その額をつかんで枕に強く押しつけると、ガスクは低い声で何者だと尋ねた。何が起こったのか分からず、ガスクの手首を右手でつかんで青年はガスクをにらみ上げた。骨っぽい手首の筋が浮き出るほど、強くガスクの腕をつかんで青年は歯を食いしばり真っ赤になった。
「アストラウルのガキが、何でスーバルンの村にいる」
「…っ!」
「叩き殺されないうちに出ていけ! 俺はお前のようなはしばみ色の目を見るだけで、つぶしてやりたくなるんだ!」
グッと額をつかんで持ち上げると、それをベッドに叩きつけるようにしてガスクは怒鳴った。耳まで真っ赤になって、青年は起き上がってベッドの上を這うように後ずさりした。華奢な体が露になると、ガスクはその胸元をつかんで青年の頬を殴りつけた。
「…った…!」
そのままベッドに体を押さえつけるように馬乗りになると、ガスクは自分のマントの首元をしめていたひもを外した。凶暴な欲望が渦巻いて、懸命にガスクの手から逃れようと暴れる青年の目がそれを煽った。ギュッと眉を寄せて抵抗する青年の頭をベッドに押さえつけると、ふいに後ろからガンッという音と共に痛みが襲って、ガスクはいってえと頭を押さえてすごい形相で振り向いた。
「このっ…このドラ息子!」
そこには鉄の片手鍋を持った恰幅のよい中年女が、怒りに震えながら立っていた。お袋。呆然とした表情でガスクが呟くと、パンネルは重そうな片手鍋を振り上げてガスクをにらんだ。
「今、それで殴ったのか!? 殺す気か!!」
「こんなもんで死ぬぐらいなら、苦労はしてないよ! いつまで上に乗ってんだ! おどき!!」
片手鍋を振りかぶったパンネルに、ガスクは慌ててベッドから降りて離れた。頭にはこぶができていて、信じらんねえと呟いたガスクを尻目に、パンネルは青年の体を助け起こして背中をさすった。
「すまないね、このバカ息子が乱暴しちまって。ナヴィ、怪我はないかい」
咳き込んだもののナヴィに怪我はなく、何ともなくてよかったよかったと笑いながら話しかけて、それからパンネルは振り向き、高い所にあるガスクの顔をにらみ上げた。いきなり帰ってきて、何の用だバカ息子。ベッドの上でへたりこんだナヴィを後ろにかばうパンネルに、ガスクは呆然としたまま口を開いた。
「ナヴィ…って、何だよ」
「あたしがつけたんだよ。いい名だろう? 可哀想に、何もかも忘れちまってるんだよ。自分の名前も分からないんじゃ、呼びにくいじゃないか」
「だからって、つけるに事欠いてナヴィはないだろ!? 何でわざわざ兄貴の名前をつけるんだよ! 嫌みか!!」
真っ赤になって怒鳴ると、ガスクは深いため息をついた。お前に嫌みを言うほどヒマじゃあない。ムッとして答えると、パンネルは手に持っていた片手鍋をもう片方の手でポンポンと叩いた。
「お前はうちを出ていった人間だからね。アタシも一人じゃおちおち老いることもできやしないし、この子が何もかも忘れちまったって言うんならちょうどいいや、アタシの息子になれって言ったのさ」
「何もわざわざアストラウルのガキじゃなくてもいいだろうよ。サムゲナンにも孤児はたくさんいるぞ。それにそいつは…」
言いかけて、ガスクは口をつぐんだ。パンネルの後ろで息をひそめているナヴィは、どう見てもアストラウル人の貴族で、白い顔と傷一つない柔らかそうな手がそれを物語っていた。
まあいいや。そう言って、ガスクは懐から銀貨の入った袋を出してパンネルに放った。何の真似だい。パンネルがそれを受け取って尋ねると、ガスクは不機嫌そうな顔のまま答えた。
「リーチャから預かった」
「受け取れないよ」
「知るかよ。くれるって言うんだからもらっとけ」
それだけ言い捨てると、ガスクは表のドアから素早く出ていこうとした。慌ててガスクを呼び止めると、パンネルはカジュインの所へ行くのかと尋ねた。ガスクが頷くと、パンネルは手に持った片手鍋を脇へ置きながら付け加えた。
「帰りにまた寄っとくれ。グウィナンたちとリーチャに渡してほしいものがあるから」
パンネルの言葉には答えず、ガスクはチラリとナヴィを見てから家を出ていった。全く、愛想も何もない子だね。父親そっくりだよ。そう呟くと、パンネルはベッドの下から土をこねて焼いた壺を引きずり出して、そこに受け取った銀貨を放り込んだ。
「ナヴィ、本当に悪かったね。びっくりしたろう。怪我はないかい」
振り向いて話しかけたパンネルを大きな目で見ると、ナヴィは首をわずかに横に振った。その様子はどこか陰気で、まだ元気が出ないみたいだねと言ってパンネルはナヴィの額に触れた。
「熱は下がったね。もう少しお眠り。起きたら夕食にしよう」
そう言って、パンネルはナヴィにベッドへ入るよう促した。出ていったはいいが…何をしに戻ってきたんだか、あのバカは。窓の外の様子を伺うと、パンネルは目を閉じてすぐに寝ついたナヴィの顔を見て、小さくため息をついた。
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