思った以上に本気で襲撃をかけているようだな。考えながら血で濡れた右手を胸元で拭って、ガスクは剣の柄を握り直した。長い夜だった。仲間が切られ倒れるたびに、手足がもぎ取られるような苦痛を感じた。息苦しい。喧騒が続く。
内戦部隊はガスクがここにいることを知っているようだった。以前も交戦したことのあるゲウテカという男が指揮をしていた。ナヴィを追ってきた軍とはまた別のようだな。考えて、路地に身を潜めていたガスクは呼吸を整えた。
「一旦、ダッタンを離れた方がいい。お前が死んだら俺たちは終わりだ。お前一人でも」
後ろにいた仲間が低い声で囁いた。そんなことできる訳ねえだろ。吐き捨てるように答えたガスクに、グウィナンが大通りの様子を見ながら言った。
「ゲウテカにしては、囲い込みが上手すぎる。いつものヤツなら二手に分かれて挟み撃ちするぐらいしかないが、今夜は少数単位で次々と狭い所に攻めてきて、こちらがバテるのを待ってる。兵を使い捨てにするやり方は、らしくないな」
「見ろ、アンレバンのバカが俺たちをうろうろ探してるぜ。一生やってろ」
内戦部隊の一員である大柄な男が、部下たちにしらみつぶしに探せと命令しているのが見えた。分かれて逃げた方がいい。グウィナンの言葉に頷きかけて、ガスクは我が目を疑い思わず身を乗り出した。
バタバタッと足音が響いた。バカ野郎! 何で来たんだ! 舌打ちをしたガスクの視線の先には、朽ちかけた棒を持ったナヴィと丸腰のリーチャが立っていた。武装した軍人たちの前では滑稽で、突然現れたナヴィたちに目を丸くしてアンレバンが慌てふためいた。
「リッ、リーチャ! 何でここに」
下町をあちこち走り回ったせいか、リーチャは赤い顔をして肩で息を繰り返していた。ナヴィを押しのけるようにしてアンレバンを見上げると、リーチャは唾を飲み込んでから口を開いた。
「アンレバン、お願いだから何も言わずに引いてくれ」
リーチャの声に、アンレバンが目を見開いた。そうか、娼館で見たことのあるリーチャの客だ。ナヴィが考えた瞬間、背後から足音が響いてナヴィは手にした長い棒で振り下ろされた剣を横から払った。
「ナヴィ!」
リーチャが叫んだ。続けてくり出された剣はナヴィの頬を掠めた。接近されて、ナヴィは咄嗟に身を屈めて男の胸に頭突きをした。
「っ! ぐ…」
しゃがみ込んで男の足を棒で払い、ナヴィはバランスを崩した男のみぞおちを突き上げた。よろけた男の向こうから、アンレバンの兵とは違う口元を布で隠した男が剣を振り下ろすのが見えた。切られる。ナヴィがその剣の軌道を見上げた瞬間、金属音が響いた。
荒い呼吸。
目の前の広い背中は、グステ村からダッタン市へ入るまでに何度も見たそれだった。誰もいなくなる恐ろしい夢の挟間に、その背中はあった。路地から飛び出した男は大きな剣で兵の剣の軌道を曲げ、低い声でバカ野郎と囁いた。
「…あ」
まともに打ち合った覆面の男の剣が折れた。カランと落ちた剣の刃を見ると、覆面の男は腰に挿していた小ぶりの剣を抜いた。
「バカ野郎! ボーッとしてないで逃げろ!」
振り向いてガスクが怒鳴ると、ナヴィは一瞬ムッとしてガスクを見上げた。バカ野郎って何だ、助けに来たのに。ナヴィの表情を見てガスクも不満げに眉を寄せ、それから周囲の兵が殺気立つのを感じて剣を構えた。
「どういうことだ、リーチャ。お前、ゲリラの仲間なのか!?」
突然現れたガスクに慌てふためいていたアンレバンが、青くなって叫んだ。一番外側にいたアンレバンの軍兵がギャッと叫んで倒れた。グウィナン! リーチャが振り向くと、他のゲリラたちがガスクを守るために軍兵たちと剣を合わせていた。
身を低くして踏み込んだグウィナンが、リーチャの目の前で剣を振り上げた。
目を見開いたリーチャの前髪が切れて、ふわりと落ちた。スッと切れた額からじわりと血がにじんだ。ガタガタと足を震わせたリーチャの前に立って、アンレバンが下がってろ!と必死で怒鳴った。
「グウィナン!」
ガスクと背を合わせて棒を構えたナヴィが、非難の色をにじませて名を呼んだ。
「俺たちの仲間はあのアスティだけだ。このスーバルン人は、あいつに唆されて道案内をしただけだろう」
グウィナンが言うと、アンレバンは眉を寄せて本当なのかとリーチャを見た。口も聞けずに黙ったままアンレバンの後ろで震えるリーチャにホッとしたように息をついて、アンレバンはリーチャを安全な所へと部下の軍兵に命じた。
「リ…」
呼びかけたナヴィをガスクが腕をつかんで止めた。その視線は鋭く、どこか怒っているようにも見えた。ナヴィが黙ったまま古びた棒を握りしめると、緊張感に耐えきれなくなった年若い軍兵が大声を上げて襲いかかってきた。
グウィナン、何で。
引きずられるように離れた場所まで連れてこられると、暗さで誰が誰だか分からなくなったゲリラと軍兵たちを見てリーチャは唇をかんだ。額に触れるとぬるりとして、手についた血を見てリーチャは目をギュッと閉じた。俺を仲間だとは言ってくれないのか。ナヴィは一緒に戦っているのに。
「お前は誰だ」
ふいに低い声が後ろで響いて、リーチャが驚いて振り向くと、そこにはナヴィを襲った覆面の男が数人立っていた。アンレバンの部下とは違うことに気づいて逃げようとしたリーチャの手首を強くつかむと、男は怯えるリーチャの顔を覗き込むように見た。
「スーバルン人か。ガスク=ファルソと関係があるのか」
「あ…」
俺は死ぬのか。こんな、誰も見ていない暗い町の一角で。
恐怖で答えられずにリーチャが目の前の男の目を見ると、男はわずかに目を細めてまあいいと呟いた。リーチャの手を離すと、よろけたリーチャを見て男は尋ねた。
「お前がゲリラだろうと私にはどうでもいい。ファルソと一緒にいるアストラウル人を一人にしてくれれば、お前を見逃がしてやろう」
「ナヴィを!?」
それじゃ、こいつらがナヴィを追っているというアスティの軍兵なのか。
リーチャが男を見上げると、男は口元を覆っていた布に指をかけて引き下げた。男の顔は驚くほど表情が読めず、リーチャが首を横に振ると、男は後ろにいた部下の一人にリーチャを送っていくように命じた。
「まあ、いいだろう。お前がファルソと関係があることは、今のところはゲウテカには報告しない。今のところはな」
そう言って、男は部下を一人残して他の部下たちに何か指示した。まるで波が引くように、覆面の軍兵たちはおもちゃのような現実感のない夜の町に散っていった。残った一人に腕をつかまれ、リーチャは心残すように振り向いて、戦い続けているガスクとナヴィを見つめた。
「あんたたちは、なぜナヴィを」
無理に歩かされて、リーチャは緊張で言葉少なに尋ねた。それはお前の知るところではない。軍人らしく短く答えた兵士に引っ張られ、リーチャは叫び出したい激情を必死で抑えて歩き出した。
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