代理戦争/最下層街編/転・出自/4


一方で、ウスライは突然の告白に呆然としていた。
相手は出会っていくらもたたない人間だ。国籍も人種もおそらく違う。育ちもまるで異なる。
そもそも相手は『異』だ。――いや、むしろそもそもハダレは男だ。
ここでその前提がひっくり返ればちょっとしたラブコメになるのだろうが、
いかんせん初日に服を這いで立派なイチモツだけでなく色々拝んでしまったのでそれだけはない。
……指を挿入したときの感覚には、そそられるものがないとは言わなかったが……
(いや問題はそこじゃないだろう)
ウスライは混乱の只中にあった。

数分間たったそのときも、まだハダレの言動が信じられずにウスライは自身の唇を指で掻いた。
ちょっと掠めた程度のそれは、なにもそれらしい痕跡を残していなかった。
このまま目を瞑って、目覚めたら何もなかったように接すればなかったことにできるだろう。
きっと気まずい思いを一瞬する。
だが、ハダレをどこかへ逃がしきってこの関係が終わりを迎え、
互いが次の目的地に向かって別々に歩き出せばもう永遠に顔を合わせることもない。
持ち出すこともできない、ちょっと腑に落ちない思い出のひとつになるだけ。
そのような思い出がひとつもないわけではない。
ハダレの幾人か前に護った『異』は娼婦として生きていた。
代理戦争に無理やり出されて、殴られ犯されるだけの見世物になろうとしたところを、たまたま救うことになった。
女はウスライに感謝した。――見返りとして、女は体を差し出そうとした。
ウスライはそれを断った。そのために護ったなどと思われるのは不快だった。
その、断ったときの女の表情。悲しそうな、印象的な伏せ目が、未だに忘れられない。
だがもうその女は遠いどこか外国にいる。もう会うことはない。
思い返すこと以外は、できない。

きっと、これもそのひとつにできる。

ふと傍らを見下ろすといつの間にかハダレは眠っていた。
やはりかなり疲れていたのか、少し身動きしてゆさぶってもおきそうにない。
同居している間にこの寝顔は見慣れたが、誰かとこのような距離で体を触れ合わせて眠ったことは、
故郷を出てこの務めに就いたときからなかった。
骨ばった体が何枚かの布を隔てて温もりと息遣いを伝えている。
自分より熱くも冷たくもない温度と、一定の、ゆっくりした人の身じろぎは、ウスライにとって意外なほど
不快でなかった。
そしてなにより、この緊迫した場においてもウスライに体を預けきっているハダレの雰囲気は、
他のどれよりも手放しがたい心地よさを含んでいた。

ウスライは指を伸ばして、ハダレを起こさないようにそっと髪に触れた。
それ自体に何か意味のある行為ではなかった。ただ、触れられるうちに触れておきたかった。
何度か撫でてもハダレはおきなかったので、ウスライは髪の間に指を差し込んで梳いた。
ハダレはわざわざ梳くほど長い髪をしていなかったが、そうされることを少なくとも拒否したことはない。

ぐっすりと寝入ったハダレはまったく触れられていることに気づいていない。
まったくの無防備に見える姿は、「最下層街の代理戦争を制覇した王者」としての雰囲気や風格など微塵もなかった。
(これが素なのかもしれないな)
十八歳の、どちらかというと背伸びよりも甘えるほうが好きな青年。
そう解釈するとこの姿も納得がいく。
家族と絶縁し、たった一人で最下層街で生きていくことになった孤児。
代理戦争を勝ち続けて、それを維持しなければならなくなった王者。
身を護るに足りるが、激しい苦悶を抱えなくてはならない『異』の保持者。
目が覚めていれば、どれかにしかなれない。眠っている限り、ハダレはどの立場でいなくてもいい。

自分にも覚えがあるとウスライは思った。故郷を出た直後、ハダレと同程度の年だったころ。
身を寄せる場所もなく、放浪しながらの任を負った刺客。
喜怒哀楽の薄さのせいで、内に抱く罪悪感を誰にも理解されることのない戦士。
持つことをどれだけ望んでも、絶対に発現することのない『異』の非保持者。
故郷を離れたせいか、長い旅そのもののせいか、それとも単に大人になったせいか。
いつしか、それをわざわざ理解されるために努力することをやめた。語ることも、反抗することも、思いやることも。
むしろそれらをねじ伏せ、自覚しないでいようとしていた。

(だから、見抜かれたかったのか?)

ハダレの寝顔を見下ろしながら、はっとウスライは息を呑んだ。
あまりに突飛な結論にとっさに心の中で否定した――が、己の中でさまざまな場所にそれは当てはまっていく。
ハダレと廃ビルで戦い、その『異』がどのようなものか分かってから――自分は何をしただろうか。ウスライは考えた。
倉庫につれて帰ったハダレが目を覚ました後、まずハダレを信用させるために、じっと眼を合わせた。
その後自分は、「いくらでも心を読めばいい」と言い放った。
また、ハダレに経緯を説明しているときも半ば捨て鉢で思考を読めと言った。
そして昨日――ついに無遠慮に心に踏み入ってきたハダレに、反感と不満をぶちまけた。
理解されようとすることのなかった思いを、すべて口に出した。
それでいて不愉快かといえば、確かにその場では殺意を抱くほどの激しい感情を抱いたが、
今はむしろすっきりしたような奇妙な気分で満たされている。

ウスライはハダレの寝顔から視線を上げ、天井の穴を通して夜空を見上げた。
昼間よりもひやりとした風に頬を撫でられながら、
その結論を数度反駁した――じわりじわりと、それが実感を増していくのを感じる。
片手に抱いたそれが、手放しがたさを増していくのも、ともに。


適当においていた荷物を押しやり、ウスライは刀を置いた。
無用心の極みだが、これからすることにそれは必要ではない。
本気で寝入りもたれかかっているハダレを起こさないように体の向きを変えると、
暗闇の中で彼の体に手を回した。抱きしめるというには足りない、中途半端な抱擁。
いつか終わる関係への、ほんの少しの抵抗だった。
――それか、ハダレが求めているであろう関係への、ためらいをあらわしていた。
自身の今までの性的嗜好とかけ離れた相手を、信頼という理由からいきなり愛することは、ウスライには難しかった。
更に、ウスライは今は故郷を離れていても永久に捨てたわけではない。
いつか任務を果たし、帰る日が来るときまで、故郷での立場と掟には縛られたままだ。
たとえ彼がハダレと共にいることを受け入れるとしても、
故郷に帰れば、彼は一族をおさめる立場へ限りなく近い家系の男子に戻る。
その中でハダレを恋人として連れ帰れば、ウスライだけでなくハダレが糾弾されることになる。
それは余りにも哀れだ。あのがんじがらめの場所へ、自由を望むハダレを連れて行ってはならない。
かといって、故郷を捨てられるほど愛情がないわけではない。ハダレが臨む答えはとうていやれそうになかった。

だが一方で、自らでさえ無視しかけていた本心を打ち抜かれた感謝が、普段にはない大胆な行動を取らせていた。
刀を置いて自由になった片腕を伸ばしてハダレの頬に触れ、殴ってしまったことを無言で謝罪すると、
そのまま指で眼帯をなぞった。
布を適当に縫ってそれらしくしただけの眼帯は、意外な厚みがあった。遮光性を高くしているようだ。
機能的といえば機能的だがハダレらしい素っ気無さに目を細めながら、
その上から『異』を宿した部分に触れた。
瞼の皮膚と、眼帯越しに触れる小さな球体。深い眠りのせいかそれはまったく動いていない。
すると、
「……ん」
ハダレが嫌がるように顔を動かした。
一瞬起きてしまったかとひやりとするが、それだけの反応だった。

どきどきと高鳴る鼓動を押さえていると、なんだかウスライは自分が犯罪を犯しているような気分になってきた。
それも、痴漢行為のようなひどく情けない類の犯罪だ。
(触っているのは目なんだが)
なぜか服越しに体を撫で回しているのと同じレベルではないかと思えてくる。
確かにその部分はいつも布で隠されていて、めったに人が触る部分ではないが。
ウスライはもう一度そこに触れた。
今度はそこでとどまらず、そっと指を差し込んで眼帯をめくり上げる。
左と同じような、傷のない瞼が寝息とともに少しだけ動いている。
穏やかな光景だった。その下には世界中の人間が振り回された組織が収まっているというのに。

(俺は、……感謝している。ハダレ)
口には出さずにウスライは告げた。
(昨日「同じだ」と言われた時は認めることができなかった。知らなかったから。
 お前の苦境も、俺の甘さも、どうしてお前がそんなに俺との共通点を見出したがったのかも。
 お前は、…………俺を好いていてくれたのか)
ハダレはもちろん、寝入っていて返答しない。だが、ウスライには確信があった。
(今なら俺は、同意できる。お前は、俺が出会ったことがないほど俺を理解できる可能性がある人間だ)
「…………」
(だが、俺はお前をそういった対象に選べない)
ウスライの胸が重苦しく痛んだ。
ハダレを抱き寄せているほうの腕に、それをこらえるかのような力がこもった。
顔を寄せて、まるでひとつに溶け込もうとするかのように、抱きしめる。
(そうしない方が、お前にとってもいい。
 二度と『異』を発揮しなくても生きていける穏やかな国で、幸せを掴め。そこまで俺が送っていく)
同意するように、ハダレの首輪と鎖が揺れた。
ウスライが見ていた限り、ハダレが眼帯と同じくらいはずすことの少なかったアクセサリー。
それに後押しされるように、ウスライは顔を寄せて、唇だけでつぶやいた。
(ハダレ。ありがとう)

ウスライはハダレがしたように、掠めるような口付けをした。
――眼帯が隠していた、右眼に。
唇と唇を合わせるのは気が引けた。そういった対象に選べないといった以上、それはできない。
時に乱暴で強引に、ただし正確にウスライの心の底を見抜いてくれたその瞳に、
今までしたどれよりも真摯で想いのこもった口付けを落とすと、ウスライはめくりあげていた眼帯を下ろした。
布越しにもう一度、名残惜しむように押さえると、
後は何事もなかったかのように体勢を戻して荷物を引き寄せた。刀を掴みなおし、瞼を閉じて薄い眠りに入る。

ハダレはついに眼を覚まさなかった。
一生、このようなことがあったとは知らずに生きていくのだろう。
それでも、彼がどこか遠い新天地ですごすのに不都合にならないなら、そちらのほうがいい。
そちらのほうが、いい。



ふと、2階の一室に住み着いた男は、不審な物音を聞いて目を覚ました。聞いたことの無い靴音だ。
また何処かの馬鹿が乗り込んできやがったか、と息巻きながらナイフを片手に外を伺う。
すると、外に本当に見たことの無い男が歩いているのが見えた。
全身を拘束具のような奇抜な服装に身を包んだ、本当に奇妙な男だった。
背は高くない。横幅も太くない。作り物のような、綺麗な造形の身体をしている。
そして――茶色交じりの赤毛で青灰色の瞳の、年の頃22、3の若い男――

そこまで確認した所で、彼は絶命した。ぐしゃっと力任せに潰されて、悲惨な最期を遂げる。
一方侵入者は殺した相手ではなく、階上にもっぱらの興味があるようだった。
ぶつぶつと、なにかうわ言のように唱えながらふらふらと階段を上っていく。
時折人と出会うと、容赦なく殺す。隠蔽というほど隠蔽はせず、ひたすら無視して上に上り続ける。
まるで、上の階に行きさえすれば求めるものがあるというように。
男は、確実に目的に近付いていく。

屋上ではどうあっても相容れない二人が、眠っている。
肩を寄せ合い、寄りかかりあって、まるで兄弟か恋人のように。



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