4
ダッタン市のスーバルンコミュニティは、オルスナ人が市を開くために集まる広場よりも更に下町にあった。細い路地が迷路のように続き、雑多にひしめく家や汚れた通路が活気と疲弊の混ざりあう不思議な空間を作り出していた。
そこからまたほんの少し東へ外れた所にアストラウル人が営む娼館があり、ブッタリカという下卑な中年の男が役人やアストラウル兵相手に小金を稼いでいた。娼婦だけではなく中には男娼も数人おり、また貧しさのために自ら身売りするものもいた。
「あ…あっ、ああ…んん、うんっ…」
鼻にかかる甘い声が、ベッドがきしむ連続音と絡み合うように部屋に充満していた。狭い部屋は真っ白なシーツ以外は相応に汚れていて、床には官給の剣と軍服が散らばっていた。細く締まった浅黒い色の膝の下に絡んだズボンが揺れて、目をうっすらと開いてリーチャは下級アストラウル兵の首筋に腕を回した。
「どうだ…いいか」
「…うん、すっごくいいよ…アンレバン」
「はあ…は…もっと金があったらよ、お前請け出してやれんのによお…な、リーチャ」
「気にしないでよそんなこと」
早口で言った後、リーチャの声が一際高くなった。しばらくして部屋は静まり、ゴソゴソと衣擦れが響いて、それからドアがバタンと締まる音がした。
肩からすり切れたショールをかけ、裸足のままアストラウル兵と一緒にロビーに出ると、肩を抱かれたリーチャがアストラウル兵を見上げた。別の娼婦と話しながら泣いていたアストラウル兵がリーチャたちに気づくと、娼館の主に金を払ってそそくさと帰っていった。
「今のやつぁ、アストリィへ戻ることになったんだ。俺ら対スーバルンゲリラ部隊はダッタン市に派遣されたままなんだけど、他の奴らは呼び戻されててよ。大方、気に入りの娼婦と別れんのが辛かったんだろうよ」
「ふうん…何かあったの?」
リーチャが尋ねると、アストラウル兵はリーチャの髪を指先で弄びながら答えた。
「何だか王宮の警備も増えてるし、最近は王様もお年で儀式には出てこねえし、王太子が実権を握ってるってさ。王子さまが二人も病気してて、上の王子は虫の息らしいぜ」
「へえ、かわいそ」
「ま、俺には関係ねえ。一生一兵士さ」
笑いながらリーチャの肩をぎゅっと抱くと、アストラウル兵はポケットから銅貨を出してリーチャの手にこっそり握らせた。また来てよ。宿の主に時間分だけ金を払っている兵士にリーチャが甘い声で言うと、兵士はもちろんだと答えてリーチャの額にキスした。
バタンとドアが閉まって兵士が出ていくと、一階に客は誰もいなくなった。だるそうにタバコを吸っている娼婦や、他の男娼同士で話しているものもいて、リーチャはそれまでの甘い表情が嘘のように冷めた目で、カウンターで兵士からもらった勘定を数えている中年の男に話しかけた。
「ブッタリカさん、今月のアガリからちょっと都合してくんないかな。ちょっと厳しいんだ」
「何言ってんだ、このごくつぶしが。そういうのはやってねえって何度言ったら覚えるんだ」
頭もからっぽじゃしょうがねえな。不機嫌そうにため息をついて部屋へ戻っていったブッタリカの太った背中を見て、リーチャはご機嫌ナナメかと呟いた。パンネルに渡してって頼んだ金、ちょっと多すぎたかな。ガスクにいいカッコし過ぎたかなあ。手に持った銅貨が見つからないように軽く自然に握りしめて、リーチャはさっき泣き出した兵士と一緒にいた娼婦に話しかけた。
「アーニタ、お願い」
「金ならないよ。あんた、そんなカッコしてたら風邪ひくよ」
笑いながら答えると、アニタは肩にかけていたショールをリーチャの腰に巻いた。部屋戻んな。アニタに言われて、リーチャはアニタの腕に自分の腕を絡ませた。
「ナザナはいつ来んの? 俺、こないだアンレバンからもらったメダルをあいつにあげる約束してんだ」
「分かんないけど、明後日には顔出すんじゃないの? あんた、あれ大事にするってあの兵士に言ってたろ。あげちゃっていいの?」
アニタが言うと、リーチャは無邪気な表情で笑いながら答えた。
「いいのいいの。あんなおもちゃのメダル、売っても売れねえもん。くだらねえもんくれるなら、金くれっつんだ。あのエロブタ野郎」
「言えてるね。チップが銅貨一枚じゃねえ、リーチャ…」
アニタが言いかけると、裏通りに面したドアが開くのが聞こえた。リーチャいるか。低い声が響いて、リーチャがパッと表情を輝かせた。
「ガスク!」
いつものようにフードをかぶったガスクは、マントにくるまれた誰かを抱えていた。ちょっとどいて。そばにあったボロいソファに座っていた娼婦に言うと、ガスクは空いたそこにナヴィの体を下ろした。
「ガスク! いつダッタンへ戻ってきたの? 俺、ガスクがグステ村に行ったって聞いてずっと心配してたんだ」
ガスクの太い首に飛びついて、リーチャが笑顔で尋ねた。久しぶりだな、リーチャ。その体を抱きとめて、ガスクは珍しく微笑を口元に浮かべた。
「着いたのはさっきだよ。郊外でオルスナの商人に馬車ごと仕入れた商品を売ってたら遅くなった。元気そうだな」
「元気だよ。ね、パンネルと会った? 渡してくれた?」
「渡したよ。礼を言ってくれって。そうだ…これを」
腰に下げた袋からパンネルが作ったお守りを出すと、ガスクはそれをリーチャの首に下げた。何? リーチャがそれを手に取ると、ガスクはリーチャの頭をなでた。
「お守り。リーチャ、お前に頼みがあるんだ。今、大丈夫か」
他の娼婦たちの視線に気づいて、ガスクが小声で言った。いいよ、部屋に行こう。リーチャがガスクを見上げて答えると、アニタが怪訝そうな表情で声をかけた。
「待ちなよ。あたしらはあんたが来るたびに迷惑してんだ。ここにはアストラウルの兵士も役人もたくさん来るし…渡すもん渡したら出てってくんないかな」
アニタのきつそうな目が、ガスクを見据えた。アニタはアストラウル人で、生粋のスーバルン人のリーチャのように同族に対する仲間意識は低かった。黙ったままアニタを見ると、ガスクはリーチャに刺繍のついた小さな袋を渡した。
「足しにしてくれ。それじゃ、また来る」
「ちょっと待ってよ…アニタ、俺の客に余計なこと言うんじゃねえよ」
怒ったようにリーチャがアニタを見ると、アニタは不機嫌そうにガスクを見上げて自分の部屋へ戻っていった。気にしなくていいよ、ガスク。リーチャがガスクの手を握ると、ガスクはそっとリーチャの手を離した。
「まあ、厄介者なのは確かだからな」
「ガスク、厄介者だなんて」
「また来るから」
「頼みって何だよ。せめてそれだけでも」
二人のやりとりを、ロビーにいた娼婦や男娼たちが耳をそばだてて聞いていた。今日の酒代にしてくれ。そう言ってガスクが袋に入った銀貨をロビーのテーブルに放ると、わあっと歓声が上がり、それを見ながらガスクはソファに下ろしたナヴィの体を抱き上げた。
「…誰?」
細く白い手は泥で汚れていた。意図的に汚されているようにも見えた。リーチャが眉を寄せて尋ねると、ガスクは部屋へと言ってリーチャを促した。 |