アストラウル戦記

 壁に身を寄せて、窓からそっと外の気配を探る。そこには誰もいなかったけれど、鳥が飛び立つ音がいくつも響いていた。追っ手か。もう来たのか…どう出る? テーブルに置いた剣を腰に差すと、ガスクは乱暴にナヴィの腕をつかんで立たせた。
「アストラウル軍兵だ。お前、家へ帰りたければとっとと投降しろ」
 それが身のためだぞ。ガスクが言うとナヴィはガスクの手を振り払い、その勢いで壁にぶつかった。チッ、弱えな。呟いて、ガスクは別の窓から外の気配を窺いながら手紙を懐へ突っ込んだ。
 些細なことでもいい、何か情報が書かれているかもしれない。
「死にたくなければジッとしてろ」
 小さな声で、ガスクはナヴィに言い捨てた。火をかけられるかもしれないな。考えて床にバラまいた銀貨を集めて壺へ突っ込むと、それをまたベッドの下へ隠してガスクはスラリと剣を抜いた。
 トン、とドアの外で音がした。矢が放たれた音だった。窓から離れて、身を潜めてろ。ガスクが言うと、下着姿だったナヴィはパンネルが縫った自分用の粗末な服を着込んでいた。勝手にしろ。頭の中で呟くと、ガスクはドアの前で剣を構えた。
「何やってんだい! あれはあたしの家だよ! 誰もいやしない!!」
 ふいに外でパンネルの太い声が響いた。さあっと血の気が引いて、ガスクがチラリと外を見ると、荷馬車を飛ばして一人戻ってきたパンネルが木陰に隠れている軍兵に向かって怒鳴り散らしていた。バカが、死ぬぞ。切羽詰まった表情でドアノブをつかむと、後ろからふいに剣をもぎ取られ、ガスクは驚いて振り向いた。
「ナヴィ…!?」
 ドアが開くと、パンネルがナヴィを塞ぐように荷馬車を止めた。木陰から音もなく矢がひゅんと飛んできて荷馬車に刺さった。
「パンネル! 早く!!」
 ガスクの大きな剣を両手で構え、ナヴィが叫んだ。荷馬車から降りたパンネルをかばうように、ナヴィが矢を剣で振り払った。その剣の軌道はまるで舞踏のように美しく、ガスクは目を見開いてナヴィに見入った。
 あの型は…オルスナの。
「モタモタするな! 中へ入れ!」
 細く開いたドアからガスクが怒鳴ると同時に、木陰や草むらから武装した兵が飛び出してきた。パンネルがナヴィ!と呼ぶと、後ずさりながらナヴィは振り向いた。早くパンネルを! ナヴィの声に我に返ると、ガスクは手を伸ばしてパンネルを家の中へ引きずり込んだ。
「バカ! 軍兵が見えたんなら戻ってくるな!」
 血相を変えて怒鳴るガスクに、パンネルは青筋を立てて怒鳴り返した。
「バカはお前だ! 村の様子が浮き足立っているのに気づかなかったのかい! カジュインの所から村を通って来たんだろう!?」
 それでよくゲリラなんぞやってられるもんだ! ドンとガスクの胸を叩くと、パンネルはドアを開けてナヴィに早く!と叫んだ。第一陣の軍兵の剣を受けたナヴィが、それを押し返してドアから転がり込んだ。つっかえ棒をドアと窓に噛ませると、パンネルはベッドの下から銀貨の入った壺を引きずり出した。
「軍兵と一緒に、ノクがいた」
「え?」
 さっき見た物入れから父親の剣を取り出していたガスクが尋ね返すと、まだ息を荒げているナヴィの腰に金貨の入った小袋をくくりつけながらパンネルは答えた。
「ノクが密告したんだ。多分、ナヴィが持っていたこの金貨が目的だろう。臆病で気が小さいと思っていたが、やるじゃないか」
「しかし、エルマが」
「エルマもノクと一緒だよ。貧しい暮らしが嫌になったんだろ。ナヴィを助けた時に金貨に気づいたのは、エルマだったからね」
「バカな…軍兵に密告したって、金なんかノクたちの手には入らない。取り上げられるのがオチだろ」
「追いつめられてる人間には、それが分かんないのさ。ガスク、ナヴィを連れて逃げておくれ」
 鞘から剣を抜いたガスクを、パンネルが見上げた。ドアの向こうでは数人の軍兵が体当たりをしていた。家が何度も揺れて、舌打ちをしてパンネルは裁縫箱からラバス教のマークが赤い糸で縫い取られた袋を取り出して、ガスクに渡した。
「お前たちに、お守りだ。カジュインに書いてもらった札が入ってる。ちゃんとグウィナンとナッツ=マーラにも渡すんだよ。これを持っていくのを忘れた日に、ジンカは死んだんだ」
「バカッ! こんなお守りぐらいで人が死ぬか! それよりナヴィを連れていけって何だよ!? アストラウルのガキなんか連れていける訳ないだろ!?」
「頼むよ、後生だ。この子をダッタン市まで…いや、安全な所まで連れていっておくれ。アストラウル軍に渡しちゃ駄目だ。あいつらはこの子を狙ってきてるんだよ」
「何でだよ! こいつはアストラウルの貴族だろ!?」
「違う! この子はオルスナ人だ」
 そう言いながら、パンネルは重い壺を引っくり返した。たくさんの銀貨が床に流れ出て、その瞬間ドアがぶち破られて軍兵が飛び込んできた。

(c)渡辺キリ