アストラウル戦記

 アストリィ市から南西わずか五キロの場所に位置するダッタン市は、アストラウル十五世が王宮をアストリィへ移す以前に首都とされていた町で、今でも王宮の跡の残る宮下町として栄えていた。
 南から流れてきたスーバルン人の集落もあり、アストラウル人との小競り合いも増えて治安は悪化の一途を辿っていた。オルスナの商人たちが立ち寄る町としても知られていて、珍しい商品や武器を手に入れるには都合のいい所でもある。
 スーバルン人はアストラウル国の中では少数派で、貧困層で教育も行き届かず、浅黒い肌や茶褐色の目などの外見の違い、そして文化の違いからアストラウル人とは別のコミュニティを形成していた。ダッタン市のスーバルンコミュニティでは今でもラバス教が信仰されていて、ソフ教を国教とする王宮や貴族院から不当に高い税金をかけられていた。
「まあ、前に発表されたエウリル王子の発病も、眉唾もんだとは思ったけどよ。直後に倒れるほど具合が悪いのに、あんな盛大な結婚式はしねえだろ。しかも妃も同時に倒れて未だ音沙汰なしだ」
 ダッタン市のスーバルンコミュニティで、半地下にあるスーバルン・ラバス教ゲリラの隠れ家の一つに駆け込むと、ナッツ=マーラはさっき仕入れてきたばかりの情報を早口で話した後、そう付け加えた。
「第四王子が母親殺しだなんて、信じられないな。第三王子ならやりそうな顔をしているが。どうせ、またデマじゃないのか」
 縁の欠けたコップで水を飲み干すと、ふうと息をついてグウィナンはすごいニュースだと得意げな表情をしているナッツ=マーラを横目で見た。出所は確かだぜ。ナッツ=マーラが言い返すと、グウィナンは粗末な木の椅子の上で片膝を抱いて振り向いた。
「ガスク。お前はどう思う?」
 グウィナンに話しかけられたガスクは、奥のかまどで串に刺した肉を焼きながらさあなと答えた。
 焼いたばかりの肉にふうふうと息を吹きかけるガスクの顔には、いくつもの刀傷がついていた。がっしりした体躯と鋭い眼光は、真正面から見据えられると普通のものなら避けて通るほどの迫力があった。腹減ったと言いながら肉にかぶりついて、口を動かしながらガスクは答えた。
「まあ、ナッツ=マーラだな」
「だろ?」
「情報の出所ってどこよ?」
 置いてあった椅子を軽く蹴ってそこに腰かけると、ガスクはテーブルにあったワインの瓶を取り上げてそれをあおった。
「俺が王立軍の下級陸軍で世話になった…つか、世話してやった軍曹。今は王宮で衛兵やってる男」
「それって格下げ? それとも格上げな訳?」
 ニヤリと笑ってガスクが尋ねると、ナッツ=マーラはそれこそ知るかよと答えてからテーブルに手をついた。
「今しかねえよ。みんな我慢の限界なんだ。俺らがやれば、みんなついてきてくれるよ」
「バカ言うなよ。だからお前は甘いって言うんだ…俺たちが武装蜂起したとしても、スーバルン人の人口はアストラウルではたったの七パーセントだ。その中でもゲリラに参加してるヤツは何パーセントだと思う?」
 ため息まじりに口を挟んで、グウィナンはそれで王宮をぶっつぶすなんてと言葉を付け加えた。
 確かに。
 串に刺した肉を眺めると、ガスクは眉を潜めた。
 確かに不満は高まっている。ルヴァンヌは賢王だが、年老いて判断力が鈍っている。王位を狙う貴族や政権を取ろうと躍起になっている国民議会も、エウリル王子が母親殺しの罪を犯したという噂を聞いていれば、今を機にと立ち上がるかもしれない。
 それらを全て押さえ込んで、スーバルン人が主導権を握れるのかどうか。
「情報が少なすぎる。それに、下手に動いて同胞が死ぬことに敏感なのはアストラウル人よりもスーバルン人の方だ。先の内戦を忘れたか」
 ガスクが言うと、ナッツ=マーラは立ち上がると決めれば情報は揃えるさとムッとしながら答えた。まだだな。グウィナンも重ねて言い聞かせると、ナッツ=マーラはガスクの手からワインの瓶を取り上げ、わずかに残っていたそれを飲み干した。
「カジュインなら、俺に賛成してくれるよ。カジュインに聞こうぜ、ガスク。それなら文句ないだろ」
 ナッツ=マーラがワインの瓶をテーブルにドンと置いて言うと、ガスクは鼻にしわを寄せてカジュインか…と呟いた。カジュインはガスクの故郷に住む僧侶で、年配にも関わらず多くの情報源を持ち、若い頃にはスーバルンゲリラで参謀をしていた男だった。
「俺が行く。それまで絶対に動くなよ」
「おう、ついでに親孝行もしてこいよ」
 ナッツ=マーラがからかうようにガスクを見上げた。舌打ちをしたガスクに、グウィナンはナッツ=マーラもたまにはまともなことを言うんだなと付け加えた。今夜立てば、七日程度で戻ってこられるだろ。考えて答えると、ガスクはまた手に持っていた肉にかぶりついた。

(c)渡辺キリ