ナザナはアニタの一番末の弟で、本当なら学校に行っている年だが経済的にそれもままならず、毎日のようにアニタの元へ来ては文字を習っていた。何年も前に習っただけで読み書きをする機会のないアニタは、スペルも意味も取り違えて覚えていることが多く、勉強は遅々として進まなかった。
その代わり、幼い頃からここで雑用をしてはアニタやブッタリカから小金をもらっていたナザナは一通りの家事ができた。今まで見たこともない洗濯板を前にしばらく悩んでいたナヴィに気づくと、ナザナは呆れたように隣に座り込んだ。
「洗濯もしたことないのか? お前、今まで何して生きてたの?」
「ナザナ、できるの?」
ナヴィが尋ねると、ナザナはできるよと自信ありげに答えた。男娼や娼婦の下着は汚れが染み込んでいるものがほとんどで、ナザナは立ち上がってどこかへ行ってしまい、戻ってきた時には大きな鍋を持っていた。
「湯を入れるんだ。ほら、入れて」
そう言われて、慌ててナザナと一緒に鍋を持った。そろそろと注ぐと勢い良く湯気が上がって、ナヴィは思わず顔をしかめた。湯気の立つたらいに手を入れるとそこは温かくて、ナザナとナヴィは目を合わせて頬を緩ませた。
「ナヴィは何でここに来たんだ? リーチャの知り合い?」
「いや、僕は…」
ナヴィが言いかけると、ナザナは急におかしそうに笑い出した。赤くなって何か変なことを言ったかとナヴィが口をつぐむと、ナザナは笑いながらナヴィを見た。
「僕、だって。変なの。そんなおっきなナリして僕なんて言う人、この辺にはいねえよ」
「え、そんなに変かな」
考えたこともなかったことを言われて、ナヴィはナザナを真似て洗濯板に汚れた下着をこすりつけながら尋ね返した。変だよ。重ねて言うと、ナザナは首を傾げながらナヴィの顔を覗き込んだ。
「大人はみんな、俺って言うぜ。リーチャだって、ブッタリカさんだって、ガスクやグウィナンだって俺って言うんだぜ」
グウィナン? 聞いたことのない名前にナヴィがナザナを見ると、それには気にせずナザナは洗濯を続けた。
「俺って言ってみな。僕、だなんて貴族みたいで気持ち悪い」
ナザナに言われて、ナヴィはドキンとして思わず手を止めた。俺。ナヴィが言うと、ナザナはこれからも俺って言いなよと熱心に薦めた。
「ナヴィは何にも知らないし、変なの」
「何も知らないってことはないよ」
子供にまでバカにされ、ナヴィはムッとして答えた。じゃあ、何知ってんだ? ナザナが尋ねると、ナヴィは泡だらけの手で頬をこすった。
「ええと…そうだ、アストラウルの歴史とか、地理とか」
「歴史ぃ? そんなの知らなくたって大丈夫だよ」
「でも、面白いよ。ナザナ、さっき歴史の本を持ってたじゃない。読んでないの?」
ナヴィがギュッギュッと汚れ物を揉み洗いながら言うと、ナザナはうえええと舌を出して顔をしかめた。
「あれは学校でもらった本だよ。俺、読むの嫌い。知らない言葉一杯出てくるし、アニタに聞いても分かんないし」
「何だ、それなら僕が教えてあげるよ。意味が分かれば面白いと思うよ」
何でもないことのようにナヴィが言った。半信半疑でその言葉を聞くと、ナザナはじゃあ洗濯が終わってからなと答えてから、また僕って言ったなと指摘してゲラゲラと笑った。
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