カジュインに軽く頭を下げてガスクがラバス教の寺院を出ると、村の広場では小規模な市が開かれていた。
近隣の町や村からも買い物に来る人々でごった返していて、その間を縫うように歩いてガスクはパンネルの住む村はずれの家を目指した。
ひょっとしたら、お袋も干物や麦の粉を売りに出ているかもしれない。
あのガキしかいなかったら…少し面倒だ。考えながら、ガスクは森へ向かう一本道へ入った。そこから先はパンネルとエルマの家の二軒しかなかった。空気が乾いて砂埃がひどかった。ふいに向こうから小柄な男が一人歩いてくるのが見えて、ガスクは一瞬迷った後、そのまま歩き続けた。
「お前は…」
言いかけて、ノクは思わず道を開けてガスクを見上げた。
「ガスク! いっ、いつ戻ってきたんだ!」
「ノクか、久しぶりだ。お袋が世話になっているな」
歩調を緩めて低い声で言うと、ガスクはエルマとザレトは元気かと尋ねた。
「あ、ああ…まあ」
ノクの視線はきょろきょろと落ち着きなく、どこか怯えているようにも見えた。無理もない。昔から肝の小さい男だ。小さく息をつくと、ガスクは懐に手を入れてそこから銀貨を一枚取り出した。
「ザレトに」
ガスクの無骨な手から銀貨を受け取ると、ノクはすまんなと愛想笑いをしてまた歩き出した。急いでいるのか、つんのめるように行ってしまったノクの後ろ姿を見ると、ガスクもまた家に向かって歩いた。
こんな痩せた土地で、昔から持っている小さな畑を耕す毎日。
荒れたノクの手は、嫌いではなかった。おどおどとした気質も理解できる気がした。年々、税の取り立てが厳しくなっていく中で、安穏と暮らしていられないのは村のどの人間も同じことだ。
エルマたちの小さな家の前を通り過ぎると、すぐにパンネルの家が見えてきた。ドアの前に立って中の様子を窺うと、ガスクはドアをほとほととノックしてからドアノブをつかんだ。
「お袋、いないのか」
いつもならガスクの姿を見るだけでうるさいパンネルの声が、今日はしなかった。やはり市へ行ったのか。考えながらブーツをコツコツと鳴らして中へ入ると、ガスクは思わず息を飲んだ。
ナヴィは家の隅にうずくまって、小さな寝息をたてていた。ベッドが空いているのにも関わらず、床の上で壁にもたれたまま縮まっていて、ガスクは音をたてないようにそっとナヴィに近づいた。
何でこんな所で寝てるんだ。
狂人じゃないのか。そう考えたもののナヴィの寝顔はどこか安らかで、ガスクはナヴィから離れて椅子に座った。
貴族のガキが、あんなボロ舟で川を下って、死にかけて。
何があったんだろう。王宮と何か関係があるんだろうか。
…何かが起こっている。
ん…とナヴィの喉元で声が響いて、ガスクは視線をナヴィへ向けた。サラリと柔らかそうな髪が頬にかかった。目を覚ましたナヴィが、どこかだるそうにガスクを見上げた。
「お前は誰だ」
ガスクが尋ねると、ナヴィは突然現れたガスクに驚く様子もなくまたまぶたをゆっくりと閉じた。本当に記憶を失っているんだろうか。椅子から立ち上がって腰に差していた剣をテーブルに置くと、ガスクは食器棚の引き出しや物入れの扉を次々と開けた。
丸裸で流れてきた訳じゃないだろう。何か残っているはずだ。
どこも子供の頃から見慣れたパンネルの日用品が入っていた。昔から部屋の隅に置いてある大きなカゴにかけられた洗いざらしの布を引いて、ガスクは眉をひそめた。そこには、金の糸で縫い取られた男物の下着がきちんとたたまれて入っていた。やはり貴族か。チラリとナヴィを見て手に持った布をカゴの上にポイと投げると、ガスクはふいに思い出したようにベッドの下へ手を入れた。
引きずり出された壺には、パンネルがこつこつと貯めてきた銀貨がたくさん入っていた。あのババア、貯め込んでないでちょっとは使えよ。中を覗き込むとガスクから渡された袋がそのまま入っていて、ガスクはそれを床の上にぶちまけた。
…手紙?
底の方に、茶色い染みのついた封筒が入っていた。裏にはロウで封がされていて、開封した跡があった。ロウは欠けてはいるもののわずかにアルファベットのLが読み取れ、それを開けようとしてふいにガスクは視線を上げた。
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