笑顔ではなく、陰惨な哄笑を交えた微笑で。



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