代理戦争/最下層街編/結・放棄/1


ぴん、と。
カギロイはなんともいえない予感を感じてその場を飛びのいた。その瞬間、
「ちっ!」
舌打ちと共に、対峙していたウスライの目に焼きついたカギロイの残像を引き裂くような蹴りが空を切った。
ひゅご、と正に大気を切断するような鋭さを帯びた脚を避けたカギロイは、そのまま体勢を立て直すつもりで数歩下がる。
が。
「避・け・る・なぁあああああ!」
なんかすごい無茶なことを叫びながら鬱憤を晴らすかのように攻撃を仕掛けてくるハダレに、更に2・3歩と押し返される。
一撃一撃は調教に弱った身体らしくどうと言うほどでもないが、その素早さ・正確さは尋常ではない。
まるで、カギロイの行く先・速さ・目的、全てが見透かされているかのように――
「っ…ふっ!」
一瞬嫌な予想が脳裏をよぎり、カギロイは至近距離のハダレに向かって刃を振り下ろした。
攻撃のために踏み込もうとしているその男は、驚いた顔を見せた――こちら(刀)の切り返しの速さを知らないのだろう。
調子に乗って間合いに踏み込んできたその奴隷素材を、死なさない程度の角度で刃を止めよう。そう思って――

――完璧に、避けられた。
ウスライでさえ見止める事の出来なかった、あの小さな刃さえ当たらない。

驚愕以上に、予想が当たった――
ハダレが自身と同じ『異』を持つことを、むざむざ証明させてしまった苦さに、口元が歪む。
「材料風情が!」
唾を吐き掛けたいような心地で、カギロイは脚を突き出した。攻撃を避けたばかりのハダレの体が、不安定に傾ぐ。
――そこに、カギロイの刀の柄の部分が横凪に襲った。限界まで軽量化されたハダレの体が吹き飛ぶ。
頬か。こめかみか。当たった場所を確かめるよりも速く――
今度はウスライの斬撃が、降る。
しかしカギロイは驚きながらもそれを正確に流し、逆に右腕だけの斬撃によって偏った守りを崩そうと、踏み込む。
そして同時に、揺さぶりをも掛ける。隙は見つけるのではなく――作り出すものだ。
「……2対1に、こうして持ち込むためだったのか?」
「何…が、です?」
まるで扱っているのは稽古用の木刀か何かだというように、気楽な口調で語りかけるカギロイ。
一方、二つの――或いは四つの命をそのまま背負わされたような、緊張した蒼白な顔で応えるウスライ。
その蒼白さをせめて暖めてやろうとでも言うように。カギロイは、毒を吐いた。
「客席で。舞台に上がるタイミングを計る為に、始終見ていたんだろう?
 お前の大事なあれが苦痛の末に犯されるのもしっかりとな。レイプシーンは興奮したか?」

きん、と。奇妙なほど静かな剣戟の音が鳴った。が、聞こえなかった分の『音』がびりびりと周囲を震わせる。
限りなく精密に刃の筋と力を合わせた、試技であれば芸術的とさえいえる業。だが殺意の元で、それは兇器となる。
「……っ………血を吐く思いだった…………興奮など……」
誰が――――と呼気に言葉を乗せて、更に一撃を振るう。カギロイの頭髪が数本、はらりとリングに落ちる。
その些細な攻撃の成果に、ウスライは訳もなく確信を得た。いける。
返す刀で、袈裟懸けに切り下ろそうと右腕に力を込める。
刀が僅かに軌道を描き始めた。スローモーションで再生しているように、ゆるりとした動きに見える。
兄に止めを刺すという印象的な場面だからだろうか――ウスライには、そう思えた。

だが、刀が兄の服に触れるか否かの頃には、っとした。兄の瞳は刀を見ている。否……視ている。
その黒い瞳が。『異』を宿した瞳が。
『異』――ハダレとは対照的に、無機物の力学的運動を寸分たがわずに目測するそれが。
最小限の動きで、武器を扱い、或いは避けるための『異』が、
その一撃を流れるようにカギロイから避けさせた。そして、大振りの一撃を避けられたウスライに、隙を作らせる。
生まれた隙に――がら空きの正中を、ウスライの『止め』を真似る様に袈裟懸けに斬り捨てようと、カギロイが滑り込む。
ウスライが刀を更に返す。間に合わないと知っていても。
――否、もしかしたら本気で間に合うとでも思っているのかもしれない。
持たざるものの足掻き。劣等感に悩み続けたものの、最後の醜態。跡取りにもなれぬ出来損ないの最期。
ウスライは最期まで刀を振りぬくつもりだった。たとえ、結果として間にあわないことが分かっていても。
一瞬一瞬をさらに砕いた一時ひとときを死に向かいながら、それでもウスライは退かなかった。

まだ死ねない。まだ、自分は生きていないければならない。
もともと希望はもっていなかったけれど、ここで死ぬのは我慢ならない。まだ果たしていない目的がある。
強い悔しさが脳裏によぎったとき、ふと目の前の赤毛の青年のことがその悔しさを押しのけた。
(……)
(……俺は、まだハダレに応えていない)
どのような形にせよ、いずれこの一件は終わりを迎える。
解決するか、当事者の失踪によってうやむやになるかはさておいて、
そのときまでに何か彼には答えを返さなくてはならないと思っていた。
受け入れることはできなかったし、今も完全にはできていない。だが、あの短い日々の間に自分は変わってしまった。
誰にも話したことのない思いを打ち明け、逆に『異』としての苦しみの存在を知った。
ついでに言えば、かつてないほど素直で直接心を揺さぶる好意を寄せられた。
(叶うならば……もう一度会いたかった。やっとこちらの心が固まったのに)
だが、もう引き返せない。
ウスライの刀を避けるには距離が近すぎ、切り返すには遅すぎた。
死ね、と。カギロイが呟く。呼気だけで。あくまでも目許は優雅に。唇には、征服の歓喜を湛えて。

――その呟きをかき消すように、誰かが叫んだ。泣きそうな、縋るような……
それでいて、叱るような、鮮烈な声で。
「死ぬな」と。



唐突に、カギロイが振り返った。一瞬遅れて、咄嗟、というような粗雑な動きで利き手の逆に握った刃物で背後を凪ぐ。
その拍子にウスライの命を奪うはずの太刀筋さえ鈍り、間に合わないはずの切り返しが間に合ってしまった。
間抜な音を立てて、2本の刀が弾きあう。
が、カギロイはウスライの方に向き直りもしない。
客がどよめく。ウスライも動揺していた。一体何が起こったのか――弾んだ息が、思考を乱す。分からない。
不自然に背後を振り返ったまま、兄は沈黙を保ち――不意に、崩れ落ちた。
その、崩れ落ちた兄の影から羽化するように。
顔面の右半分を血に染め、右手を奇妙に歪ませたハダレが、立っていた。



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