アストラウル戦記

 毎月、グステ村で市が立てられる大広場に面した古い小さな寺院に、元はラバス教ゲリラのメンバーだった男が僧侶として住み込んでいる。
 カジュインというその男はすでに老い、死んでいった仲間たちを弔いながら一人静かに暮らしていた。しかし今も尚、水面下では情報を集めスーバルンゲリラに協力していると見られ、アストラウル軍や国民議会から目を付けられていた。
 日が暮れてから村人を装い正面玄関から堂々と寺院に入ったガスクは、カジュインと数カ月ぶりに対面して無愛想に頭を下げた。生きていたか。そう言って相好を崩したカジュインは、がっしりとした手でガスクの手をつかんだ。
「パンネルにはもう会ったのか。今日は実家に泊まるつもりか?」
 じゃがいものスープとパン、それに今日つぶしたばかりの鶏を柔らかく煮込んだものを器に入れると、それを出してカジュインは自分の椅子に腰かけた。その姿は昔、戦場でガスクの父ジンカと並んで鬼神と恐れられたとは思えないほど力なく、ガスクはマントを脱いで向かいに腰掛け、調子はどうだと尋ねた。
「パンネルが、隣に住んでいるエルマと交代で夕食を届けにきてくれるから、食うには困っておらんよ」
「顔色が悪いんじゃないか?」
「先月、流行病にかかって少し寝ついたのでな。でも、もう大丈夫だ」
 穏やかな表情で答えるカジュインに、ガスクは目を伏せた。
 久しぶりに会ったけれど…カジュインももう年だ。親父と一緒に王宮に刃を向けた先の内戦も、もう過去の話になりつつある。
 せっかく故郷に落ち着いて、静かに暮らしているのに、意見を聞くだけとはいえ今さら巻き込むのは…。
 少し黙ったまま食事を進めて、ガスクは久しぶりに旨いメシを食ったなと呟いた。潜伏していてはろくなものが食えんだろう。そう言って、カジュインはガスクの前に置いたコップにワインを注いだ。
「お袋の所にいるガキ、あれは何だ」
 ガスクがじゃがいものスープを口に運びながら尋ねた。
 チラリとガスクを見て会ったのかと尋ね返すと、カジュインはパンを千切りながら困ったように眉を寄せた。
「エルマが突然、夫がパンネルと言い合いをしているから来てくれと泣きながら飛び込んできて、どうしたのかと思って行ってみたら、パンネルがアストラウル人を助けたと言うのでな。ノクがすぐに放り出せと言ったらしいが…今でもノクはパンネルとは折り合いもよくないし」
「お袋、じゃなくて俺たちだろう。迷惑をかけたのは確かだからな…」
 数年前、スーバルンゲリラがアストラウル軍に追われてグステ村へ逃げ込んだ時、軍兵がノクの持つ畑に火を放ったことがあった。それ以前からゲリラのリーダーとなったジンカを快く思っていなかったノクは、事ある毎にガスクやパンネルに辛く当たっていた。
「エルマがよくお袋に協力してくれたもんだな。あれは夫に逆らえるような女じゃないだろう」
 ガスクが言うと、カジュインは苦笑した。
「ザレトがな。知ってるだろう、ノクとエルマの娘だ。ザレトがパンネルによく懐いて、毎日のように遊びにきているとパンネルが言っていた。それでじゃないのか」
「二人でせっせとアストラウル人の看病をしたって訳だ。お袋はあのガキを引き取るって言ってたぞ。止めねえのか」
 ため息まじりにガスクが言って、ワインを半分ほど飲み干した。スーバルン人に比べると格段に白い肌や、大きなはしばみ色の目を思い出すだけで胸がムカムカした。ゲリラに参加する前から、ジンカの息子として何度もアストラウル軍に襲われた経験を持つガスクにとって、アストラウルの上流階級の人間など敵にも等しかった。
「あの通りの無愛想で、村ではナヴィの評判はよくないがな、パンネルに世話になった者や赤子を取り上げてもらった者は大勢いるから、みな、口出しはできずにいるようだ。まあ、しばらく気が済むまでやりたいようにやらせるさ」
「バカなこと言うなよ。カジュイン、あのガキが歩けるようになったら、アストリィかダッタン市へあのガキを戻すように、お袋に言ってくれないか」
「さすがのお前も、母親のことは心配か」
 ニヤリと笑ったカジュインに、ガスクはグッと言葉を詰まらせ、それから目を伏せてそんなことはとボソボソ呟いた。ガスクの様子を見て目を細めると、カジュインはふいに真顔になって答えた。
「あの子は桟橋に引っかかった舟の中で、今にも死にかけていたそうだよ。食べ物も水もあったが、自分では口にすることもできないぐらい弱っていたらしい」
「…」
「ナヴィが死んだのは、あの桟橋の辺りだったな、ガスク」
 目を伏せて、カジュインは呟いた。
 同じように目を伏せると、黙り込んでガスクは手に持っていたフォークをカチャリと皿の中へ置いた。

(c)渡辺キリ