中庭の古い塔の裏にある地下道への扉は小さかった。幼い頃から王宮で暮らすルクレーヌでもその塔の扉を開くのは初めてで、ユリアネが重い扉を開くと、ルクレーヌは震える体に鞭打つようにそこをくぐった。
「ルクレーヌさま、あまり声をお出しにならぬよう気をつけて下さい。響きますので」
ランタンに明かりを灯すと、扉を閉めてユリアネが言った。柔らかななめし皮の靴を履いているため、足音はしなかった。滑りやすいので気をつけて。やっと耳に届くような小さな声で言うと、ユリアネはランタンをかざして先に歩き出した。
中は湿って暗く、所々についたろうそくの光も隅々まで行き届いていなかった。途中に見張りの衛兵はいなかった。ルクレーヌの手を取って一歩一歩、螺旋になった階段を下りていくと、その深さに身震いしてユリアネは眉をひそめた。
エウリルさまは、本当にここに…。
何かの間違いであってほしい。何度そう思ったことか。なぜエウリルさまはエンナさまやハティさまを…いや、やはりエウリルさまが二人を殺すとは考えられない。
考えながら階段を下りていくと、ルクレーヌが恐いと一言呟いた。その手をしっかりと握りしめると、ユリアネは大丈夫でございますと声をかけた。
それならなぜ、誰がこのようなことを。
驚くほど長い階段をゆっくりと下りていった。外は春の暖かな気候なのに、塔の中は震えるほど湿って冷え込んでいた。底に近づくと、ルクレーヌがユリアネの手を離した。
「ユリアネ…ありがとう。ここまででいいわ」
「ルクレーヌさま?」
「エウリルと顔を合わせることで、ひょっとしたらあなたにまで累が及ぶかもしれません。けれど、私一人ならどうにかなるでしょう。あなたは戻りなさい」
「ルクレーヌさま!」
「もし私に何かあれば、ユリアネ…お願い、エウリルを助けて」
目を見開いたユリアネの言葉に重なるように、誰かいるのかと男の低い声が響いた。その途端、ルクレーヌが慌ててドンとユリアネを突き飛ばした。ユリアネが柱の影にドッと倒れると同時に、ランタンを持った衛兵が近づいてきてルクレーヌを照らした。
「あなたさまは…」
「私の名はルクレーヌ=ド=サヴィリア。エウリルに会わせて」
顔を見せるようにフードを脱ぐと、ルクレーヌは衛兵に話しかけた。るっ、ルクレーヌさま! 驚いた衛兵を見上げ、ルクレーヌは王女らしくゆったりとした歩みで進んだ。
「いけません、ルクレーヌさま! 罪人との面会はまかりならんと言われております」
「誰が言ったの。私は王女よ。顔を見たいだけなの。いいからお下がり!」
いつもの大人しげな様子とは打って変わって、ルクレーヌは居丈高に衛兵を怒鳴りつけた。ビクッと震えて、体躯のいい衛兵はせめてご案内をと先に立って歩き出した。ルクレーヌがそっと振り向くと、床に落ちたランタンの明かりの端にユリアネのマントの裾が見えた。ホッとしてまた歩を速めると、ルクレーヌは衛兵について奥へ進んだ。
他に誰もいないのか、衛兵とルクレーヌの足音しか聞こえなかった。エウリル、本当にここに? 息をひそめていると、目の前の衛兵が立ち止まって振り向いた。
「ルクレーヌさま…どうか他言無用に。いいですね」
「分かっているわ。あなたが処罰されることのないように計らいましょう。もう下がりなさい」
ルクレーヌが言うと、衛兵はホッとしたようにランタンを置いて下がっていった。それを拾い上げると、ルクレーヌはじわりと込み上げてくる恐怖を抑えながら壁に沿って進んだ。
廊下の奥に、一段と暗い牢が見えた。ようやくランタンの明かりが牢に届くと、ルクレーヌはかすれた声でエウリルを呼んだ。返ってくるのは静けさばかりで、暗闇に押しつぶされそうな思いでルクレーヌは牢の中をランタンで照らした。
「エウリル…」
明かりが牢の隅まで照りつけられた。
「…!」
牢の真ん中で、エウリルは横になったままうっすらと目を開いていた。こちらを見つめる目はあの明るかったエウリルとは思えないほど空ろで感情が見られず、ルクレーヌは思わずランタンを落とした。エウリル、エウリル! 牢格子にしがみついて、ルクレーヌが必死の思いでエウリルを呼ぶと、エウリルの目がわずかに動いた。
「…ルクレーヌ?」
低い声だった。そうよ、私よ! ルクレーヌが泣きながら叫ぶと、エウリルはゆっくりと目を閉じた。
「エウリル、何があったの。あなたがエンナさまやハティを殺したなんて、嘘よね。嘘でしょ! 教えて!」
動かなくなったエウリルに、堰を切ったようにルクレーヌが言った。エウリル! もう一度名を呼んだルクレーヌに、エウリルは仰向けになって両手で顔を覆った。
「…とうに」
「え?」
「…本当に、お母さまもハティも死んだんだ」
「エウリル…」
「何度も、何度も夢だと思ったのに…目覚めるとここにいるんだ。ルクレーヌ…もう何が現実なのか分からない。何も分からないんだ…」
「エウリル、しっかりして! 何があったの!」
ルクレーヌの声に重なるように、さっきの衛兵がこちらですと言いながら誰かを案内してくる音が聞こえた。ルクレーヌが振り向くと、衛兵長が強張った表情でルクレーヌの腕をつかんだ。
「王女さま、このような所まで来られるとは…ここはあなたさまのような方が来る場所ではありません。さあ、こちらへ」
「お離しなさい! エウリル、本当のことを言って! エウリル!」
引き戻されながら必死に叫ぶルクレーヌの声に、エウリルが答えることはなかった。遠ざかる牢が、また暗闇に飲み込まれていった。半狂乱になって泣き叫びながら、ルクレーヌは衛兵長に引きずられるようにその場を離れた。
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