アストリィ市にある自宅へ戻る準備をしている中、サニーラから呼び出されたローレンはサニーラの自室へと向かっていた。
そこにはすでにアントニアがおり、いつも必ずサニーラのそばにいて身の回りの世話をしている侍女たちが、今日は一人もいなかった。ローレンのすぐ後からフィルベントが入ってくると、サニーラは二人にソファへ座るよう促した。
「ローレン、フィルベント。エウリルのことだが」
サニーラのそばに立って話し出すと、アントニアは一旦言葉を切った。半分だけの血の繋がりとはいえ、憎からず思っていた弟の処遇を任されたためか、どこか表情が強張って緊張しているようにも見えた。ローレンがアントニアを見ると、アントニアはまっすぐにローレンを見つめ返して言葉を続けた。
「エウリルのことは公にはせず、このまま永年、音叉の牢獄に捕らえたままとする」
「…な!」
ローレンが思わず立ち上がり、フィルベントが息を飲んだ。どういうことです! そう言ってアントニアに詰め寄ると、ローレンは興奮したように顔を真っ赤にして言いつのった。
「永年、牢獄に捕らえたままなど…死刑よりも残酷ではありませんか! それよりもエウリルを牢獄から出し、何があったのか説明させるべきです!」
「これはもう決まったことだ! ローレン、もしエウリルを裁判にかけて証言させたとして、もし自分がやったとでも言われたならば、王家はどうなる!」
珍しく声を荒げて、アントニアはローレンの肩を強くつかんだ。しかし。そう続けようとしたローレンが、ふいにサニーラを見た。決まったこと? お父さまが倒れ意識のない今、誰が決めたと言うのだ。
お母さま、あなたが。
ローレンの強い視線をかわすように目をそらすと、サニーラはワインの入った銀のグラスを取り上げてそれを飲み干した。ローレン、これは王家の私事なのだ。裁判にかけることなど許されん。そう言って、アントニアはローレンの肩から手を離した。
「幸いお母さまが機転を利かせて下さったおかげで、エウリルとハティは発病したということになっている。オルスナやサウロン公との繋がりが断たれてしまうのは惜しいが、このままエウリルを解放してもそれは同じ」
「…」
黙り込んでローレンは目を伏せた。確かにソフ教の教義では親殺しは何よりも許されないこと。長年ソフ教を国教とし、ラバス教を排斥し続けてきた王族で母殺しの罪人を出したとあれば、王家の存続に関わる。
けれど。グッと唇を噛み締めて、ローレンは目を伏せた。けれど、血を分けた弟を救えずにこの先私に何を救えると言うのだろう。第二王位継承者としての自分の力など、こんな程度のものなのか。
「ローレン…冷たく聞こえるかもしれないが、私たちにはお父さまやお母さまを支え、アストラウルを守らねばならない義務があるのだ。幸い、エウリルはお母さまの子ではなく、エンナ王妃も亡くなられた。程よい頃に病死したと公表すれば、エウリルのことは何も問題なく忘れられていくはずだ」
「サウロン公のことは、どうなさるおつもりです」
固い声でローレンが尋ねると、サニーラが口を挟んだ。
「彼とはもう話をしました。エウリルを第一級の罪人として幽閉したことを評価し、今回のことは不問に付すと言っています」
「…しかし」
「王家の存続のためですよ」
はっきりとした口調でサニーラが言うと、ローレンは黙り込んだ。
何のための王制か。
私利のために守るべき国民を欺き、公正さすら失われ、すでに王家がこの国を治める意味などなくなっているのではないのか。
「お母さま、お兄さま…とにかくご再考を」
そう言って、ローレンは部屋を出ていった。
考える余地もない。不愉快そうに呟くと、アントニアはサニーラに慇懃に礼をして同じように部屋を出ていった。小姓を呼ぶアントニアの声が閉まりかけたドアの隙間から聞こえた。サニーラと二人残されたフィルベントは、ソファの豪奢な柄を指で辿り、それから顔を上げた。
「お母さま」
「どうしたの、フィルベント」
さっきまでの事務的な口調と打って変わり、優しげな声で名前を呼ぶとサニーラはフィルベントを見つめた。少し黙り込んで、それからフィルベントはサニーラをジッと見つめ返した。
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