一瞬。室内に、沈黙が訪れた。
ウスライは無表情のまま、思った――青年は今の皮肉を聞いて、激昂するだろう。
決裂も免れないかもしれない。
ひやりと咽喉を後悔が伝ったが、熱っぽい脳はそれでもいいと伝えている。
だが、ハダレはぱちくりと両目を瞬かせた――そして、ぶっと噴出した。
意外な反応に驚くウスライの目の前で、ハダレはひとしきりげらげらとハイテンションな笑いを振りまいた。
興奮に侵されやすい彼の脳は、多少攻撃的な言葉すら、今なら極上のジョークとして捉えてくれるらしい。
――さらに、ちょっとした普段の思いを、最大限相手の肺腑をえぐる言葉に変換する機能さえ、
彼の脳は備えていた。
「確かになぁ。まぁ、そりゃあオレの落ち度だな……
だから、今度の侵入者は誰一人五体満足じゃねぇよ。これでいいだろ?」
「………………」
まるで害虫にスプレーを散布したような物言いに、ウスライの脳内でぐるぐるしていた感情が刺激された。
「楽しいか?」
冷たい口調で問いかけると、ハダレが凄絶な笑みを浮かべた。
「楽しくはないね。興奮はするけど」
「それがどう違う」
「今あんたが感じてるのと同じようなことを、感じないか感じるかだよ。
つっても、やられたほうからすりゃあなんも違いはないんだろうけどね」
「分かっていてなぜ笑える……」
深い笑みをたたえたまま、殺戮の話をなんでもないことのように語れる青年。
なんともいえない悪寒がウスライの背筋をゆっくりと這い登った。
その悪寒がどこから来るものか、ハダレの右眼だけは正確に見抜いていた――……
――彼は鋭い視線でウスライを真正面から見た。
口元は笑っているが、視線は違うものが混じっている。嘲笑、あるいは自嘲。哀れみ、あるいは同情。
「隠せてないよ。オレとおんなじニオイ」
「……」
「何も血のニオイだけじゃねぇよー?分かってるだろ」
「何を分かっていると」
「善良ぶるなよ、同類」
瞬間、ウスライが刀を閃かせた。
よほど動揺したのか、あるいは威嚇のつもりか、ハダレの首にうっすらと傷をつけて刀は止まった。
「反論できなくなったら手を出すか。こえぇなー、最近の人間は」
「……俺は血で興奮などしない」
「そんなん、興奮型でなけりゃぁ興奮はしないだろうよ」
「報い無き殺傷を続けることなどできない」
「給料でも出るってことか?そりゃあ豪勢な殺し合いしてきたなぁー。
こちとら文字通り命がけでさぁ。好きでこんなことばっかりやってる訳じゃねぇよ」
「『異』ではない!」
「だからって罪悪感も何もかも忘れてるわけじゃねえよ」
ハダレは刀に臆することなく言い切った。
「『異』みたいに忘れられないから、忘れて戦うボク超カワイソウー★って、アホか。
――教えてやるよ。オレがわざわざ眼帯してるのはな、怖いからだよ」
命がかかった刃が突きつけられているのをまったく気にしていないように、ハダレはポケットを探った。
「目の前にいるやつの考えてることが筒抜けってのもぞっとしない話だけどな、
ちょっとぐらいの危険でこんな血なまぐさいことをやりかねない爆弾もってるのも大変なんだよな」
――眼帯。紐と布切れの中間のようなそれは、くしゃくしゃになっている。
「興奮してる間は確かに何も感じてない。ひょっとしたら、楽しいのかもしれない。
――けど、いつかは興奮が抜けて、やったことのツケを払わなきゃならない。
こっち側に来るのが怖いのはな、元に戻るときが一番苦しいからなんだよ」
ウスライは刀を差し出したままのポーズでいる。
「オレには視えたんだよ。あんただって、似たようなもんだ。
どんなに後で惨めな思いをしようと、自分のためなら所詮他人なんてクソだと割り切れる。それが情けない。
だから今オレにやつあたりしてんだろ?
違うか、ミスター同族嫌悪」
「………………」
「認めたなら、これ。降ろしてもらえるか?
どうせオレをどうにかすることなんざ、考えちゃいないんだからな」
ハダレは――王者らしい――余裕の表情で、咽喉元に突きつけられた刃を示した。
先ほどと同じように掴み、軽く揺さぶった。
「…………」
「言っただろ、『視え』てるんだよ。恥ずかしがるなよ」
語尾をねっとりとまつわりつかせるような、からかい混じりの言葉に、ウスライは一瞬眉を顰めた――
まるで、卑猥な言葉を聴かされたかのような表情。
その一瞬後には、刀は鞘へと収められている。
軽蔑するようにウスライは背を向けた。
拒絶するように――しかしそれが同族嫌悪のせいだと自覚しているためか、見捨てて走り去ることもしない背中。
それを見ていたハダレの口から、ふと言葉が漏れた。
「さっき、さりげなく『死ね』って叫んでなかったか?あんた」
自信はなかったが、指摘した瞬間ウスライの背中が震えた。
(育ちがいいと嘘がつけないねー。大変素直でよろしい)
ハダレはふっと笑いながら続けた。
「罵るにしたって、もっと気の利いた言葉があるだろうよ。なんつぅありきたりな事叫んでんだよ……
――つか、あれ無意識か?普段のあんたじゃ、そんなことジョーダンでも言わなそうだもんなぁ」
ゆっくりとウスライが振り返った。
視線がゆっくりと合う。ひどく気が立っていることがそれでなくても知れた。
「何が言いたい」
ハダレは思った――ウスライは、更に青年がその『異』で読み取った真実を投げかけて、
男を傷つけようとしていると考えているのではないかと。
(残念。違うんだなぁ……まぁ、こっちが言い過ぎたせいなんだけど)
真実は真実でも、今まで投げかけてきた残酷なものではない、別の事柄を伝えるために、
ハダレは口を開いた。
「でもなぁ。
そーいう、獣じみたっつぅか?『異』より強くて残酷な凡人っつうか?
形振り構ってらんねぇって感じのあんたもすっげぇよかった。ああいうのを鬼気迫るって言うのかな。
良識ぶらないでさ、ギリギリの有りのままの姿ってのもカッコよかったよ。
――惚れ直しちゃったかも」
…………流石にぽかんと――いや、唖然としているウスライ。
「……………惚れ、直し、た……?」
聞き違いではないかと問い返してくる震える声に、ハダレはにやっと笑みを深めた。
わざとらしく聞き返す。
「んー?何ていった?ちゃんとあってるかどうか、聞き取れなかったんだけど」
ぐ、っとウスライが詰まった。
どこまでからかっているのか本気なのか、あるいは思い返すのも恐ろしいのか、その先が言えずにいるウスライ。
からかいがいがある、とハダレはその様子をニヤニヤしながら眺めていた――が。
じわりと忍び寄る疲労感に、ふと焦燥を覚える。
あと数十分もこの興奮は持続しない。
酒も薬も興奮も、切れた瞬間が一番の悪夢だ――後悔の宝箱だ。
特にこの惨状を果たして自分のまともな部分はうまく解釈できるだろうか?
ぼんやりと考えていると、ウスライの言葉が耳に入った。
なんとか、冷静さを取り戻したようだ。さんざん引っ掻き回したのは自分だが。
「血を流して着替えろ。終わったらここを出る」
「あんたは?もっと酷いみたいだけど」
「台所でいい」
「……ふん」
言うが否や血糊でべったりとした髪をキッチンの流しで洗い始める男を尻目に、
ハダレは浴室へと足を向けた。
――ふと、言うべきことを思いついて、血で汚れた服を脱ぎながら後ろの男に言葉をかけた。
「もう、ここ使わないよな?」
「……」
ばしゃばしゃと跳ねる水音の合間から、ああと答えが聞こえた気がした。
「汚していい?」
何で、とは言わなかった。
もうそれは咽喉の奥までせり上がってきていて、余計な言葉を一つでも増やせば、
その場でぶちまけてしまいそうだった。
「……好きにしろ」
ちょうど顔を上げたウスライが言うや否やハダレは浴室のドアを勢いよく閉め、
シャワーのコックをめちゃくちゃな勢いで回した。その先の音は聞かせたくなかった。
一瞬開きかけた『円』は、再び閉じられた。
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