晴れた日は嫌いだった。空気の乾いた空の青い日は、嫌でもあの最後の日のことを思い出させた。窓際に置いた椅子のそばで足を抱えぼんやりと外を眺めていると、ふいに後ろから軽いケープがふわりと肩にかかってフリレーテは振り向いた。
「アントニアさま」
大きな目でアントニアを見上げると、フリレーテは立ち上がろうとした。それを制して背中から彼を抱きしめると、アントニアは微笑んだ。
「何を考えてたの?」
「何も。いい天気だなと」
そう答えてフリレーテは椅子に座り直した。窓に近づいて空を見上げると、アントニアは確かにいい天気だとのんびり言ってフリレーテに笑いかけた。
「アントニアさま、私を閉じ込めることは無意味です」
無表情のまま外を眺め、フリレーテが呟いた。フリレーテに与えられた王宮内の一室には、小姓や侍女など常に誰かがいてさりげなくフリレーテを見ていた。私はあなたの物ではありません。そっけなく言ったフリレーテに、アントニアはおかしそうに答えた。
「初めて見た時は優しそうな人だと思ったけど、本当は冷たいんだな、フリレーテ」
「呆れているだけですよ」
華奢な手を取ってそこに口づけ、アントニアは窓辺に寄りかかった。ずっと同じ言葉の繰り返しだった。ここに自分を閉じ込めることは無意味だと訴え、その度に答えをはぐらかされる。本心は、何だ。ずっと見られていては、気配を消して部屋を出ていくこともできない。この手でエウリルにとどめをさすことも。
「グンナから報告があったそうだよ」
アントニアが言うと、フリレーテは椅子の背から身を起こした。
「サムゲナン市とダッタン市の手前で二度接触したが、逃げられたそうだ。そこで行方が分からなくなった。どうやらエウリルはスーバルンゲリラと行動を共にしているらしい」
「ゲリラ?」
「ラバス教だ」
アントニアの言葉に、フリレーテはドキンとして胸元をつかんだ。眉を寄せてフリレーテが立ち上がると、アントニアは落ち着いた目でフリレーテをジッと探るように見つめた。
「ラバス教に誰か知り合いでも?」
「いえ…」
「なぜゲリラと知り合ったのかは分からないが、共にいる男がエウリルを守っていると報告を受けた。ひょっとしたら、王子としての立場を利用するつもりなのかもしれない」
「人質ということですか」
フリレーテが尋ねると、アントニアは笑って答えた。
「私がもしゲリラなら、王子だと知ればどのようにでも利用するがね。エウリルに人質としての価値がないことは、エウリル自身が一番よく分かっているはずだ。しかし王子がゲリラの一員となったと噂が広がれば、王宮にとっては命取りになりかねない」
「ルクタス家にとっては、でしょう」
皮肉気に言葉を返して、フリレーテはアントニアから目をそらした。何にせよ、エウリルは我がルクタス家にとっては暴発の引き金に等しいと言うことだ。そう言って、アントニアはまた窓の外を眺めた。
王宮の庭は、エウリルがいた頃と同じように全てが静かに佇んでいた。しばらく黙ったまま二人で庭を眺め、それからフリレーテが目を伏せて尋ねた。
「フィルベントさまのご容態はいかがですか」
「気になる?」
「…」
気になるのは容態自体ではなく、彼の口からもれる『秘密』の方だ。
いっそこの国を上げてオルスナへ攻め入らせることは諦め、この部屋を出てフィルベントの息の根を止める方がいいのか。そして、エウリルとオルスナ三世を。
「フィルベントはもう駄目だろう。食事も喉を通らない。司祭に懺悔を、と言うのをお母さまが励ましている。あんな母親の姿を見るのは居たたまれないものだ…」
わずかにアントニアへ視線をやって、フリレーテは黙ったまま窓辺に手を置いた。アントニアの表情は以前と変わらないほど穏やかながら、どこか高揚しているようにも見えた。手を伸ばしてフリレーテの体を柔らかく抱きしめたアントニアに身を任せ、フリレーテはぼんやりと王宮のきらびやかな部屋を眺めながら、ふっくらとした唇を開いた。
「アントニアさま。あなたは兄弟の中で一番、フィルベントさまを気に入られていたのではないのですか」
フリレーテの声は、アントニアの耳に心地よく響いた。アントニアがフリレーテの体をしっかりと抱きしめると、フリレーテはその背に腕を回した。
「あなたは本当の愛を知らない」
冷めた目がフリレーテを捉えた。あなたは気に入った物を並べて飾ることしか知らない。そう呟いたフリレーテに、アントニアは柔らかな笑みを浮かべた。
「フリレーテ、君にはここにいてもらいたい。だが、エウリルを追う王宮軍の指揮権は君に預けよう。報告も、私を通さなくても構わない。好きに使うがいい」
「…なぜです。なぜ私に?」
フリレーテが尋ねると、アントニアはフリレーテから離れコツコツと靴音を立てて部屋を横切った。ドアのそばで控えていた小姓のセシルがドアを開けると、出て行き様に振り向いてアントニアは答えた。
「君は頭がいい。君なら、あの男を上手く使いこなしてくれそうな気がするからね」
「…」
真意を図りかねて、フリレーテは黙ったままアントニアを見つめた。何を考えている? 怪訝そうなフリレーテの表情を見てまた来るよと声をかけると、アントニアは部屋を出た。
「アントニアさま…あの男は、王宮に留め置くのは」
アントニアの一歩斜め後ろを歩きながらセシルが言うと、アントニアはおかしそうに答えた。
「あれが私を殺すとでも言うのか? 私に利用価値がある間は大丈夫だ。それよりもローレンの行方は分かったのか。ちゃんと家へ戻っているといいけど」
「…ローレンさまは王宮を抜け出された後、アストリィのご自宅へ戻られました。引き続き様子を報告するよう、命じてあります」
「そうか、無事ならよかった」
「アントニアさま」
咎めるように名を呼んで、セシルはハッと我に返って申し訳ございませんと呟いた。構わないよ。そう言って振り向くと、立ち止まってアントニアはセシルを見つめた。
「私のそばにいて私を諌めてくれるのは、今となってはお前だけだ。大切に思っているよ」
「恐れ多いお言葉にございます」
「ローレンがまた王宮に戻る前に、ルクレーヌはアストリィ郊外の修道院へやろう。そしてお母さま…第一王妃の後押しをいただき、王の退位を進める」
「だからエウリルさまのことを、あの男にお任せに?」
セシルが尋ねると、アントニアはまた歩き出して楽しそうに答えた。
「上手くやってくれるだろう。あの男はなぜかエウリルを恨んでいるようだ。エウリルを何とかしてくれねば、私も落ち着いて王位継承の準備ができないからね」
「私は、あなたさまはエウリルさまを可愛がっておられるとばかり思っておりました。あの男に任せれば、エウリルさまは生きて戻れるかどうか分からなくなります」
セシルが言うと、アントニアは黙ったまま含み笑いをもらした。
「…可愛い、弟だったよ」
それだけ言うと、アントニアはフィルベントの元へ行こうとセシルを促した。政務を執る時以外、サニーラがずっとフィルベントの部屋に詰めているはずだった。仰せのままにと答えると、アントニアの背中を見つめながらセシルは黙って廊下を歩いた。
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