アストラウル戦記

「男を捕らえろ! 若い方だ!」
 上官らしい、短髪の男が声を張り上げた。まだ銀貨の中から手紙を探しているパンネルに、ガスクが何してんだ!と焦って叫んだ。パンネルに振り下ろされた剣をそばにいたナヴィが間一髪で受けると、剣の重さに手首がしびれてナヴィが顔をしかめた。
「こっちを使え! それはお前にはデカすぎる!」
 細身の剣をナヴィに放ると、ガスクは長い足でナヴィのそばにいた軍兵を蹴り倒した。ドアが小さく家が狭いせいで、軍兵は一人ずつしか入ってこられない様子だった。外へ出て逃げるぞ。パンネルを抱えてガスクがナヴィに言うと、ナヴィは頷いて後ろに扉がと答えた。
「あんたが出てってから、万が一のためにと思って裏口を作ったのさ。すぐに逃げられるように森に繋がってる。いくつも罠を作ってあるから、獣道から外れるんじゃないよ」
「けっ、末恐ろしいババアだ」
 ナヴィに剣を渡されると、ガスクは息を飲む間もないほどの素早さで剣を振り上げた。武装をした軍兵の腕が、ゴトンと音をたてて床に落ちた。パンネルを支えてナヴィが裏口から外へ出ると、ガスクは次々と入ってくる軍兵を冷めた目で見据えた。
「一人もんからかかってきな。ガキがいるヤツは、殺しちゃ寝覚めがわりいからな」
 ニヤリと笑ったガスクに、軍兵の一人が青ざめてガスク=ファルソだと叫んだ。一瞬、軍兵たちがどよめいた。こいつら、俺を追ってグステ村に入ったヤツらじゃないのか。アストラウルの軍兵で俺を知らない奴がいるなんて、所属はどこなんだ。鋭い眼差しで軍兵をにらみつけるガスクの背後で、パンネルが裏口のドアを全開にしながらナヴィに言った。
「この金貨を使ってオルスナへ逃げな。ここにいれば見つからないだろうと思ったが…そうもいかないね。上手くいかないもんだ」
「パンネル」
「死ぬんじゃないよ。せっかく助かったんだから」
 外へ出ると、パンネルはナヴィの手をギュッと握りしめた。その手はガサガサに荒れていて、大きくて温かかった。パンネル、パンネル! 首を横に振って名前を呼び続けるナヴィを振り切るようにパンネルは振り向いて、狭い家の中でも剣を楽々と振るっているガスクに怒鳴った。
「早くしな! ナヴィが死んだらお前のせいだからね!」
「無茶言うんじゃねえ! 大体…」
 振り向いて、ガスクが目を見開いた。
 ナヴィの頬をかすめたそれは、パンネルの肩を貫通して矢じりが外へ突き出していた。あ…とナヴィの低い声が響いた。裏へ回ってきた軍兵の上官が、弓を構えて立っていた。グンナさま! 同じように家の脇を通ってきた軍兵が、もう一本矢を取って弓を構えるグンナの名を呼んだ。
「あの女はジンカ=ファルソの妻だ。逃がしても何もできまい。後から運よく捕まえられれば、ダッタン市へ連れていってゲウテカにでも引き渡せ。我々の目的はあくまでも、王子の逮捕だ」
 冷静に小声でそう言って、グンナが弓を引いた。お袋! 真っ赤になってガスクが家から飛び出ると、パンネルは自分の肩に刺さった矢をつかんで騒ぐんじゃないよと答えた。
「逃げな。こんな所で死んじゃ、つまんないだろ…」
 裏口のドアにもたれて、パンネルは大きく息をついた。焼けるような熱はやがて激しい痛みに変わった。ズズズとその場に座り込んだパンネルを呆然と見たナヴィが、うわあああ!と大声で叫んで駆け出し、慌てて矢を放とうとしたグンナの懐に飛び込んだ。
「…!」
 間一髪で、ナヴィの剣がグンナの喉元をかすめた。脇にいた武官がグンナを庇うように前に立った。その武官の胸から顔にかけて剣を滑らせると、吹き出した血で顔を濡らしながらナヴィは燃えるような目でグンナをにらみつけ、他の軍兵がくり出す剣を避けた。
 この軍兵たちは、ノクに密告されたから来たんじゃない。
 止血のためにパンネルの首の根を押さえながら、ガスクは息を潜めた。
 家の中にいた軍兵たちは自分やパンネルには向かわず、みな一様にナヴィを攻めている。
 こいつらは初めから、ナヴィを狙っているんだ。
「金なんかノクたちにやっちまえよ。無様にしがみつくんじゃねえ」
 激しい痛みに今にも失神しそうなパンネルに、ガスクが低い声で言った。バカだね、老後の貯えさ。うっすらと目を開けたパンネルに、ガスクは死んだら老後もねえだろと吐き捨てるように言いながら着ていたマントを脱いで、隠すようにパンネルの上にかぶせた。
 二人を相手に、ナヴィは無駄のない最低限の動きで剣をいなしていた。意外とやるじゃないか。考えながら飛び込んで、ガスクは大きな剣で力任せに軍兵を横へなぎ倒した。
「森の方が、武装をして動きの鈍いヤツらに不利だ。先に森へ逃げ込め」
「でも、パンネルが!」
「あいつらの狙いはお前だ。お前が逃げれば追ってくる」
「!」
 驚いたように、ナヴィがガスクを見た。迷っているヒマはないぞ。そう呟くと、ガスクは向かってくる軍兵の剣を受けながら振り向いた。
「行け!」
 ガスクが怒鳴ると、ナヴィは茂みをかき分けるように獣道へ駆け込んだ。後ろにいたグンナがナヴィを見て追え!と命令すると、ガスクは受けた剣を力で押し返して叫んだ。
「なぜあれを追う!? お前たちは王宮の兵か!」
「お前には関係のないこと。お前こそ、スーバルンゲリラの首領がアストラウル人の肩を持つとは」
「敵の敵は味方って言うからな。そろそろおしゃべりはやめて、自分の首の心配でもしたらどうだ」
 ジリジリと後退しながら、ガスクはニッと笑った。やはり軍兵たちはお袋のことはどうでもいいようだ。それなら勝機もある。その場にいる軍兵が全員、自分に集中しているのを見てガスクは剣の柄を握り直した。
 一対八か。それも悪くない。
 緊張が切れて向かってきた軍兵の腕を振り上げた剣で切り落とすと、ガスクは身を翻して森の中へ消えた。剣を右手に、小剣を腰から抜いて左手に持つと、ガスクはナヴィを追って森の中を駆け抜けた。

(c)渡辺キリ