アストラウル戦記

 一日中、警備のアストラウル兵を避けながら歩き回ってクタクタだった。いつも使っている隠れ家の一つに身を寄せると、ガスクは椅子に座って編み上げブーツの紐を外しながらグウィナンを見上げた。
「オルスナへは行かないって? あのバカ、何考えてんだ」
 他の同志たちは、隣の部屋で何か他愛のない話をしているようだった。話を聞いてガスクが怒ったように言うと、グウィナンはテーブルの向かいに座って答えた。
「あれは素直そうに見えて、結構ガンコだぞ。連れていくなら寝込みを襲ってグルグル巻きにして、有無を言わさず馬車に乗せればいい」
「素で言うのやめてくれ」
 ため息まじりに答えて、ガスクは椅子の背もたれに腕をかけて熱い目を閉じた。
「貴族のお遊びにつき合ってるヒマはないんだよ。今は第三王子の死に乗じて攻め込もうって言ってくるヤツを抑えるので手いっぱいだし。せめてナッツ=マーラがアストリィから戻ってくるまで待てって説得しないと」
「…ガスク、あれはグステ村でパンネルに助けられたって言ってたよな」
 グウィナンに尋ねられ、ガスクは目を開いた。何で? ガスクが言葉少なに尋ね返すと、グウィナンは少し言葉を選んでから頬杖をついた。
「本当に貴族なのか?」
「それ以外ねえだろ。オルスナから来た外交官と貴族のお姫さんができちまって、子供残して帰ってったとかいう話はたまに聞くからな。その類いじゃねえか」
「…」
「いくら何でも平民じゃねえって、あの物知らずっぷりは」
 笑いながら答えると、ガスクは立ち上がって水瓶のふたを開け、かまどに置いた鍋に水を移しかえた。火をつけると疲れを感じて、ガスクは壁にもたれてぼんやりとかまどを眺めた。
 ナヴィ。
 大きなはしばみ色の目を思い出して、ガスクは細く息を吐いた。
 なぜあいつのことが気にかかるんだ。共に死線を越えたというだけなら、ここにいるグウィナンやナッツ=マーラも、同志たちも同じはずだ。なぜあいつだけが頭から離れないんだ。
 ガスク、戻ろう。まだ助けられる。
 サムゲナンを越えた農家で行軍する兵を見たと聞いて、一瞬迷った。その迷いにあいつは気づいていた。ジンカなら、グウィナンなら、戻らなかっただろう。それが俺たちの戦いだと言うだろう。
 そして今も、あいつは関わったものを切り捨てていくことができない。
 それは優しさなのか、それとも弱さなのか。
「ガスク」
 ふいに隣室から別のゲリラが顔を出して、切羽詰まったような声でガスクを呼んだ。裏だ。そう言った同志に、ガスクがサッとかまどの薪を壺に入れて火を消した。グウィナンがろうそくの火を吹き消すと、辺りは暗闇になった。
「…内戦部隊か」
 小声でガスクが囁くと、グウィナンはうっすらと笑みを浮かべた。その表情は見えずとも気配でグウィナンがわずかに高揚しているのが分かった。僧侶が聞いて呆れるな。ガスクが笑いを堪えて腰に帯びたままだった剣を抜くと、グウィナンも壁際に置いた剣を鞘から抜いて上段に構えた。

(c)渡辺キリ