王を玉座から引き摺り下ろすのは、有能な暗殺者でも冷酷な裏切り者でもない
――斬首の瞬間すら娯楽にする、民衆達だ。
綺麗に磨き上げられた廊下で、組織の若者達は世間話をしていた。
世間話といっても、天気だの経済だのの話ではなく――どこの売春宿の女がかわいかっただの、
具合が良かっただの、口での奉仕が上手かっただのと低俗極まりない会話だ。
時折行きかう、若者達より更に下位の者や清掃員などがこっそりと眉をしかめる中、
飽きもせずに性の話題を続ける彼らの神経の図太さたるや、
流石最下層街の出身と言ったところか、或いは単に年齢の所為か。
ときおり意味もなく湧き上がる爆笑や手を叩く音が、まっすぐ伸びる廊下を木霊して遠くまで届く。
遠く、遠く響き渡ってようやく音が命を終える辺りの扉が開いた。
踏み出す足音は二つ。高く澄んだ優雅な足音と、少し床を引き摺るような柔らかい足音。
その足音の二重奏が、今度は若者達の方へと木霊していく。
その足音に最初に気づいたのは、誰だっただろうか。
バカ騒ぎに紛れ込んだその微かな音は、確実に若者達が姿勢を正すのを遅れさせた。
ふと、一人の青年が怯えたように向かいにいた若者の後ろを見透かした――と思った瞬間、
豚肉の塊を床に落としたような音を立てて、わかものが壁に叩きつけられた。
「ぁ、っ……!」
「通行の邪魔ですよぉ」
若者達が衝撃に引き攣る中、ひょこんと顔を出してたしなめたのは――拘束男だった。
その後にはカギロイもいる。
「もっ……申し訳ありませんッ!」
正に近年稀に見る失態を犯した若者達は漣のように道の脇へと退き、道を譲った。
通り過ぎた2人は、幸いにも顔色はそう悪くない。
機嫌が良かった時で、本当に良かった――と若者達は安堵して、既に様態も危うい友人へ駆け寄った。
「処分はいかがしますかぁ?」
通り過ぎて暫くしてから――拘束男が、なんでもない調子でカギロイに話しかけた。
「誰の処分だ?」
「今のおばかさん達のですよぉ。仕事をサボって廊下でどーでもいい話して進路妨害ですよ?
骨の一本や二本、コキャっとやってもいいと思いますけど」
「……むしろお前の判断基準のほうが納得できないが……」
何か、未知のものを見るような目をしてカギロイは呟いた。だが気味悪くは思わない。むしろ可愛げがある。
自分が仕込んだにしろ、拘束男にとっての唯一のマスターはカギロイだ。
どこか抜けたようなおだやかな笑みとは裏腹に、その思考回路は
『カギロイの敵は自分の敵、逆らうものは焦土にひれ伏せ』――この調子なのだ。
さらに言うなら、それを実行できるだけの力を持つ『異』だからまたすごい。
だが、一方で常識を心得え、頭も良く、嘘偽り無く心身の奥底から慕ってくれるものを厭わしく思うだろうか?
カギロイはふっと前を向いて、軽く首を振って答えた。
「考えなくて良いし、やるとしてもお前にはさせない。まだ左腕が痛むのだろう?それに……」
「それに?」
カギロイはまた軽く頭を振って、拘束男の疑問の声には応えずに歩を進めた。
まさか、先にネタばらししてしまっては面白くないだろう――
自分が意外と彼らに腹を立てていて、仕事が済み次第拘束男を『また』痛めつけて発散させようとしているなどと。
拘束男は小首を傾げながらも、しつこく問いただすことはしなかった。
素直に後をついて歩きながら襟や服の具合を直すことに砕身する。
――そのちらちらと見える素肌のそこここに、青痣や縄目が覗いているのを気にして。
ばたん、と大きな音を立ててその扉が開いた時――部屋は完全な無音だった。
それで全ての様子が把握できたというのは大げさだが、
少なくともそこに幽閉されていた人物がどうなっているかはおおむね分かった。
「…………意識、薄いですね。惜しい」
何が惜しいのかと言えば、その人物が発狂せんばかりによがる様が見れないことが惜しいのだろう。
文脈からしても当たり前と言えば当たり前のことを思い浮かべながら、カギロイは鉄の枠を見下ろした。
ハダレ、といったか。齢は18と聞いている。
ぐったりと伸びた手足は汗ばみ、無機質なライトに照らされて白とオレンジと影の三色が目に眩しい。
白い器具に性感の中枢を捏ねられて肢体をくねらせる時の艶かしさが容易に想像できる。
一方で顔は涙や涎、果ては鉄の枠に擦れたのか、擦り傷から滲む血が乾いて肌を覆っていた。
そして腹を中心に、胸元まで精液で汚した姿は実に惨めで、扇情的だ。
――本当に、扇情的だ。
「……好みですかぁ?」
拘束男の声で、カギロイは顔を上げた。声音に、ありありと拗ねた様な色が滲んでいる。
ふん、と小さく笑ってカギロイが応えた。
「そうだな…発注が無ければ欲しいところだ。お前と似ているからかな」
奴隷は、何も答えなかった。小さく肩をすくめ、その代わりに次の指示を仰いだ。
「気付け代わりに、それを引き抜いてやれ。その後……そうだな、傷つけずに拡張して舞台に備える」
「舞台」
拘束男が繰り返した。聞きなれない異国の言葉を、聞こえたままに口にしたような調子で。
「彼を、舞台に上げるんですかぁ?相手は誰です?」
「お前と、私のどちらかに勝てば解放してやるという条件でやる。
どう考えても分の悪い勝負だろうが、乗ってこないわけに行かない。
実質の利益を考えても、没落したとはいえ――鉄壁の王者の威信に懸けても、な」
穏やかな――それを越えて優雅な微笑が、カギロイの口元の片端を吊り上げてにやりとした笑いに変わる。
つられたように、拘束男の隠された口元もきゅっと上がる。――想像するだけで、欲が熱く滾る。
地図。金。食料。壊れかけのペン。布きれ。少量の医療道具。その他、諸々。
昔は破れ目ひとつなく、今はずだ袋にも近い鞄にそれらを詰め込み、動きやすさ重視の服を着込む。
あとは夢と希望でもあれば『自分探し』の旅にでもなるのだろうが、生憎そんなものは無い。
痛む身体を目的のためだけに追い遣らねばならない。
例え、現実と失望が背骨を砕きそうなほど重くても。
ウスライは廃墟の街を進んでいた。
本当は早足でいきたいが、足場が悪く脇腹に響くのでゆっくりも行きたい。結局、中間を取って普通の早さに落ち着く。
固定帯で抑えられた胸部が少し苦しく、肩も動かし辛い。相変わらず、左腕が自由にならない。
出来ることなら歩きたくない。
兄の追討の命を受け、故郷を離れ都市の各層を放浪すること暫く。
その間、厳しく厭らしいと思っていた家が霞むほどの様々な目に逢い、図太くなっていたつもりだった。
しかし例の医者は『その程度の傷、歩けるんだから擦り傷と違わない。軟弱者めが』と言う。
(……あいつは、そうなんだろう。耐えられる)
ふと青年のことを思い返すが、痛みは無い。痛覚が麻痺するほどの哀しみを感じているからなのか、
――それとももう彼に関しての記憶が過去の痛みとして処理されているからなのか。
(無理矢理歩き回ることを美徳だと思わせる環境だしな。
実際傷を負った所で誰が心配するわけでもない。だから……)
だから、自分の半ば偽りの事務的な介護になびいたのだろう。一種の策に嵌った、といったところか。
頭を撫でられると非常な安堵を得ると言うことを発見してから、その傾向は特に強まった。
最後にはなんとも初々しい口付けを仕掛けてきた。
鉄壁の王者が微笑ましくみえるほどの拙さが、新鮮だった。
その唇の感触が薄れつつあるのは、思い出したくないのか、忘れてしまったのか。微妙なところだ。
なんにせよ、ウスライは歩いていた。目的の為に。
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