アストラウル戦記

 いつも気難しい顔をしている第三王子、フィルベントのそばに常に寄り添うように白皙の美青年がいて、高級住宅の並ぶプティ市のアリアドネラ伯爵の子息だということ、そして彼を新しい恋人として受け入れた第三王子の醜聞が水面化であっという間に伝わっていった。
 アストラウル王家の血脈を継ぎ、第一王妃でもあるサニーラは、第二王妃の息子エウリルの婚儀を前に広まった我が息子の醜聞にも冷静に対していた。
「…ダッタン市の下級役人の家に生まれ、上官の援助と奨学金を受けてナレオトル大学へ進学、その後、院在学中に優秀な成績を認められてアリアドネラ伯爵の養子となり…」
「もういいわ」
 調査書を読み上げていた侍従の言葉を遮ると、サニーラは手に持っていた羽扇をテーブルに置いた。声には抑揚がなく、穏やかだった。いかがいたしましょう。侍従が調査書を折り畳みながら尋ねると、サニーラはもういいと言ったでしょうと答えた。
 周囲の目を気にすることなく、フリレーテをそばに侍らせるフィルベントの目には何も映っていないかのように見えた。それを遠目で眺めながら、王太子アントニアは苦笑してローレンに言った。
「フィルベントに先を越されてしまったな。あれは私も知っていたんだ」
「戯れも大概になさって下さい、お兄さま。王太子の醜聞など目も当てられませんよ」
 呆れたようにローレンが答えると、テラスから庭にいるフリレーテとフィルベントの様子を眺めていたアントニアは笑った。弟の婚儀の前日に、兄の醜聞とはね。目を細めたアントニアの元へ、侍女に連れられた三歳ぐらいの少女が歩いてきて優雅にお辞儀をした。
「おじさま、おひさしぶりでございます」
「マレーナ! もう着いたのか。早いな」
 アントニアの隣にいたローレンが、相好を崩してマレーナを後ろから抱き上げた。おじさまへの挨拶が先かい? 拗ねたように言ったローレンに、マレーナはローレンの長い髪をつかんで笑った。
「だって、お母さまがおじさまに会ったら一番に挨拶なさいって」
「ローレン、お前の子煩悩ぶりには毎年磨きがかかっているな。マレーナ、お母さまはどこ?」
 アントニアがマレーナを抱きとって尋ねると、マレーナは愛らしい口元に笑みを浮かべて、お母さまはお部屋でお休み中ですと、教えられた通りに答えた。
「エウリルは? エウリルが結婚するって本当? マレーナをお嫁さんにしてくれるって言ったのに」
 真っ赤になって尋ねるマレーナに、アントニアとローレンは声を合わせて笑った。マレーナ、エウリルは結婚してしまうけど、大きくなって美人になれば、お前も結婚できるかもしれないよ。アントニアが言うと、隣で聞いていたローレンが露骨に嫌そうな顔をしてマレーナを抱きとり返した。
 エウリルの婚儀を明日に控えた、アストラウル王宮最後の穏やかな一日だった。

(c)渡辺キリ