いつもと同じ表情のない顔で、騒がしい王宮も我関せずと言うように第一王妃サニーラは窓の外を眺めていた。
そばには数人の侍女が控えているものの、常に侍女がいる状態に慣れたサニーラは気にせず黙ったまま、時折、手に持った羽扇を思い出したように動かした。
まさか、邪魔者が自らの手を汚すことなく一気に姿を消すとは。
みなが言うように、第四王子が本当に錯乱して母と妃を殺したとは思えない。パーティーの後、多くの侍女や侍従たちがそばにいるのに、誰にも知られずにナイフを持ってエンナの部屋へ行ける訳がない。それに、もし本当に第四王子が殺したならそうなる前に何かの徴候があるはず…。ゆったりと目を閉じると、サニーラは含み笑いをもらした。
誰かが第四王子を唆したか、その場に入り込んでエンナを殺したに違いない。
一体誰が、そんなことをやってのけると言うの。神以外の誰が。
もし本当に神なら、私の味方に違いないわね。
ふふっと思わず声がもれた。その時、ノックの音が響いた。サニーラが視線を向けると、心得たように侍女二人が重いドアを開いた。
「お母さま、お呼びと伺いましたが…」
サニーラの自室に入って優雅に挨拶をすると、フィルベントはどこか落ち着かない表情でサニーラを見た。こちらへいらっしゃい。そう言って促すと、サニーラはめったに見せない笑顔でテーブルに置かれた豪華な装飾の箱のふたを開いた。
「随分、顔色が悪いこと。ボンボンを食べるといいわ。お母さまが食べさせてあげます」
「…はい」
窓際へ進むと、フィルベントは勧められるままに椅子に座って口を開いた。サニーラの品のある白い手が、チョコレートボンボンをつまんでフィルベントの形のよい唇へと運んだ。目を伏せたまま黙っているフィルベントを見ると、サニーラは椅子に腰を下ろした。
「何を気に病んでいるの? あなたは何も気にすることはないのですよ」
「いえ…でも、エウリルが」
フィルベントの長いまつげが、震えるように瞬いた。あなたがエウリルの名を口にするなんて珍しいこと。いつもと同じ声色で答えると、サニーラはチョコレートボンボンをつまんで自分の口へ放り込んだ。
唇についたチョコレートを、ゆっくりと舌で舐めとる。
「心配せずとも、サウロン公は未だ王宮に影響力があるとはいえ、その経済力には翳りが見え始めています。エウリルを後継に据え、王宮との血縁を頼りになさるおつもりだったほどですからね。娘の死因の追求よりも王宮との関係をどう繋いでいくかで躍起になっているはずよ」
「お母さま、エウリルはどうなるのです」
その表情は憔悴しきっているようにも見えた。怪訝そうに眉を寄せると、サニーラはフィルベントの頬を両手で柔らかく包んだ。
「誰が何を言おうとも、エウリルの罪は消えることはありません。あなたは安心して、部屋へ戻って少しお眠りなさい。お母さまがすべて上手くやってあげますからね」
サニーラの声は力強く、フィルベントは小さく頷いて立ち上がった。やはりエウリルは死ぬのだ。青ざめたまま、フィルベントはサニーラの部屋を下がった。
フィルベントの中に生まれたエウリルへの思いは、まるで薄いフィルム一枚をぴたりと貼付けたように危うく、そして振り落とそうにも振り落とせないほど強かった。エウリルへの嫌悪までもが、恋情の裏返しだったとすら思えた。
小姓や侍従に付き添われてフィルベントが部屋に向かうと、王太子アントニアが大臣たちと話しながらこちらへ向かってくるのが見えた。サニーラ王妃にしたようにフィルベントがアントニアにも優雅に挨拶をすると、アントニアは大臣に後から行くと伝えてフィルベントを二階のバルコニーに誘った。
「いい天気だ。こういう気候の頃が一番、体の調子がいい」
機嫌がよさそうにアントニアが言うと、そのそばで目を伏せていたフィルベントはそうですねと相づちを打った。元気がないな、どうした? 笑みを浮かべてフィルベントの肩に触れると、アントニアはバルコニーから中庭を眺めた。
「エウリルのことを気に病んでいるのか。お前はエウリルが嫌いなんじゃなかったのかな?」
アントニアの言葉に、フィルベントは堅く口を閉ざした。自分ですら自分の気持ちが分からないのに、上手く言葉にできる訳がない。柵に手を置いてフィルベントがぼんやりと中庭を眺めると、アントニアがふいに眉を潜めた。
「あれは…シャンドランとアリアドネラ侯爵の子息じゃないか」
アントニアの声に驚いてフィルベントが中庭を覗き込むと、テラスでフリレーテとアストラウル政府議会議長のシャンドランが談笑しているのが見えた。シャンドランは元僧侶で、今は男爵の称号を持ち、貴族、僧侶、平民の三民からなる政府議会で堂々と王制に異を唱えていた。王族とは対立しており、王宮の敷地内で姿を見ることは珍しかった。
「フリレーテとか言ったかな。フィルベント、お前の恋人だろう。シャンドランに奪われてもいいのかな」
からかうように言ったアントニアに、フィルベントは真っ赤になって失礼しますと頭を下げた。バルコニーを足早に出ていったフィルベントの背中を見ると、アントニアは目を細めた。
弟の恋人か。
いくら美しくとも…可愛い弟の恋人とは。
フリレーテ=ド=アリアドネラ。中身も外見と同じように美しいのかどうか、知りたいものだ。
ふいにフリレーテが視線を上げた。こちらに気づいて大きな目でバルコニーを見上げるフリレーテは珍しく無表情で、感情が読めずにアントニアはフリレーテをジッと見つめた。
シャンドランがフリレーテの視線に気づいて、にこやかな笑みを浮かべながらアントニアに慇懃に礼をした。片手を上げてシャンドランに答えると、柔らかな笑みを目にたたえたままアントニアは呟いた。
「シャンドランか。色恋沙汰にはなるまい」
すると、そばにいた小姓のステラが恐れながらと口を挟んだ。
「シャンドランさまは頭のよい方でございます。ただの機嫌伺いに王宮を訪れた訳では…」
「まあ、お母さまに報告しておこう。行ってくれるか、ステラ」
「仰せのままに」
優雅にお辞儀をすると、ステラは軽やかにバルコニーから王宮の廊下へ入っていった。何を考えている、シャンドラン。ちょうど中庭へ出てきたフィルベントの姿を上から眺めると、アントニアはフィルベントがフリレーテの手をつかんでその場から立ち去る様子を見て薄い笑みを浮かべた。
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