「グステ村に?」
驚いてルイゼンが視線を向けると、諜報部隊の中でも一番優秀だと言われているイルオマという男が頷いた。王宮内で近衛軍が使っている壮麗な建物の長い廊下を歩きながら、ルイゼンは報告を受けていた。
「エウリル王子が舟に乗って王宮外へ出られたという水路は、シジオタ川を南下しております。舟には一人しか乗っていなかったということでしたので、そのまま南へ向かったと推測されます」
「なぜ、グステ村だ。あんなに離れた場所に…それに、グステ村にはアストラウル人は一人も住んでいない。王子を助けようとする者もいないはず」
「王宮兵の中で特別部隊を組まれた様子があるか、調べました。他の王宮衛兵はみな地方から呼び戻されていますが、アントニア王太子が権限を持つ一部隊だけ、グステ村へ出発したことが分かりました」
イルオマが言うと、ルイゼンは黙り込んだ。グステ村…それではもし命が助かっていても、身につけているものからアストラウルの王子と分かり住人に殺された可能性もある。
ジンカ=ファルソのいた村でもあり、その息子の故郷でもある所。
普通なら、アストラウル人は決して近づかない村。
「グステ村へ向かう。準備を頼む」
「なりません。エウドキアさまから、ルイゼンさま自らお動きになられないようにと命令されております」
「私が行かなければ、王子の顔は分からないだろう」
イライラとルイゼンが答えると、イルオマは厳しい表情でルイゼンを見上げた。
「王子の顔は分からずとも、衛兵部隊を追えば自ずと怪しい者が分かります。私に命令して下さい。ルイゼンさまの手足となるよう言いつけられております」
イルオマの表情を見ると、ルイゼンは足を止めた。イルオマが持っていた書類にインクでサインをすると、ルイゼンはペンをイルオマに渡してまた歩き出した。
「必ず生きたままお連れするんだ。父よりも私の元へ先に」
「分かりました」
「何か分かったらすぐに報告に来い。罪人ではなく王子として扱え」
「それはできかねます」
イルオマの言葉にムッとして、ルイゼンはなぜと尋ねた。ルイゼンの一歩後ろを歩いていたイルオマは淡々と答えた。
「エウリル王子は、オルスナ人の侍女の手によって特別な武術を身につけておられると聞いております。私は武術には長けておりませんので、傷つけずに捕らえる自信はありません」
「正直だな。いいから行け。王子の指一本でも傷つけられていたら、お前の命はないと思え」
「…仰せのままに」
それだけ答えると、イルオマは慇懃に礼をしてルイゼンから離れた。そのまま廊下を抜けると、ルイゼンは窓から重い雲が覆った空を見上げた。
エウリルさま…どうかご無事で。
本当は、今すぐにでも探しにいきたかった。ここにエウリルがいないことが信じられなかった。以前と同じように王宮に出入りするようになってから、フィルベントが病床についたこと、そしてローレンがアストリィ市へ戻らず未だ王宮内に留まっていることも知った。
何が起こっているんだ。
ルイゼンが足を止めて窓の外を見ていると、ルイゼンが歩いてきたのとは反対方向からまだほんの小さな小姓が駆けてきた。きょろきょろと辺りを見回し、誰かを探しているようだった。ルイゼンが呼び止めると、はあはあと肩で息をして小姓が手に持っていた手紙を握りしめながら尋ねた。
「ルイゼンさまはどちらにいらっしゃいますか」
「ルイゼンは私だが…君はどなたにお仕えしているの」
そう尋ねたルイゼンに、小姓は頬を赤くして小声で答えた。
「ローレンさまです。ルイゼンさまにこれをと」
大事そうに持っていた手紙を、小姓はルイゼンに渡そうとした。あ、いけない。手を出したルイゼンを見て慌てて手紙を引っ込めると、小姓は尋ねた。
「本物のルイゼンさまなら、子供の頃のルイゼンさまがお悩みだったことをご存じだからと言われたんだった。何をお悩みだったんですか?」
あどけない声で尋ねられ、ルイゼンは真っ赤になった。相変わらず調子がよくていらっしゃる。耳まで赤くなって、慌てて平静を装うとルイゼンは小さな声で囁いた。
「その…トイレが、一人では上手くできなくて」
「できなくて?」
「…」
「…」
「…こぼした後、侍従に始末してもらってました」
「どうぞ」
手紙を差し出されてルイゼンはそれを受け取り、ため息をつきながら小姓に金貨を一つ握らせた。ローレンさまに受け取ったと伝えておくれ。ルイゼンがそう言うと、小姓は礼を言ってまた駆け出していった。
封ロウを外して手紙を開けると、そこにはローレンの流れるような文字が書き綴られていた。それをジッと見据えるように読み進めると、ルイゼンは目を見開き、そして顔を上げて従者を呼んだ。
「アストリィへ戻る。馬を」
「かしこまりました」
王宮の従者らしくゆったりと礼をして、小柄な従者は下がっていった。手紙を折り畳んで封筒へ入れると、ルイゼンはそれを懐へ大事そうにしまい込んだ。
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