深いため息をついたウスライに、男は何か言いたげにしていたが結局口を噤んだらしい。噤んだ口からつられたのかため息をもらすのを待ってから、ウスライが先を促すように問いかけた。
「お前は唯一遺言を知る者だったわけだな。脅しや取引を持ちかけられたりは?」
「……残念ながら、それはありませんでした」
不審そうに眉を寄せるウスライに、男は自嘲しながらも、目の前の相手を責めるような口調でつぶやいた。
「私が奴隷だからという以前にあの方の死亡が確認されたとき私もまた虫の息で、絶望視されていたんです。
だから、早急にあの方を処分してしまえば私が後々息を吹き返しても何も言えないだろうと行動した輩がいたので」
「……」
男が右手でそっと胸元を探った。そこには分厚くとんでもなく大きなガーゼと、包帯が幾重にも巻かれているのが上着の隙間から見える。
――ウスライが、その手で刺し"殺した"跡だった。その凶器もこの場にあった。黒づくめの男が左の腰に差しているそれ――まぎれもなく、数週間前に目の前の男を刺し通し、一時昏睡まで追い込んだものだ。
ただし、と男は続けた。ウスライが男の『異』に対して有効な策を使って一撃を浴びせたものの、慣れない行動をはさんだためにわずかに狙いがそれ、即死を免れる傷を与えたのだろうと。冷静に判断する男の目には、いつの間にか悲壮さが漂っていた。
「本当にびっくりしましたよ。あの時は。このひとはどんな魔法をつかったんだろうって」
「大した方法じゃない。お前の戦い方を逆手に取った」
どうやら、こちらの話も相手からすれば驚きの連続らしい。
男の驚きの表情を隠しきれない様子が、隻眼の青年を連想させた。
「……あなたは化け物ですか?」
「考えたといっても、ゼロから考えたわけがない。この刀がお前に破壊された時東方士族と連絡を取った。
眼に宿る『異』の対峙法についての情報をもらった事と、
ほかでもないハダレから聞いた『異』の性質をすり合わせた術が活きた」
「根っからの戦士なんですね。あなたは」
驚きを通り越してあきれ返ったような調子で男が言った。
その後に続けそうな言葉が予想された――ウスライは、なんとなくそれを口にした。
「似ていないだろう」
「……ですね。あの方はどう考えても支配者体質だし、あなたは違う」
男が目を落とした。カギロイを指す単語を吐くたびに、瞳がかすかに緩むように見える。
ただし、ウスライを改めてみやるときにはその緩みが複雑に翳った。
「そんなあの方の末路を話して差し上げますよ」
男はまっすぐに黒づくめを見つめたまま、悲愴な瞳の笑顔で言った。
「私が四日後に目覚めたとき、あの方は死因の特定という名目で行われた解剖で、
全身を切り刻まれて病院の地下室に保存されていたんですよ」
「…………」
弟は微動だにしなかった。かすかに憐れむような――男をだろうか、その主をかはわからないが――奇妙な歪みを浮かべていたが、それだけだった。だが元奴隷にはその揺らぎがはっきりと見えていた。
「……実際に目にした私の絶望が分かりますか。ねぇ。
私だけが生き残っても何の意味もないのに私を置いて行っただけでなくて、
てっきり豪勢な葬式を出してもらっていると思っていたら、あの方は誰にも悼まれることなくモノ扱いされていたんですよ」
波立った水面をかき回すように、ゆっくりと男は言葉を放つ。
「肝臓だけ、つぶれたみたいになってて……それが死因だって記録されてて。
目はとても大事に保管されてました。これから中央に送られるはずだったんでしょうね、何重もの梱包をされていましたっけ。
そう、私は"見た"だけ。最後にヒトの形をしたあの方と会うことすらできなかった」
「……」
「私は監視の目を盗んで保管庫に入ったことも忘れて泣きました。
……いえ、泣いたというのはウソでしょうね。気がついたら、涙が出ていたんです。
あの方がたくさん浮いた瓶を前に、ひざまづいて……
涙って、思いのほか枯れないものなんですね。しばらく何も考えずにそこにいました」
「………それで」
先を促すウスライに、さすがに唇を震わせた男が言葉を見つけて紡ぎだす。
「涙が……枯れる前に、そう、監視に見つかってしまって。
でもここで引き下がったら二度とこの方には会えないだろう、そう思って……何人も犠牲にして、私はその場を逃れました。
あの方とともに」
「厳重な監視をどうやって」
「むしろ、あの方を人質にしたんです。
私をここから出さないとこの瓶を全部この場でぶちまけて台無しにするぞ!なんて言って。
……結果的に銃で狙われてしまったので、本当にあの方を盾にして逃げたんですが。
あんな大暴れは生涯でもうすることもないでしょうね」
ふと。
男は言葉を止めて、数枚の紙をウスライに渡した。コピーされた書類のようなものに、リストが何列も並んでいた。
「……これは」
「あの方の肉体が何というパーツに分けられ、サンプルナンバーはいくつか、
全てまとめられたリストなんです。保管室にあったものです。
さすがに最初に持ち出せたものは半数もなかったんですが、
後々輸送の際に人を雇ったり自分でおさえて、この2週間でコンプリートしたんです」
"全ては遺言のために"と、男は言葉を付け加えた。
「遺伝情報に関するデータの類は手つかずで、院内のパソコンにはありましたが 中央へ送信された履歴はありませんでした。
……ある程度研究するまでは彼らも他人に渡したくなかったのでしょうね。それが功を奏しました。
まぁ、データをコピーされたものがないとも限りませんから……それはあなた方にお願いしたいところです」
「単独でそこまでできたことが驚きだ」
ウスライの驚きを読み取ったのか、かすかに純粋な笑みを増した男がいう。
「それが出来ると見込まれたから、私はここにいるのでしょうね」
少し上がった口角。その下に形良い顎があり、首が生白く闇に浮かんでいる。
その外周を戒めるように固い革製の首輪が輪を描いている。
長く話したためか――それ以外の要因でか、ほんの少しだけ肩が上下している。
「正直、私も限界なんです。大暴れしたはいいんですけど、体の方はどうにも
…………泣き言は言いたくないんですけど、私が満足に戦える日はもう数が限られているでしょうね。
だから手に入れたサンプルの多くは火葬して……あなたの手を介して、
故郷にあの方を帰していただければ一番いいと思いました」
「……その信頼に足る証として添えたのが、これか」
ウスライはゆっくりと右手を開いて見せた。男ははっきりとそれを見て、確認するように頷いた。
楕円形で、中心に穴のあいた金属片。最下層街の誰に聞いてもそれが何なのか答えられる人間は彼らしかいないだろう。なぜなら、まず彼らしか持ちえないものだからである。そのモノ自体は特に大切なものではない。ただし、それは大切な物の部品だった。
――――もう千年も前に誇りも何もかも失ったというのに。東方士族と名乗る『異』の集団が未だに魂の象徴として大切にしているもの。
刀の鍔だった。
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