代理戦争/最下層街編/結・発覚/4


「ッ、っ……!」
見守っていたハダレが、思わず目をそむけた。その耳に――ゴキ、という硬いものを砕く音が届く。
――再び目を開けたときには、ウスライが完全に左腕を刀から離していた。その足元には血溜りが出来ている。
思わず駆け寄ろうと腰を浮かすと、今度は拘束男がハダレの足首を掴んで引き止める。
「何邪魔してんだよ!あいつ殺されちゃうじゃん!離せっての!」
ハダレはかっとなって怒鳴りつけた。が、それで驚くほどの度量ならば拘束男は彼をわざわざ引きとめはしない。
(君が行ってどうにかなるの?……ご主人様は君を殺さないけれど、君に勝った弟さんより強いんだよ)
視線で――同じ、思考を読むという『異』を相手に使わせて目線だけで会話をする。
思ったとおり、青年は後先など考えていなかった。呆れたように、視線で責める。が、
ぎぃん!と、かつてなく鋭い金属音が二人の元へも届いた。はっとなって、ハダレが振り返る。
――そこには、胸元に程近い距離にあるカギロイの刃を、ウスライが受け止めた姿で静止していた。
一見持ちこたえているように見せかけて、状況は最悪だ。
ウスライの右手には筋肉の隆起がありありと見て取れる。二本の刀の間には震えが生じ、ちりちりと音を立てている。
その震えのせいで、今にも刃がずれてウスライを傷つけそうに見えた。実際そうなのだろうが。
その光景を見て、ハダレの鳩尾辺りがつんと痛くなった。頭が真っ白になって、思わず腰を浮かしかけ、
「……ッだから、邪魔すんなって…!!あいつ死なせたくないんだ、頼むよ!」
また拘束男に足を引っ張られて止められた。苛立ちの余り体液が沸騰しそうだ。
が、拘束男はあくまでも落ち着いていて――そして、意外な事を言った。
(……そこまで助けたいんだったら、いい事教えてあげようか)
「いらねえよっ、いらねーから早く……!」
(それが、君の『異』の使い方――だとしても?

「………は、……?」
ハダレが罵声を上げようと吸い込んだ空気――それが、あっけなく鼻から抜けた。
(君の『異』の使い方はむちゃくちゃな我流に過ぎない。って言うより、振り回されてるだけ。
 付け焼刃にしてもその使い方を実践できれば――少なくとも、恍惚におぼれて犬死することはなくなるかもね。
 ご主人様に勝てるかどうかは別だろうけど)
「………………………意味、わかんねぇし」
妙に真剣な拘束男の視線に圧されるように話を聞いてしまったが、ハダレは困惑したように首を振った。
(……あんたの話が本当か役に立つのかも信用ならんし、………大体何でそんな敵に塩を送るようなマネ……)
(俺はご主人様が負けるわけないって信じてる。だから教える。
 より強い絶望を味わわなければ君の精神は折れそうにないし、
 ――もしこれが時間稼ぎになっていたら、もっと面白いことになっていただろうしね)
その言葉にぞっとして、慌てて振り返る。――大丈夫。まだ、ウスライは持ちこたえている。
「……ッ…」
拘束男を思わず殴りつけたくなって――吐息と共に力を抜く。
殴るまでもなく、この男はもうすぐ死ぬ。そう思うと、腹も立てようがなかった。
拘束男はどこか可笑しそうにハダレを視た。
(冗談だよ。……それに、『異』の使い方は本当だよ。君とそう体格の違わない俺が君より強いのか、それが理由なんだ。
 まぁ、聞いてみれば大したことじゃないのかもしれないけどね。――どうする?)
ハダレはじっと男を見つめた。男もハダレをじっと見つめた。お互いの眼で探りあうのではなく、純粋に。
そして――ハダレは答えた。
(………………死なせたく、ないんだ。聞かせてくれよ。オレの『異』の使い方)
拘束男の反応はなかった。怪訝に思って肩を掴もうとした瞬間、
「……………………?」
ぽつりと、ほんの少しの情報がその眼に飛び込んできた。嘘のように、情報は少なかった。
「……そんな事で……そんなつまんない事で…『異』が?」
(………本当にちっちゃい事。ていうか、そもそもその為に『異』は生まれて、残されてきたはずなのにね……)
そこまで伝えかけて、拘束男は小さく咳き込んだ。血の混じった唾がハダレの服に飛ぶ。
はっとして、ハダレの眼差しがその血の雫の行方を追う。
そのどさくさに紛れるように――一瞬だけ、拘束男が目を逸らす。

(…………でも、それを実践するのは大変だよ。だって、そんなこと意識したことなかったでしょ?)
敵とはいえ瀕死の人間を前にして、思わずその名を呼んで揺さぶろうとするハダレに――拘束男は告げた。
(甘ちゃんなんだから……ほら、どこまでご主人様相手に頑張れるか視ててあげるから――行っておいで。ハダレ)
その優し気な視線に、逆に耐えかねたようにハダレが目を逸らした。
同じだ、と思った。
(泣き虫なんだから……ほら、見ないでいてあげるから――泣いて良いよ。ハダレ)
けれど、もうあの人が戻ってくることはない。
姿かたちは同じでも、もう中身はほかの人に奪われてしまった。
大切に仕舞っておいた記憶と同じ視線がそこにあったが、それ故にもう元には戻れないと思い知らされる。

ハダレは疲労の残る体を無理矢理持ち上げた。
――眼を瞑り、たった今ササメから伝聞したことを反芻する。大した事ではない。少し視点を変えるだけ。

今まで描いていた、自分一人を収める『円』。それを描きかえるイメージ。
その中から見る『円』の外の世界は、常に自分に棘を向けているように見えた。
太いもの、長いもの、鉤のように逆棘がついたもの。毒に濡れ光るものもあったかもしれない。
それらを避けるために『円』を維持し続けていた。そうせねば、この体が、心がずたずたになってしまう。
だが、何も抵抗せずに引き裂かれ、ぼろのように捨てられるのは耐えられなかった。
我慢できなかった。自分が自分であることを継続する権利はハダレにもあるはずだった。
だから、ハダレは『円』を踏み越えたものを容赦なく屠ってきた。
しかしもう事情は変わった。
いまや自分自身が傷つけられるのと同じように、傷つけられるのが耐えられない相手がいた。
その相手が傷つくこと自体に耐えられないのか、
相手が傷ついたことで自分が耐えられない心持に突き落とされる事が耐えられないのか、
判断がつかなかったがどちらにせよ結論は変わらなかった。
ハダレは自ら『円』を踏み越え、外に出る。
細かい棘がばりばりと肌を掻く中、ハダレは『円』の中へ、今度は相手の面影を導きいれた。
自らの『円』越しに見る相手の面影はひどくいとおしく、だが確実にそこに存在を感じさせる。
実在するのは心の中でなくても、負けられないという思いが強くなっていく。
ただ自らを守るためではなく、自らが愛したものを守ることで自らを守る。
――それが、拘束男の伝えたハダレの『異』の使い方だった。

そして、自分に宿るというもう一つの『異』も薄く意識しつつ、――眼を開ける。
再び眼にした景色は、変わっているべくもない。
そこまで自分は壮大な何かを託されたわけではない。自分は自分以上ではない。
ただそこに、相手の面影を抱えたままの自分が居るという事実が心地よい重みとなって全身に感じられた。
――ハダレは、走り出した。振り返ることはしなかった。
残された者は力のない眼を、残したものに向けて見守っていた。



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