朝、共に麦の粉を市へ出すために、エルマが荷馬車を引いてやってきた。家の前ではパンネルが薪を割っていて、エルマの隣に座っていたザレトが馬車から降りてパンネルの元へ駆け寄ってきた。
「パンネル! ナヴィはどこ?」
「ナヴィなら、家の中だよ。挨拶しておいで」
パンネルが笑いながら言うと、ザレトは開いたドアから家の中へ駆け込んでいった。後ろからパンの入ったカゴを持って、エルマがパンネルに声をかけた。
「パンネル、ナヴィの具合はどう?」
「もう大分いいよ。ありがとう、エルマ」
薪を割る手を休めてパンネルが答えると、エルマはかすかに笑みを返した。エルマは痩せっぽっちで、小さな頃からろくに食べていないせいで背もパンネルより少し低かった。一緒に食べようと思って持ってきたの。そう言ってエルマがパンを差し出すと、パンネルは額の汗を布で拭いながらエルマを家の中へ招き入れた。
「シチューを作ったから、少し食べていこう。ザレト、ナヴィ、朝ご飯だよ」
パンネルが言うと、ベッドの上によじ上っていたザレトが振り向いた。ナヴィは身を起こして、パンネルの裁縫箱から色のついた紐を取り出して何かを作っていた。エルマが物珍しそうにそれを見ると、ナヴィは黙ったまま編み上げた紐をザレトの手首に結んだ。
「可愛いね。アストリィではこんなものが流行っているのかい?」
エルマがザレトの手首をつかんで、少し羨ましそうに尋ねた。小さく首を横に振ると、ナヴィは何か言いかけて口をつぐんだ。その様子を見ていたパンネルは、テーブルに鍋から器に移したばかりのシチューを並べて声をかけた。
「エルマ、ノクはもう畑に行ったのかい?」
「ああ。今年は日照りが続いて、どれもできが悪いから少しでも手を入れないとと言ってたよ」
「大変なことだ。この辺りで畑をやるなんてことは。土は悪くないが、水がよくない」
「他に取り柄がないんだよ。パンネルのように珍しい魚も取れないし、病気の者を診ることもできないし。他のみんなは上手いことやってるけど、うちはね」
「貧しいことに変わりはないさ…エルマ、ノクからまだ殴られるのかい」
エルマの頬にかかる髪の内側が腫れていることに気づいて、パンネルが眉を潜めて尋ねた。ザレトを椅子に座らせて自分も隣に腰掛けると、エルマはどこか諦めたような表情で笑みを浮かべた。
「腰を悪くしてから、少し酒を飲むようになったからね。飲まなきゃやってられないんだろ」
「別れろとまでは言わないが、ノクもあんたに甘えっぱなしじゃどうにもなんないだろ。あんた、ほとんど食べてないじゃないか」
「いいんだよ。ザレトだってまだ小さいし。あたし一人が殴られて、それであの人の気が済むならいいよ。気は小さいから村のみんなには迷惑をかけてないし、それだけが救いだよ」
それだけ言うと、エルマは振り向いてナヴィを見た。あんたも起きられるようになったんなら、こっちで食べな。エルマが声をかけると、ナヴィは黙ったままベッドを降りて、裸足でひたひたと歩いてテーブルに近づいた。
筋肉の落ちた足は痩せて、指先までもが形よく、まるで作り物の人形のようだった。ナヴィ、綺麗な顔をしてんだから、たまには笑ってごらんよ。エルマがナヴィの顔を覗き込むと、ナヴィは乾いた目でジッとエルマの顔を見つめた。
「まあ、焦らずやるさ。エルマ、今日はザレトはここで留守番させなよ」
「え?」
エルマが顔を上げると、パンネルはナヴィを椅子に座らせながら言葉を続けた。
「こないだ、市へ連れていくとチョロチョロして面倒だって言ってたろ。今ならナヴィがいるから、ここに置いていけば大丈夫さ。ナヴィ、留守番頼めるね?」
そう言ってパンネルがナヴィの隣に座ると、ナヴィは小さく頷いた。耳は聞こえてるし、大丈夫だよ。ニコニコと笑って言うパンネルに、エルマはふいに耳まで赤くなって答えた。
「いや、でも連れていくよ。今日は市も大きくないし」
「そうかい? でも遠慮なら」
「いいんだよう」
なぜか泣き出しそうな表情で、エルマが言った。それなら連れていくかいとパンネルは答えた。目を伏せてスプーンを取り、ナヴィがいただきますと小さな声で呟いて、それまでエルマの態度に首を傾げていたパンネルが驚いてナヴィを見た。
「何だ、ちゃんとしゃべれるんじゃないか」
ナヴィの肩を抱くと、パンネルは嬉しそうにその腕をなでさすった。かすれてはいたものの、ナヴィの声は低く美しかった。アストラウル人は声まであたしらとは違うようだね。喜ぶパンネルを見ると、エルマはそう言ってザレトの口元についたシチューをそばにあった麻布で拭き取った。
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