夜に紛れて王宮からアストリィの中心にある自宅へ戻ったローレンは、出迎えた妻と娘を抱きしめてから、どこか切羽詰まったような表情で執事をと命じた。ローレンの腹心でもある老齢の執事は、ローレンが王宮に留まる間いつもヴァルカン家の全てを任されていた。
「ジョーイ、ハルコラン、長い間留守をしてすまない」
妻と執事を書斎に呼ぶと、ローレンは他の召し使いたちに下がるように言ってから二人に向き直った。
「私はこれから地下に潜伏して私警軍を統率し、王太子を糾弾すべく立ち上がろうと思う。ジョーイ、君はマレーナを連れてハルコランと共にプティ市の私邸に避難してほしい」
「あなた、何を仰るの」
驚きのあまり青くなって、ジョーイはローレンの両腕をつかんだ。聞いてくれ。そう言ってジョーイの手をほどくと、ローレンはハルコランを見た。
「エウリルが殺人の罪で裁判にかけられることなく、王妃の権限を持って秘密裏に投獄された。お父さまもフィルベントも病床についたまま、回復の兆しも見えない。王太子や王妃に話し合いの場を求めたがそれも叶わなかった。ハルコラン、君なら分かるはずだ。ルクタス家だけが王家にあらずということを」
「はい。ルクタス家は正当な王位継承者を排出する責任がございますが、連綿と受け継がれるものではございません。次代国王を決めるのは現王家のみならず、貴族院の承認が必要です」
戸惑いながらもよどみなく答えるハルコランに、ローレンは頷いた。何を話し合うと言うの。エウリルさまのことや、お義父さまがご病気だというのは本当なの? 続けて尋ねるジョーイの手を柔らかく両手で包んで、ローレンは答えた。
「以前から考えていた。今の王宮は、いや、今や王制は貴族や王宮にとってのみ便宜を図るもので、国民のためにあるものではなくなってしまった。それでも先の内戦のような大規模な内紛が起これば、大勢の人々が死ぬかもしれないと思い別の道を模索してきた。しかし、今何とかしなければいつかこの国は疲弊してしまう」
「あなた…」
涙ぐんでローレンを見上げると、ジョーイはあなたがやらずともよいことでしょうと呟いた。首を横に振って、ローレンはハルコランの肩をつかんだ。
「ジョーイとマレーナを頼む。私は貴族院や国民議会に水面下で呼びかけ、賛同者を集めようと思っている。もし私に何かあれば、ハルコラン…あなたとジョーイでこの家のことを決めてくれ」
「…かしこまりました」
耐えるように眉を寄せて、ハルコランは低い声で答えた。今すぐ支度を。そう言ってもう一度ジョーイを抱きしめると、ローレンはすまないと小さく呟いて目を閉じた。
何が起こったのかも分からず、母と共にどこかへ出かけられると知った小さなマレーナははしゃいでいて、その姿が切なかった。最小限、処分しなければいけない書類を暖炉で燃やしているローレンのそばで、マレーナは侍女に服を着替えさせられながらローレンを見上げた。
「お父さまはおでかけしないの? ひさしぶりに戻ったんだもの、一緒におでかけしたいわ」
「ごめんね、マレーナ。お父さまは少し仕事があるんだよ」
そう言って、着替えの済んだマレーナを見てローレンはその小さな体を抱き上げた。元気で。心のうちで呟くと、ローレンは腕の中の娘を見つめた。この子は私を恨むだろうか、それとも誇りに思ってくれるだろうか。嬉しそうにローレンの髪をつかんだマレーナを見て、ローレンはわずかに笑みを浮かべた。
「君の大好きなエウリルを、また連れてきてあげるよ」
彼がいれば、きっと私の力になってくれる。
彼が持つオルスナとの繋がりは、この国に重要な意味を持つはずだ。
ローレンが言うと、マレーナは本当に?と尋ね返して笑った。父親としては複雑だな。苦笑してマレーナの喜ぶ姿を見ると、ローレンはマレーナを下ろしてお母さまの所へお行きと促した。
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