「バカ! バカ野郎!」
直接ぶん殴りたいのをやっとの思いで堪えて、ガスクが古い木の椅子を蹴り飛ばした。ビクッと肩をすくめて、ナヴィがごめんなさいと小さく呟いた。アンレバンたちの包囲網を一点突破で振り切って、ガスクたちがダッタン市の外れにある隠れ家に逃げ込んだのは、夜が明けはじめた頃のことだった。
見張りに立つゲリラの一人が、そんなに怒ってやるなよとガスクを諌めた。グウィナンともう一人のゲリラは、途中で別れてからまだ隠れ家に辿り着いていなかった。
「そいつがいなかったら、俺たち一人残らず死んでたかもしれないだろ。手薄なところを見つけて突破してくれたの、そいつだし」
長身の剣を抱えて窓の外を見ながら、見張りの男が言った。言葉を詰まらせ、ガスクが腹立たしげにナヴィの腕をつかんで奥の部屋に引っ張り込んだ。
「死にたいのか。わざわざ交戦中のところへ突っ込んでくるなんて」
「だって…ガスクが襲われてるって」
「だから!」
思わず怒鳴って、ガスクは見張りに気を使って声を潜めた。
「…だから、何でお前が助けにくるんだ。追われてるのはお前も同じだろ」
ナヴィの頬や耳元には、剣が掠めた跡の赤いみみず腫れがいくつか走っていた。それを見て、ガスクは黙ったままナヴィの手をつかんで曲げ伸ばし、あちこち見始めた。何? ナヴィが尋ねると、ガスクはふうと息をついた。
「どこも怪我はないな」
締めつけられるように、胸が痛くて。
来ずにはいられなかった。リーチャは大丈夫だろうか。心配で眉を潜め目を伏せたナヴィを見ると、ガスクは焦ったように視線をうろうろと彷徨わせた。
「悪い…ちょっと言い過ぎ」
そう呟いた途端、ガスクが驚いてわずかに目を見開いた。ガスクの胴に腕を回してしがみつくと、ナヴィはギュッと目を閉じた。
浅黒く太い腕に頭を抱かれて、ナヴィは涙のにじんだ目元をガスクの胸に押しつけた。その体温は高く、黙っていると鼓動が伝わってきた。オルスナへ行きたくない理由。目を開いてもぞと身じろぎをすると、ナヴィは熱い息を吐いた。
「! 大丈夫か!」
ふいに家のドアが大きな音をたてて開いた。見張りの男の声に我に返って、ガスクがナヴィからパッと離れた。家に入ってきたグウィナンがガスクは!と尋ねた。見張りの男が部屋の奥を指差すと、グウィナンは部屋に飛び込んで勢いのままガスクを殴った。
「なぜ軍兵たちの前に飛び出した!? こいつのためか!」
ナヴィの胸元をつかんで揺すり押し返すと、グウィナンは殴られた勢いで倒れたガスクを更に殴ろうと手を振り上げた。やめろ、グウィナン! グウィナンと一緒に逃げ込んできたゲリラのメンバーの一人が、グウィナンの腕にしがみついて懸命に止めた。
「きさま、何でリーチャを連れてきたんだ。リーチャがゲリラの仲間だとマークされるとは思わなかったのか!」
「あ…」
顔色をなくして、ナヴィがグウィナンを見上げた。殴られた口元を押さえて、ガスクがいててと呟いた。椅子につかまって立ち上がると、ガスクはグウィナンを殴り返した。
「いてえよバカ野郎! 仕方ねえだろ、止めなきゃ死んじまうんだから!」
「こいつを庇って、何の得があるって言うんだ! お前がやられたら俺たちの戦いは無駄になるんだって、何度言ったら分かるんだ!」
空気がビリビリと震えるほど、迫力のある声で怒鳴った。グウィナンの言葉に、ガスクはしばらく黙り込んでからすまないと呟いた。グウィナンの腕に後ろからしがみついて止めていたゲリラの一人が、ホッとして手を離した。
「とにかくガスクにケガがなくてよかった。グウィナンが機転をきかせたおかげで、リーチャは軍兵からマークされずに済んだようだし。兵士に送られて、ブッタリカのところへ帰ったよ」
「確認してきてくれたのか、カイド」
ガスクからカイドと呼ばれた男は、頷いて大丈夫だと答えた。ホッと息をついたガスクをナヴィが複雑な表情で見た。リーチャが無事で本当によかった、けど。目を伏せたナヴィには気づかず、グウィナンは本当に大丈夫ならいいけどなと吐き捨てた。
「リーチャは男娼だ。主人に黙って外に出れば、どんな目に遭うか」
「でも、リーチャはガスクを助けようとしたのに」
「…お前にはやっぱり分からないんだな」
目を伏せたガスクに言われて、ナヴィは驚いてガスクを見た。カイドがチラリとナヴィを見た。行ったって何もできないぞ。グウィナンににらまれ、ガスクは黙り込んだ。
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